福川樋門

 所在地:行田市北河原、福川  建設:1920年

 福川樋門は利根川からの洪水の逆流を防止する目的で、福川に設置されていた樋門である。
 内務省による利根川の第3期改修工事(1909-1930)の特殊工事として建設された。
 観音開き形式のゲートを備えた三連アーチ(幅3.6m、高さ4.5m)の樋門であった。
 意匠的には優れた構造物で、アーチ部にはくさび石が設けられ、水切りと隅石にも
 石材を豊富に使った装飾が施されていた。利根川百年史(建設省関東地方建設局編、1987)の
 p.654とp.1001に、福川樋門の図面が掲載されている。

 福川樋門は埼玉県で最後に建設された煉瓦造り樋門だとされているが(→文献1
 それは誤りである。福川樋門の外見は煉瓦造りだったが、内部は鉄筋コンクリート構造であり
 (いわゆる鉄筋煉瓦工法)、煉瓦は表面に装飾として貼られていたにすぎない。
 この形式の樋門は埼玉県では昭和初期になっても数基が建設されている。
 なお、純粋な煉瓦造りの水門としては、大正6年(1917)に竣工した、男沼樋門(妻沼町、利根川)が
 埼玉県では最後のものだと思われる。(→埼玉県最期の煉瓦樋門

 福川樋門の銘板  ←福川樋門の銘板
 福川の右岸堤防(福川水門と
酒巻導水路樋管の間)に
 設けられている。昭和54年(1979)建立の銘あり。
 銘板は花崗岩で造られた幅1m、高さ0.3mの立派なもの。
 大正九年竣功と刻まれている。

 利根川の第3期改修工事では中条堤と酒巻・瀬戸井の
 狭窄部が廃止され、福川・利根川は連続堤防となった。
 これは、
中条堤を基本とした利根川中流部の
 遊水機能の撤廃を意味する。

 福川水門

 ←現在の福川水門(右岸上流から)
 1979年3月竣工、関東地方建設局、施工:佐藤工業
 管理者:利根川上流工事事務所
 幅60.0m、高さ10.8m、長さ18.5m
 ローラーゲート(幅20m、高さ10.8m)3門
 福川水門の規模は福川樋門とは、比べものに
 ならない位大きい。福川は改修されて川幅が広くなったので、
 福川樋門の通水断面では、洪水の流下に支障をきたしていた。

 福川はこの地点から700m下流で、
 利根川の右岸へ合流する。
 写真の下流には、
利根大堰が見える。
 1980年頃までは、福川はこの直上流で、
 利根川に合流していた。
 アーバンクボタ、No.19、1981の表紙の写真は、
 その当時の福川合流地点の空撮である。
 建設中の福川水門の上流には、福川樋門も写っている。

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