坂東大橋 (その1) (その2)(その3)
場所:利根川、国道462号線、群馬県伊勢崎市八斗島町(やったじま)〜埼玉県本庄市山王堂
形式:下路トラス橋(30スパン:左岸から鋼桁6連+曲弦ワーレントラス6連+鋼桁18連)
建設:昭和6年(1931)6月 長さ917.5m(主径間のトラスはスパン長62m、幅10.7m)
〜上武ノ境ヲ割リ刀水洋々トシテ東スル処一大長橋ヲ架ス題シテ坂東大橋トイフ〜
坂東大橋が建設されるまで、利根川の伊勢崎市〜本庄市間に永久橋は架かっていなかった。
それまでの橋は、船橋(舟を浮かべて繋いだもの)で、しかも賃取り橋であった(注1)。
大正15年に群馬県が利根川への架橋を計画したが、橋の形式は鉄橋ではなく木橋だった。
ちょうどその時期、上毛電気鉄道の専用線敷設計画(本庄線)が浮上してきたので、
急遽、坂東大橋は道路・鉄道併用橋として設計が変更された。
そして、昭和4年2月に起工し、昭和6年6月に竣工したのが、現在の坂東大橋である。
しかし結局、この橋は一度も鉄道橋としては使われなかった。
昭和恐慌のあおりを受け、上毛電気鉄道 本庄線は未成線に終わったのである。
上毛電気鉄道は昭和9年に本庄-伊勢崎間の鉄道敷設免許を失効している。
坂東大橋 (上流の河川敷から) 写真左が群馬県伊勢崎市、右が埼玉県本庄市。 坂東大橋の名は、坂東太郎(利根川の異名)に由来する。 伊勢崎市側の橋詰(堤防上)には、竣工時に建てられた、 坂東大橋之碑(題字は若槻禮次郎)が残る。それによると、 設計者:群馬県土木技師 木村融、桁製作:横河橋梁製作所 橋台・橋脚工事:加藤金次郎(富山県)、 橋床工事:中央土木株式会社(東京) |
曲弦ワーレントラスと橋脚 (下流の右岸から) 曲弦ワーレントラス(注2)は垂直材付き。エンドポストは 垂直である。下流側のエンドポストには銘板が確認できる。 おそらく、[昭和5年、横河橋梁製作所、製作] と記されて いるのだろう。橋脚はコンクリート製でラーメン形式。 側径間のプレートガーダー部の橋脚(下流側)は 昭和40年の橋梁拡幅工事によって大幅に改築されている。 この工事により、側径間も2車線と歩道付きになった。 |
夕暮れの坂東大橋 (上流から) 本庄市側の親柱には、なぜか阪東大橋と記された銘板が、 付けられている(注3)。側径間のプレートガーダーには [昭和5年 横河橋梁]の銘板が残っている。 この付近の利根川は、右岸へ烏川が合流した直後であり、 河原には巨大な中州が発達している。典型的な扇状地 河川であり、流路は網目状で、河床に堆積しているのは、 レキと砂礫が半々。所々に大きな黒い岩が分布しているが これは溶岩流が固まったもの。浅間山噴火の遺物である。 |
新旧の坂東大橋 坂東大橋の下流には、新しい坂東大橋を建設中である。 新旧の橋では桁厚とスパン長がまったく違う。橋梁技術は ここ70年間で大きく進歩している。新坂東大橋の主径間は 白鳥の羽ばたきをイメージしたという斜張橋(4車線)。 この新橋が完成したら、旧橋は取り壊される予定だという。 莫大な維持費がかかる訳でもないのだから、 このまま残して、橋上公園にでもしたらどうだろうか。 |
(注1)坂東大橋の右岸橋詰の日枝神社(ひえ)には、架橋紀念碑と
題された石碑が建てられている。大正12年(1923)の建立で、題字は
地元出身の社会主義学者、石川三四郎。この碑には表に
明治十七年三月架橋組合創立とあり、裏には組合員と思われる15人の
名前が記されている。おそらく、坂東大橋の前身となった橋(船橋)の架橋に
尽力した人々であろう。船橋が架かるまでは対岸の八斗島との往来は、山王堂の渡しと
呼ばれる渡船に頼っていた(八斗島と山王堂を結ぶので、八山の渡しとも称された)。
武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の児玉郡山王堂村には、
”利根川渡:伊勢崎道に属す 村の北方 利根川の上流にあり 渡船二艘 私渡”とある。
なお、坂東大橋の架橋当時、右岸側は山王堂村や沼和田村などが
合併して、児玉郡旭村となっていた。
坂東大橋が架かる前(大正時代)に設置された旭村の道路元標は
今なお残っている。また、同時期に東隣の仁手村の青年団が
設置した道標(道しるべ)には、行き先に旭村 山王堂 船橋と刻まれている。
(注2)曲弦ワーレントラスは見た目がアーチ状であり、デザイン(意匠)的に
見栄えが良いが、それだけの理由で、この形式が採用されているわけではない。
トラスの中央部は最も応力が集中する箇所だ。それに対して端部に作用する応力は
中央部よりも小さい。そこで、断面応力の分布に合わせて端部よりも
中央部の桁高を大きくした形式が、曲弦ワーレントラスである。
一方、端部と中央部の桁高が同じ形式は平行弦と呼ばれる。
曲弦ワーレントラスは構造力学的に合理的なデザイン(設計)なのだ。
そのうえ、部材(鉄)を節約することができるので経済性にも優れている。
(注3)親柱は竣工当時のものではなく、近年に改築されている。 本庄市側の親柱の銘板では、橋名は阪東大橋となっている。 [本庄市史 通史編3]には、本庄市の側では坂東大橋ではなく、 阪東大橋と表記するのが通例だったとある。 橋名は骨太の楷書体による横書き(文字は左から右へ)だが、 銘板自体はそれほど古いものではないようだ。 |