騎西領用水分水工の周辺

 騎西領用水路
↑騎西領用水路(上流から撮影)
 始点から500m付近の様子。地元では、新川用水
 (にっかわ)と呼ばれている。水路は長方形断面、
 水路幅は約6m(歩測)。新川用水は会の川の派川跡を
 利用した用水路なので、沿線には自然堤防が形成され、
 水路は微高地に設けられている。
 周囲には水田が広がるが、田面との比高は約2.5mある。
 右岸には、水と緑のふれあいロード(歩行者、自転車道)が
 整備されている。これは騎西町から加須市、
 鷲宮町、久喜市を経由して宮代町まで続く。
  水神宮
 ↑水神宮
  かつての騎西領用水元圦、
  
三間樋の脇のユリの木の
  根元に建てられている。
  文政八年(1825)の銘あり。
  見沼代用水の沿線では、
  神社や祠(
水神、弁才天)が
  数多く見られる。水の神様に
  川の鎮静を祈願したもの。

 見沼代用水路と南用水路
↑見沼代用水路と南用水路(左岸から撮影)
 騎西領用水分水工から下流へ300m付近の様子。
 写真の奥に見えるのが見沼代用水路。手前が騎西領用水の
 支線である南用水路。民家は見沼代用水路の周辺の
 微高地に連なっている。写真の左上、見沼代用水路と
 南用水路の間に見える木立が入定塚。

  入定塚
 ↑入定塚(にゅうじょうつか) 騎西町上崎
  騎西領用水分水工の下流400m左岸には、
  周囲20m、高さ2mの土盛があり、地元では
  入定塚と呼ばれている。入定とは入滅(悟りを
  開いた僧が死ぬこと)。この入定塚は僧侶ではなく、
  一般人である、お婆さんが生き入定したのだと
  伝えられている。騎西町戸室にも似たような伝承を
  持つ
、おおぎょう塚がある。入定塚の頂上には
  延宝三年(1675)の銘がある大日如来像が祀られている。
  見沼代用水が開削される(1728年)以前から、ここに居る。

 落合門樋
↑落合門樋 (おちあいもんぴ)
 所在地:北埼玉郡騎西町外田ケ谷(落合橋の左岸上流)
       (騎西領用水分水工から上流へ1Kmの地点)

 かつて落合橋の袂には、落合河岸(見沼通船会社の
 第三会社)が置かれていて、舟運の荷物の積み下しなどが
 行なわれていたが、鉄道開通や道路網の整備に伴い、
 明治30年頃には廃止されている。
 
落合門樋は、見沼代用水からの逆流を防止する目的で、
 明治36年(1903)に造られたレンガ造りの水門。アーチ橋を
 兼用した意匠であり、親柱を意識した塔が設けられている。
 明治期、この周辺では見沼代用水に関連した水利構造物の
 多くが、当時のハイテク素材だったレンガで改良されている。
 
源兵衛門樋(行田市、見沼代用水、1903年) 二本松圦
(行田市、見沼代用水) 
関根門樋(行田市、関根落、1902年)
 
弁天門樋(行田市、旧忍川、1905年)
 
小針落伏越(行田市〜川里町、旧忍川、1914年)

   旧忍川分水工
 ↑旧忍川分水工
  撮影地:北埼玉郡川里町赤城、
北根堰から撮影
       (騎西領用水分水工から上流へ2.2Kmの右岸)

  旧忍川と見沼代用水が合流する地点に設けられている。
  かつて旧忍川は、見沼代用水との間で見沼通船の舟が
  往来したこともあったが、現在は廃川である。
  写真の手前が旧忍川、奥が見沼代用水の右岸。
  取水用:鋼製スライドゲート 幅0.6×高2.7m、1門
  排水用:鋼製ローラーゲート 幅2.5×高2.7m、2門
  この分水工によって、かんがい期には旧忍川に
  用水が導水される。なお、旧忍川は、ここから
  100m西側で長野落と交差していて、そこには
  昭和8年(1933)竣工の
長野落伏越が設けられている。
  旧忍川の下を長野落が伏越(サイフォン)で横断している。

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