和田吉野川 〜 農耕地連絡橋2号の周辺 [和田吉野川のページ一覧]
埼玉県大里郡大里町玉作(たまつくり)、小八林(こやつばやし) 和田吉野川
(注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。
↑石仏群(大里町玉作) 玉作水門から300m下流の右岸堤防の裾に祀られている。 左から馬頭尊(元治?元年:1864)、庚申塔(享保十八年: 1733)、奉納供養(享保十五年:1730)。馬頭尊には願主 津田村 須藤某、庚申塔には施主 相上村 矢嶋某と 記されている。ここから100m上流の右岸堤防裾にも石仏群。 |
↑和田吉野川から見た荒川(右岸堤防から) 玉作水門から300m下流。農耕地連絡橋(冠水橋)を渡り、 和田吉野川の左岸堤防(荒川との瀬割堤)を越えると、 眼前には荒川の河川敷が広がる。 対岸(荒川の左岸堤防)までは1Km以上もある。 荒川の河川敷内には、旧河道の跡に河畔林が形成されている。 |
↑荒川の右岸堤防 和田吉野川の右岸堤防でもある。堤防の高さは5〜6m位は ありそうだ。この付近の地形は低地だが、標高は 堤外地(河川敷)の方が堤内地よりも2〜3m高い。 |
↑冠水橋の周辺(右岸上流から) 写真中央が農耕地連絡橋2号(冠水橋)。河川改修で 分断されてしまった農地への連絡橋。写真上部は、豊廼樋管と 大芦橋。さらに下流には吉見橋、荒川水管橋がある。 |
↑和田吉野川の導流堤(下流から) 大里町小八林 大芦橋の上から撮影。この付近では荒川は大里町の側へ 大きく蛇行していた。導流堤の東側(写真の右方向)には 荒川の旧河道跡が残り、それが大里町と吹上町との 字界となっている。 |
↑豊廼樋管(川裏から) 大里町小八林 豊廼は[ふだい]と読むのだろうか?廼は迺の俗字だそうだ。 日本家屋風のちょっと変った形の上屋が乗せられた樋管。 大雨の時には豊廼排水機場(県管理)から豊廼樋管を経て 和田吉野川へポンプ排水する。 |