市野川の冠水橋 (その2) (その1)
これらの橋は昭和初期に実施された市野川の改修事業のさいに建設された橋を、
昭和30年頃に改修したもので、コンクリートだった桁は鋼製へと変更され、
若干だが拡幅もなされている。コンクリート製の橋脚は旧橋のものだと思われる。
同事業の概要書(市野川改修工事概要、埼玉県、1937)によると、先代の橋は全て、
昭和8年3月の竣工で、形式はコンクリート桁橋(5スパン、全長40.6m、有効幅3.3m)であった。
松永橋 - 周辺の風景 - (比企郡川島町松永) 左岸下流から (F6.3,35mm) 右が松永橋:鋼桁、5スパン、全長約45m(歩測)、幅4.0m、欄干高0.4m 写真左は、歩行者専用橋:RC桁、3スパン、幅3.2m、欄干高1.5m この橋を含め下流にある5橋は、すべて冠水橋。 河川敷の中には農地が広がっているので、農道橋としての役割が大きい。 写真上部に見えるのは、市野川の右岸堤防。 右岸堤防上には、荒川自転車道が整備されている。 |
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谷中橋 (やなか) - 周辺の風景 - (左岸:比企郡川島町松永、右岸:川島町小見野) 左岸上流から (F4.5,105mm) 鋼桁、5スパン、全長約42m(歩測)、幅3.8m、欄干高0.4m 広大な大地の中を、市野川がゆったりと流れている。 対岸までは約500m。車の通行は1時間に1台程度だった。 この付近から市野川の左岸堤防は、荒川右岸と併用(背割堤)になる。 |
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鳥羽井橋 (とばい) - 周辺の風景 - (比企郡川島町東部) 左岸上流から (F6.3, 50mm) 鋼桁、5スパン、全長約40m(歩測)、幅4.0m、欄干高0.5m この橋だけ他の橋とは、欄干の形状が異なる。 橋の中央部が両端より高く見えるが、実際、そうなっている。 (デジカメのレンズ性能が悪いわけじゃないよ...) |
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大福寺橋 - 周辺の風景 - (左岸:比企郡川島町東部、右岸:川島町鳥羽井新田) 右岸上流から (F3.2,55mm) 鋼桁、5スパン、全長約42m(歩測)、幅4.0m、欄干高0.4m 橋名は右岸堤防の裾に位置する大福寺に 由来していると思われる。 右岸から2番目の橋脚は、鋼製に変更されている。 右岸から3番目の橋脚の上部には流木とゴミが引っかかっている。 写真上部は、荒川の右岸堤防(兼.市野川の左岸堤防)。 |
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大塚橋 - 周辺の風景 - (左岸:比企郡川島町鳥羽井新田、右岸:川島町鳥羽井新田) 右岸上流から (F9.0,35mm) 鋼桁、5スパン、全長約42m(歩測)、幅4.0m、欄干高0.4m これが、市野川の最下流の冠水橋。 市野川は、ここから約700m下流で荒川と合流する。 この橋の周辺から低水護岸の形式が、鉄線籠に変わる。 (鉄線のかごの中に石を詰めた構造) この付近には明治時代初期まで鳥羽井河岸があった。 |
川島排水路の冠水橋
川島排水路は鳥羽井樋門(鳥羽井沼の脇)を経由して排水され、市野川の河川敷の中を流れ、
大塚橋の下流で市野川の右岸へ合流する。流路延長は約1.3Km。
市野川改修工事概要には、昭和8年3月に大福寺橋と諏訪橋の2基が建設されたと
記されている。現在残る橋は、1スパンのコンクリート桁橋(全長12.1m、有効幅3.3m)であり、
同書に記された橋と構造・寸法がまったく同じなので、これら2橋は竣工当時のままであろう。
大福寺橋 (左岸:川島町鳥羽井新田、右岸:川島町鳥羽井新田) 左岸上流から (F3.2,55mm) コンクリート桁、1スパン、全長12.1m、幅3.3m、欄干高0.35m 右岸堤防の裾(ここから南西へ200m)に 位置する大福寺に橋名が由来すると思われる。 大福寺の脇からこの橋まで道路も繋がっている。 素朴な意匠の橋だが、25cm角、高さ45cmの 親柱が付けられている。 写真の上部に見えるのが市野川の右岸堤防。 |
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諏訪橋 (左岸:比企郡川島町鳥羽井新田、右岸:川島町鳥羽井新田) 右岸上流から (F9.0,35mm) コンクリート桁、1スパン、全長12.1m、幅3.3m、欄干高0.35m 大福寺から500m下流に位置する。これが川島排水路の 最下流の冠水橋。川島排水路は、ここから約200m下流で 市野川へ合流する。諏訪橋は大福寺橋とまったく同じデザインである。 橋名は右岸堤防の裾に鎮座する諏訪神社に由来するのだろう。 右岸橋詰には寛政六年(1794)の庚申塔があり、大塚邑中 同川岸中と記されている。川岸とは鳥羽井河岸のことだと思われる。 |
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