中ノ目堤

 
所在地:星川の左岸、埼玉県北埼玉郡騎西町中ノ目〜戸室

 
中ノ目堤とは星川(見沼代用水)の左岸に残る旧堤防。現在は道路として使われているが、
 騎西町中ノ目の八幡神社付近から戸室の星川水管橋付近まで約1.2Kmに渡って、
 堤防の形がはっきりと残っている。中ノ目堤は星川の本堤(左岸堤防)ではなく、控堤だったようである。
 ただし、平面形状は本堤と並行した二線堤であり、村囲みの控堤に顕著な横堤型(本堤に対して直角に
 堤内地(住宅地の側)に向かって延びたもの)ではない。
 地元では中ノ目堤または二番堤と呼ばれているが、武蔵国郡村誌の中之目村(12巻、p.304)には、
 星川大堤および小堤と記述されている。大堤が中ノ目堤に相当するようである。
 星川大堤の記述を以下に要約する。”星川に沿ひ村の西方上会下村界より東の方戸室村界に
 至る長10町(約1090m)、馬踏2間(天端幅が約3.6m)、堤敷5間(堤防敷の幅が約9.1m)、修繕費用は官に属す”
 騎西町には中ノ目堤以外にも、星川の旧堤防や蛇行跡の沼地があちこちに残っている。
 例えば、中ノ目堤の対岸にある騎西風の里や芋茎地区の沼地は、星川の河跡である。

 中ノ目堤
↑中ノ目堤(上流から) 騎西町中ノ目
 榎戸橋から北西へ300mの付近、押出〜沼端地区。
 写真の上部に見えるのが星川の左岸堤防(本堤)。
 右岸に比べて星川の左岸は明らかに地盤の標高が低い。
 この付近は旧字名が示すとおり、星川が氾濫し堤防が
 決壊したのだろう。本堤と中ノ目堤の間の旧河川敷は、
 流作場(遊水地を兼ねた農地)だったが、かつては
 工事用として砂の採掘が盛んだったそうだ。
   中ノ目堤
  ↑中ノ目堤(下流から) 騎西町中ノ目
   左の写真から東へ200mの付近。この付近が中ノ目堤の
   形態が最も良く残っている。しかし予備知識がないと、
   単なる農道にしか見えない。現況の天端幅は約3.1m、
   敷幅は約8m、比高は約1.5m。規模は昭和初期から、
   ほとんど変わっていないという。堤防は頻繁に蛇行を繰り返している。
   旧堤防に特有な形態だ。氾濫により形成された自然堤防の上に、
   長い年月をかけ盛土を繰り返して、堤防を築いたのだろう。

 中ノ目堤に祀られた石仏群
↑中ノ目堤に祀られた石仏群(上流から) 騎西町中ノ目
 八幡神社の付近には道祖神が2体(享和年間と
 昭和12年建立)と供養塔が祀られている。
 中ノ目堤が往来の多い街道であったことが偲ばれる。

   おおぎょう塚の付近
  ↑おおぎょう塚の付近(上流から) 騎西町戸室
   榎戸橋から北東へ300mの地点。おおぎょう塚には旅の行者が
   入定(入滅、悟りを開いた僧が死ぬこと)した伝説が残っている。
   これと似たような史跡が上崎地区の
入定塚にも残っている。

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