八ッ島橋

 場所:中川、埼玉県北埼玉郡大利根町北大桑
 形式:鋼桁橋(4スパン)、長さ29m、幅1.5m 建設:昭和7年(1932)?

 八ッ島橋は古い歴史を持つ橋で、武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の北大桑村の項(12巻、p.424)に
 ”村道に属し村の西北 島川堀に架す 長八間巾一丈土造”とある。かつては長さ14.5m、巾3.0mの土橋
 (木造の橋で通路は土を盛って舗装)だった。ただし、土橋の頃の方が橋の幅は広かったようだ。

 八ッ島橋
↑八ッ島橋 (上流から)
 上流500mに道橋、下流700mには水門橋がある。
 橋名の八ッ島とは、この付近の小字名。八ッ島橋は、
 昭和初期に実施された羽生領用排水改良事業(国営の
 
庄内古川改修事業の終了後に展開)で建設されたと
 思われる。河川改修前は、この付近の中川は
 天神堀や島川と呼ばれていた。道橋の右岸橋詰には、
 [準用河川 島川起点]の石碑が残っている。
   桁と橋脚
  ↑桁と橋脚 (右岸から)
   主桁はH型の鋼材(0.3m×0.15m)が2本。
   刻印があるように見えるのだが、表面は錆が激しいので、
   判別がつかない。橋脚はラーメン形式。非常に細長く、
   簡素な造りである。昭和初期に埼玉県で建設された
   小規模な鋼桁橋の特徴がよく表れている。→
古レールのアーチ橋
   なお、この地点から1Km上流にある板橋の橋脚は八ッ島橋と
   同じ形式である(桁と欄干は改修されている)。

 八ッ島橋
↑八ッ島橋 (下流から)
 幅員が1.5mなので、自動車の通行は不可能である。
 現在は地域の生活道路として、歩行者と農耕車輌専用の
 橋として利用されている。
 八ッ島橋の下流100mでは、
午の堀川が右岸へ合流する。

   親柱と欄干
  ↑親柱と欄干
  親柱(0.3m角、高さ0.7m)の側面には装飾が施されている。
  銘板は紛失している。
  欄干は鉄パイプ製で高さ0.7m(地覆0.1mを含む)。
  床版はコンクリート板(幅0.23、厚さ0.13m、長さ1.5m)を
  並べたもの。昭和初期の小橋梁に顕著な方式で、
方塊造と呼ばれた。

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