新・槐堀川の古い橋 (その1) (2) (3)
撮影地:新・槐堀川(さいかちほり)、埼玉県羽生市(はにゅう)、加須市(かぞ) [新・槐堀川について]
新・槐堀川は羽生市と加須市の水田地帯の中を、農業排水を集めて流れる。
川を横断する道路の大半は農道であるが、そこには古いコンクリート橋(RCのT形桁橋)が数多く残っている。
これらは昭和初期の中川の改修工事(この付近の中川は改修前は、島川や天神堀と呼ばれた)の後を受けた、
県営の救農土木事業、土地改良事業(羽生領用悪水路の改修工事)などで建設されたと思われる。
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広川橋 (上流から撮影) 場所:羽生市三田ケ谷 建設:不明、昭和10年(1935)前後? 形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン) 長さ 9.7m(歩測)、幅 2.2m、欄干高 0.25m、親柱高 0.4m 新・槐堀川の起点から800m下流、 県道84号羽生栗橋線の三田ケ谷交差点付近にある橋。 上流100mには地方道366号線の新・広川橋が架かっているので、 本橋の架かる路線が旧道であったと思われる。 橋のデザインは、近隣の中川や午の堀川などで見られる 昭和初期に典型的なもの。ただし、装飾的な要素はなく、 コンクリート打ち放しの簡素な仕上げである。 桁の側面には持ち送りもない。 写真奥の森は、この地方に特有な農家の屋敷林。 屋敷林は赤城おろし(冬の季節風)に対する防風林である。 |
弁天橋 (上流から撮影) 場所:羽生市三田ケ谷〜加須市戸川 建設:昭和12年(1937) 形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン) 長さ 10.5m(歩測)、幅 3.2m、欄干高 0.65m、親柱高0.85m 県道84号羽生栗橋線の傍らにある橋。 右岸には村社厳島神社跡の碑(大正2年に建立)が残る。 本橋の名は、この厳島神社に弁天様の祠があったことに 由来するようだ。右岸の橋詰には、弁天橋架橋由来記 (昭和15年建立)と題された石碑も残っている。 それには、弁天橋の起源は明治44年(1911)に架橋された 板橋であり、その後、昭和7年の救農土木事業として幅員が 拡張され、昭和12年の羽生領用悪水路改修工事によって、 現在のコンクリート橋となったと記されている。 |
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名称不明の橋 (上流から撮影) 場所:加須市町屋新田 建設:昭和10年(1935)前後? 形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン) 長さ 9.3m(歩測)、幅 2.2m、欄干高 0.25m、親柱高 0.35m この橋は、弁天橋の下流300mに位置する。 入沼橋の下流150mにあるので、名称は旧・入沼橋であろうか。 橋のデザインは広川橋とほぼ同じである。 欄干(地覆に近い)には長方形の開口部(0.3m×0.15m)が 設けられている。 親柱には銘板が付けられていた形跡はない。 なお、この橋が架けられた当時、この付近は 北埼玉郡樋遣川村だった。 樋遣川村の道路元標は今も残っている。 |