田谷堰 (田谷橋)
場所:新河岸川、埼玉県川越市宮元町 建設:昭和13年(1938)3月
形式:併設する田谷橋はコンクリート桁橋(4スパン)、長さ
8.6m、幅 2.0m
←田谷堰 (上流から) 昭和初期に実施された新河岸川の改修事業によって 建設された農業用水の取水堰。この事業は治水と利水を主眼と したものであり、利水施設として新赤間川(現在は新河岸川)には 田谷堰を含めて4基の取水堰が建設された。荒川右岸土地改良区誌 (荒川右岸用排水土地改良区、1982、p.357)によれば、最上流の堰が 田谷堰で、下流の3基は約1Km毎に配置され、城下堰、小仙波堰、滝下堰だった。 しかし、現存するのは田谷堰のみである。田谷堰は竣工当初の形態が ほぼ残っていて、ゲートは木製である。上流左岸には3つの取水口(注)も現存する。 田谷堰から上流の現在の新河岸川は、赤間川の流路を改修したもの。 赤間川は農業用水(入間川の右岸から取水)の落水を水源とする河川であり、 川越市内を東へと流れ、最終的には伊佐沼へ落ちる。昭和初期までは 赤間川は農業用水路として使われていたが、新河岸川に繋ぎ変えられて 水源を絶たれたために、赤間川下流の水量は激減した。その代替として 新河岸川に田谷堰が建設されたのである。現在、旧・赤間川は 排水専用河川であり、県道51号川越上尾線に沿って流れている。 旧・赤間川には昭和6年に建設された取水堰、伊佐沼堰が残っている。 |
↑田谷橋 (下流から) 田谷堰の堰柱の上に併設されているのが田谷橋。 橋桁の構造は4径間連続はり、桁の支承部は単純な (直線的な)ハンチではなく、アーチ状に施工されている。 橋詰には鉄管とコンクリート柱からなる袖柱(高さ0.65m)が 設けられている。これは昭和初期に埼玉県に建設された 取水堰では顕著なもの。田谷橋を設計したのは埼玉県の 技師(あるいは技手)だろう。田谷橋の下流側には 落差工が設けられている。堰の存在やゲートの操作に よって水流は乱れ、堰の下流では河床が経年劣化する。 落差工には水流を安定させ、河床が洗掘されるのを 防ぐ役割がある。 |
↑親柱と欄干 親柱は角柱(0.3m角)で、高さは1.15m。 天端は笠石風になっていて、頂部は半球体のデザインである。 親柱の側面には銘板(鋳鉄製)が現存し、施設名、竣工年と 共に河川名も記されている。河川名は新河岸川ではなく 新赤間川となっている。新河岸川の河川改修の歴史が 田谷堰には刻み込まれている。 欄干は高さ0.75m、アーチ状の開口部が連続するパターンで、 中柱風の意匠も施されている。和田橋(酒巻導水路、行田市)と 似たデザインである。田谷橋の下流左岸には見事なポプラの木が 5本あり、田谷橋のレトロな外観と融合して、素晴らしい景観を 形成している。田谷橋の周辺は川越景観百選に選ばれている。 |
(注)取水口は田谷堰の上流左岸袖壁(水路の壁)に設けられたRC樋管であり、以下の名称となっている。
二丁目用水樋管・宮下用水樋管・田谷用水樋管