第6回 埼玉県の煉瓦水門 〜 レンガ造りの樋門・樋管、伏越、掛樋   改訂52版:2008/10/01

煉瓦を使った樋門・樋管等(河川構造物)は、明治中期から昭和初期にかけての約40年間に、
関東地方を中心に建設され、埼玉県には250基以上(関東全体の約85%)が作られました。
2002年4月現在、埼玉県では87基(一部残存と東京都に建設の1基を含む)が確認でき、
現存数は圧倒的に日本一です(第2位は千葉県か岡山県だと思われるが、現存数は10基に満たない)。

埼玉県に煉瓦造りの樋門・樋管等が数多く作られた理由は、以下のとおりです。
埼玉県の地形と利水・治水の背景
  荒川と中川周辺の低地では、古くから用排水路や堤防が整備され、多くの樋門等があった(領という組織の存在
頻発した水害の復旧、治水対策
  明治23年(1890)、29年、40年、43年などの洪水で破壊された樋門(木製)の修復年度別の建設数文献1
日本初の機械式煉瓦工場の存在
  明治20年(1887)、地元の深谷市日本煉瓦製造会社が設立され、良質な煉瓦の大量供給が可能になった
行政による地元産業の育成、煉瓦樋門建設への支援
  樋門の改良工事(木製から煉瓦造り)に、埼玉県は高率の県税補助金(建設費の約50〜60%)を出した。
  また埼玉県は近代的な土木工事に対応できるようにと、明治初期から技術者の育成制度を設けていた。

これらの煉瓦水門は埼玉県の土木事業としてではなく、受益者(地元民や水利組合)が立案、申請して、
埼玉県の技術指導のもとで建設されました。あるものは、排水施設(自然排水)として堀や落しに設けられ、
沼沢地が多く低湿地だった埼玉平野を穀倉地帯に変貌させました。また農業用水の取水施設として食料増産に
寄与し、あるいは堅牢な治水施設として洪水時の湛水被害を防ぎました。先人が水と闘った証しといえます。
一方では、日本が急激な近代化を遂げた時代に、県南の一部地区を除いては農業以外には目立った産業の
なかった埼玉県において、煉瓦というハイテクな地場産業は、地域活性化の一翼も担っていたのです。
今回は埼玉県に数多く残る、田んぼの中の文明開化、煉瓦造りの樋門・樋管、堰、伏越、掛樋を紹介します。
4連アーチ構造の華麗なもの、橋梁の親柱のような塔を持つもの、凝った装飾が施されたもの等、
どれも個性豊かです。現代の河川構造物が失ってしまった、見られることを意識した造形がそこにはあります。

(追補)埼玉県の煉瓦水門の多くは、土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
 特に倉松落大口逆除、天神沼樋、弐郷半領猿又閘門は、Aランク(国の重要文化財相当)と評価されている。
 →日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。


 煉瓦水門の分布図 (日本の近代化遺産、伊東孝、岩波新書を訂正) ●:樋管、門樋 ●:堰 ●:その他  閲覧する方へ(サイトマップ)
 高畑樋管の川裏    高畑樋管の川裏  〜 煉瓦樋門建設史 〜 建設年別の分布

