霊台橋 (れいたいきょう)  - 国指定重要文化財 -

 場所:下益城郡砥用町(ともち)大字清水
 架橋:弘化4年(1847) 石工:卯助、宇一、丈八(橋本勘五郎)ら72人、大工:万助、伴七、延べ4万4千人
 長さ:89.9m 幅:5.4m 高さ:16.0m 径間(スパン):28.4m 拱矢(こうし):14.2m

 国道218号のすぐ脇にある、砥用町が誇る日本最大の石橋(単一アーチスパン)です。
 霊台橋は、砥用の総庄屋 篠原善兵衛(ささわら ぜんべえ)の発案のもと、
 石工たちが、わずか10月!で完成させたとされています。
 (なんと石積み工事には、たったの5月! 現代の橋梁工事より圧倒的に早いぞ・・)

 1960年代まで国道として使われていましたが、現在では脇に橋が架けられ国道はそちらを通るようになりました。
 長年のバスやトラックの通行にも、石組みにはゆがみずれは見られず、半円の華麗なアーチを保っています。
 霊台橋の周辺は霊台公園として整備されていて、水辺まで降りられるようになっています。

    霊台橋(全景)  橋の中央部分が、やや高くなっています。
 文化財に指定される前は、橋の上は平坦だった
 そうです。(明治時代に石が積み足されていた)
 その石を取り除き、建設当初の姿に戻されています。

 アーチ部分は見事な半円です(径間/拱矢=2.0ですよ!)
 これは石工の技はもちろんのこと、万助、伴七(大工の棟梁)
 による正確な測量があったから可能になったのです。
 伴七は、霊台橋建設の功績により、苗字帯刀となり、
 のちに茂見伴右衛門と名を改めました。市立熊本博物館には、
 茂見伴右衛門使用の測量器具類も所蔵されています。

 霊台橋の下に流れるのが緑川。
 強固そうな岩盤が、あちこちに見られます。
 この一帯は船津渓谷。
 この渓谷の名をとって霊台橋は
 船津橋とも呼ばれたようです。


 霊台橋(控えの石垣)
 両岸には、橋脚部の強度を増すために
 控えの石垣が築かれています。
    霊台橋(新旧アーチの競演)
     新(国道の鋼アーチ橋)、旧(霊台橋)のアーチの競演。
     明らかに霊台橋の描くアーチの圧勝でしょう(^o^)v
     鋼アーチ橋の寿命は、せいぜい50年だしね(笑)
     近代の科学技術を総動員した鋼橋のくせに、
     霊台橋よりも先に逝ってしまうのさ(爆)

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