閘門橋の詳細
(注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。
↑閘門橋の親柱と欄干(左岸から) これらは建設当初のものではなく、後年に増築されたもの。 親柱には石材が使われているようだ。 橋燈、欄干、親柱の模様はデザインが統一されている。 橋面には波模様?の舗装が施されている。 |
↑欄干の装飾(下流側) 中央アーチの上の欄干のみ、特別な装飾が施され、 閘門橋と刻まれた銘板も取り付けられている。 それにしても閘門橋という安直な名称は... 写真上部は、葛三橋(かつみばし:都道307号)。 おそらく、葛飾の葛と三郷の三を並べたものだろう。 |
↑閘門橋(左岸下流から) バルコニー(翼壁を改造)は下流側へ5m程、張り出している。 バルコニーの中央には渦巻き状の巨大なオブジェが 置かれているが目的不明であり、はっきり云って、邪魔だ。 このオブジェのデザインは三谷橋(元荒川、埼玉県鴻巣市、 1932)の親柱の装りと良く似ている。 天端付近は、ゲート操作のためのスペースが設けられ、 2段になっている。この形式は埼玉県南東部に建設された、 煉瓦樋門に顕著なもの。欄干増設(修景のため)のさいに、 天端に新たに煉瓦(パネル)が貼られているが、何故か 長手積みである。様式を無視した暴挙だ。 中央アーチの上にはブロンズ像(堰板を落とし込む、 身長70cmくらい男たち)が設置されている。像の背後の 面壁には、石造りの銘板が8枚埋め込まれていて、 弐郷半領猿又閘門と刻まれている(1枚につき1文字)。 |
↑閘門橋(左岸上流から) 使われている煉瓦は、金町製瓦のものではないだろうか? 同社はここから南東3Kmの南葛飾郡金町村(現.葛飾区 東金町8丁目、江戸川の葛飾橋の上流100m)に、 明治21年(1888)に操業している。日本煉瓦製造に 吸収され、日本煉瓦の潮止工場となるのは大正7年。 面壁には竣工年を刻んだ石造りの銘板(1文字毎)が 埋め込まれている。左岸のアーチの上には、黒っぽい銘板 (60cm×30cm、石造り)が付けられているが、これは 工事関係者を記した一種の竣工記念碑であろう。 弐郷半領用水路普通水利組合が、建設した樋門に 特有のものだ。3つのアーチは、どれも煉瓦小口の 4重巻き立て。中央アーチの内側には黒っぽい色の 煉瓦が使われている。違う会社の煉瓦を使ったのでなく、 焼過煉瓦だと思われる。水切り(先端が尖っている)も煉瓦造り。 |