第4回 緑川流域の石橋 〜 石工・橋本勘五郎の足跡を訪ねて 最終更新日:2002/11/11
今回の取材地:熊本県は日本で一番、石橋の多い県で、全国にある石橋の約半数が、ここに集中しているそうです。
そもそも、石橋の設計・架設技術は、1600年代中頃に円周率とともに、オランダ人によって長崎に伝えられたようです。
この極秘技術を藤原林七という人が肥後へ持ち帰ったのが、新たな歴史の始まりでした。
種山村(現在の八代郡東陽村)に住んでいた種山石工(たねやまいしく)たちが、これを匠の次元へと昇華させたのでした。
熊本県に数多くの石橋が架けられた要因は、優れた技術者集団(石工)がいたことに加え、
地形の制約:谷が深く流れが急な川に、橋脚を立てるのは困難であるし、橋脚数が増えしかも長くなってしまう
橋の形式:橋脚のある橋だと洪水で流される可能性が高いので、橋の形はアーチ橋が望ましい
最適な石材:豊富に存在する阿蘇溶岩は割りやすく適度な強度をもち、石積みの建材として適切であった
であると言われています。
今回は、種山石工を代表する名工・橋本勘五郎が、緑川流域に残した石橋を中心に紹介します。
これらの橋は、江戸末期から明治前期に架けられた橋梁・土木技術の最高傑作です。
■ 緑川流域の石橋 |
熊本県の緑川流域には、大小約60もの石橋が存在しています。 どの橋も実用性を重視した素朴な造りで、約200年前に架けられた古い石橋も残っています。 形式は大半が単一スパンのアーチ橋ですが、ニ連アーチの石橋(めがね橋)もあります。 山間部の深く険しい谷に、通潤橋や霊台橋が、小山のようにそびえ立つ姿は圧巻!です。 |
石橋の分布図 今回、取材した範囲です(赤の箇所が全て石橋!) |
御船町 | 下鶴橋 八勢橋、小橋、水路橋 |
矢部町 | 夕尺橋、滑川橋 立野橋、金内橋 通潤橋(日本最大の石造り水路橋) 聖橋 山中橋 |
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砥用町 | 雄亀滝橋(水路橋) 霊台橋(日本最大の石橋) 大窪橋 馬門橋 |
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中央町 | ニ俣橋 | |
番外 | 洗玉橋(福岡県八女郡上陽町) |
場所: 熊本県上益城郡(かみましき)御船町(みふね)、矢部町、下益城郡砥用町(ともち)、中央町
位置関係(距離は目安): 九州自動車道・御船IC→(R445)15km:下鶴橋→〃5km:山中橋→〃5km:立野橋
→〃1km:金内橋→〃8km:通潤橋→(R218)15km:霊台橋→〃3km:大窪橋→〃20km:松橋IC
■ 取材後記 〜 how does it feel, like a rolling stone? | ||
江戸時代も終わり頃、肥後の山村で、次々と日本最大の石橋が建設されたという事実。 それも幕府や藩によってではなく、村の庄屋の発案の下、腕利きの石工たちの活躍で... 一方、山中橋のように生活空間に調和し溶け込んでいる、多数の小さな橋の存在。 今回の取材は、かの地でそれらを実際に目で見ることができ、とても有意義でした。 さて、次はどこを取材しましょうか? by T.K. 農林通信員 from Fukuoka City おまけ(取材裏話) 参考文献 |