三谷橋 (さんや)
所在地:元荒川、埼玉県鴻巣市安養寺〜鴻巣 建設:昭和7年(1932)
形式:鉄筋コンクリート製ボックスラーメン橋?(5連) 長さ17m、幅4.8m(共に歩測)
三谷橋は、宮地堰の下流側に併設された県道32号鴻巣羽生線の道路橋。
橋名の三谷とはこの付近の字名。古い歴史を持つ橋で、武蔵国郡村誌の郷地村の項には、
”里道に属し元荒川の中流に架す 長さ十二間巾二間土造 鴻巣宿に通す”と記されている。
郡村誌の記述は明治9年(1876)の調査を基にしている。当時の三谷橋は長さ21.8m、幅3.6mの土橋だった。
(追補)三谷橋は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
↑親柱の飾り 手前が親柱の上に置かれていた 渦巻き状の飾り。コンクリート製で、 長さは70cmもある。 閘門橋(大場川、東京都)の修景に、 これに良く似たものが、使われている。 どのように型枠を組んだのだろうか? 奥に見えるのは宮地堰の柱? この装飾パターンは、昭和初期に 建設された埼玉県の土木構造物に 顕著なもの。長野落伏越(旧忍川、 行田市〜川里町)、午の堀橋 (午の堀川、加須市) でもこれと同じ装飾が見られる。 |
←親柱と欄干 左端は壊れた親柱。 銘板は欠落している。 破損面には鉄筋(10mmの丸鋼)が 見える。親柱の装飾は、 大和橋(星川、行田市)の欄干に 良く似ている。 欄干はフィーレンディール橋 (昭和初期の橋梁形式)を 真似たと思われる四角形の開口部。 上之橋(会の川、加須市、1935年)や 名称不明(新・槐堀川、加須市)も 同様な欄干である。 |
|
←三谷橋の構造(下流右岸から) 橋桁は宮地堰の堰柱と 一体成形化されている。 5連のうち両脇はハンチだが、 中央の3連はアーチ形状。 写真中央に見えるのは、 かつては親柱の上にあった飾り。 壊れたまま、元荒川の中に 放置されている。 |