市野川 -
鳥羽井橋の周辺 [市野川のページ一覧]
撮影地:埼玉県比企郡川島町(かわじま)東野、鳥羽井(とばい)、市野川の河川敷
↑左岸堤防上から見た鳥羽井橋 堤防内は、ほとんどが農地なので、 鳥羽井橋は農道橋としての役割も大きい。 この周辺では、時々、ドカンという大きな音がするので、 ビックリさせられる。 畑から鳥を追い払うための仕掛があるようだ。 |
↑市野川の河川敷(右岸堤防上流から) 写真中央は鳥羽井樋門(川島排水路の樋門)。 川島排水路は堤外水路となっていて、市野川の終点付近で 右岸へ合流する。市野川の右岸堤防上には、 荒川自転車道が整備されていているので、 サイクリングを楽しむ人も多い。 荒川自転車道は滑川町の森林公園から、 さいたま市の北浦和駅までつながっている。 |
←市ノ川改修記念畑の碑 鳥羽井沼付近の右岸堤防、 川表裾に設けられている。 昭和8年(1933)10月建立。 発起人と世話人の他13人の連名となっている。 現在、市野川の河川敷に広がる畑地は、 昭和初期の河川改修に乗じて、 開墾・整備されたようである。 ざっと見た限りでは、麦と野菜の作付けが 多く、稲(陸田)は少なかった。 |
|
←鳥羽井沼 鳥羽井沼は安永年間(1780年頃)の市野川(当時は この付近は荒川)の洪水で、堤防が決壊したさいにできたオッポリ。 いわゆる、落ち堀(切れ所)というやつである。写真左から右に見えるのは、 市野川の右岸堤防。鳥羽井沼は自然公園として整備されていて、 釣り人も多い。沼のほとりには、九頭龍大権現と一目連大明神が 祀られている。九頭龍とは水を司る神様であり、堤防決壊地などで 堤防の守護神としてよく見られる。これは信州戸隠から勧請されたもの。 一目連は風雨を司るとされる神様だが、鍛冶屋なども信仰した(注)。 写真の右端は、鳥羽井排水機場。大雨などで鳥羽井樋門から 市野川への自然排水が困難な場合に、雨水を強制排水するための ポンプ場である。傍には埋立記念碑(昭和10年建立)がある。 それによると、かつてこの一体は、アシの茂った沼沢地だったが、 内務省(現.国土交通省)による荒川改修工事で発生した残土を 提供してもらい、沼地約1町4反を埋め立てて耕地にしたとある。 工事は昭和9年11月に起工し、昭和10年4月に竣工。 碑の裏面には工事関係者が記されていて、その中には保線掛と あるので、運土には軌道(機関車かトロッコ)が使われたのだろう。 |
(注)場所は微妙に違うようだが、この一目連大神は弘化二年(1845)に
祀られたようである。”谷中村堤押堀ヘ為水難除一目連大神宮社建立ス”との
記録が残っている(川島領大囲堤普請一件大略、埼玉県史 資料編13、p.642)
谷中村堤押堀とは、鳥羽井沼のことだろう。
なお、九頭龍大権現と一目連神社を対にして祀る形態は
荒川水系では他の河川でも見られる。
例えば、越辺川:白山神社(坂戸市赤尾)、
荒川:荒川パノラマ公園(北足立郡吹上町大芦)にも
九頭龍と一目連が対で祀られている。