 〜 水系別の分布 〜 市町村別の分布

 〜 石造り、埼玉県外の煉瓦水門

 ◇ 構造形式での分類 アーチの組み方

 ◇ 樋門の装飾 天端の煉瓦積み

 ◇ ゲートの形式 銘板の特徴

 ◆ 樋門各部の名称と材料

 ◆ 煉瓦の積み方 変則積み 刻印煉瓦

 ◆ 機械抜きと手抜き 異形煉瓦と加工煉瓦

 ◆ 煉瓦樋門全般に関する注釈
   
区分 施設名 所在地 建設年 用途 通水断面 ゲート 煉瓦 天端 特徴
樋門
樋管
門樋
(43)
村岡樋管 熊谷市、吉見堰用水 1891 用水 アーチ     1鋸     呑口改修、鋸状装飾、要石
名称不明   〃 、荒川(旧堤) 不明 排水 アーチ2 ×   2c     埋没、JR高崎線と秩父鉄道を横断
杣殿樋管 熊谷市〜行田市、忍川 1903 排水 ×     1 1   隅石、樋管長の割に長すぎる翼壁
北河原用水元圦 行田市、中条堤(福川右岸) 1903 用水 アーチ2-1 ○刻   2a 4   現存最大、塔に鋸状装飾、竪積み
辯天門樋   〃 、旧忍川 1905 排水 アーチ マ→引 ◎刻 3b迫 3 曲面を多用した造形、難度の高い施工
落合門樋 騎西町、見沼代用水 1903 排水 アーチ × ○刻   2a 4   埋没、騎西町指定史跡、源兵衛門樋と同一
三間樋   〃 、新川用水(見沼代) 1902 用水 アーチ3-1       4   廃棄され完全に地下に埋没
榎戸堰組合用水樋管 吹上町、元荒川 1901 用水 アーチ   1迫 4   旧中山道、大きな塔(銘板付き)、状態良
笠原樋 鴻巣市、元荒川 1905 用水     2a     下水の集水マスに改造
皿田樋管 蓮田市、元荒川 1903 排水 ×   3a   堤防に対して斜めに設置、石の門柱
新久保用水樋管 菖蒲町、備前堀川 1915 排水   2b迫 2   1つの銘板に名前と竣工年、吐口改修
新圦 幸手市、中川(旧堤) 1905 用水 ×   2a迫   権現堂川用水の元圦、装飾的な隅石
米ノ谷樋管 杉戸町、中川(旧堤) 1897 排水 引→巻   2a     現存最古の箱型、呑口・吐口改修、石の門柱
四箇村水閘 春日部市、中川 1896 排水 アーチ     2a鋸     鋸状装飾、赤煉瓦造りでは現存最古、状態良
倉松落大口逆除   〃  、旧倉松落 1891 排水 アーチ4 ◎黒   4迫鋸     鋸状装飾(翼壁)、竪積み、石碑
五ヶ門樋 庄和町、中川 1892 排水 アーチ × ○黒   1迫歯     歯状装飾、竪積み、隅石、1文字毎の銘板
谷古田領元圦 越谷市、葛西用水(逆川) 1891 用水 アーチ ?→巻 ◎黒   2a     現存最古、呑口改修、翼壁に分水口
坂東樋管 吉見町、横見川 1905 用水     笠石   呑口改修、樋門の天端が切石
永府門樋   〃 、市野川用水 1901 排水 箱2 ×     2a鋸     現存唯一の箱型2連、鋸状装飾、隅石
永傳樋管 東松山市、都幾川 1901 用水     2a     ゲートの戸当りも煉瓦造り
高畑樋管   〃    〃 1903 用水 刻?手 2a 2 呑口改修、裏積の煉瓦が小谷煉瓦
奈目曽樋管   〃    〃 1903 用水 刻手 2a 2 呑口改修、〃、高畑樋管と同一デザイン
矢来門樋   〃    〃 1903 排水 刻手 2a     隅石、木製スウィングゲート、 〃
前吐樋管   〃    〃 1903 排水 巻、フ   2a迫   使用煉瓦数最小、銘板なし
前樋管   〃    〃 1903 用水 2a迫   前吐樋管に連結して設置
三原樋管   〃    〃 1902 排水     1迫   小型だが土被り・延長大
四反田樋管   〃    〃 1905 用水     2a   呑口改修
小剣樋管   〃    〃 1914 排水 2a 4 隅石、ゲート改修、状態良
鎌田樋管   〃 、九十九川 1899 用水     1迫     土被り・延長大、石の門柱(柱に竣工年)
京塚樋管 川島町、長楽用水(都幾川) 1903 排水     2a 2 状態良
山王樋管   〃    〃 1901 用水 アーチ ○?   1迫     吐口改修
吉根樋管 坂戸市、高麗川 1898 用水     1迫     呑口改修、部分的に黒い煉瓦
笹原門樋 川越市、八幡川? 1901 排水 アーチ ?→巻 ○刻   2a歯 2   歯状装飾、吐口改修
三軒家樋管   〃 、新河岸川放水路 1910 排水 アーチ1-2   2a     隅石、1文字毎の銘板
千貫樋 さいたま市、荒川(旧堤) 1904 排水 アーチ2 ×   3c迫   隅石、迫受石、1文字毎の銘板、水郷公園に保存
水越門樋 富士見市、新河岸川(旧堤) 1904 排水 アーチ × ○刻   2a   隅石、樋管改造、状態良
山形樋管   〃    〃 1904 排水   2a   翼壁天端が水平、石の門柱
大小合併門樋 志木市、新河岸川(旧堤) 1898 排水 アーチ 1迫歯     歯状装飾、隅石
北美圦樋   〃    〃 1899 排水   3d迫     煉瓦造りの管理台、隅石、面壁天端に銘板
新田圦樋   〃    〃 1900 排水   3d迫     面壁天端が石材(銘板)
甚左衛門堰枠 草加市、伝右川 1894 排水 アーチ2 角→巻 ○黒   2a鋸 2   隅石、迫受石、鋸状装飾(塔と天端)、県指定史跡
二郷半領用水逃樋 三郷市、第二大場川 1912 排水 アーチ   2a迫 × 樋管上部は県道、関係者の銘板
二郷半領不動堀樋   〃    〃 1914 排水 アーチ   2a迫      〃     、管理台、現存最大のアーチ径

(9)
矢島堰 深谷市、小山川 1926? 用水 21連?     笠石     1966年に改修。煉瓦と笠石が残る
秋葉前堰 熊谷市、成田堰用水 1903 用水 1門   笠石     側壁が曲面、笠石
松原堰 行田市 1901 用水 1門 ×   小曲 1     埋没、側壁が曲面、石の門柱、石碑
堂前堰   〃 1901 用水 1門 ×   小曲 2a     埋没、側壁が曲面、石の門柱、石碑
三ッ木堰 鴻巣市、元荒川 1902 用水 4門 角→引         全面改修、側壁が曲面
古笊田堰 久喜市、備前堀川 1909 用水 5門 角→引     3a迫   ゲート部改修、両岸に取水口、状態良
大島新田関枠 杉戸町、安戸落 1897 排水? 3門     2a     銘板に設計者名、石碑
庄兵衛堰枠 白岡町、庄兵衛堀川 1907 用水 2門   3a迫   埋没、テラス状の装飾
沼口門樋 川越市、伊佐沼 1905 用水 2門 巻→×     2a     石造りの堰柱
その他
(5)
小針落伏越 行田市〜川里町、小針落 1914 排水 アーチ - ◎刻   3a迫   旧忍川を横断、野通川の起点、石碑
阻水エン塔 吉見町、大沼 1904 用水 ○刻   2a     取水塔、土被り・延長大
天神沼樋   〃 、天神沼 1903 用排水 卵形 - 小曲 2c 2   呑口:楕円集水枡、吐口:樋門構造、曲面翼壁
長楽用水掛樋 川島町、長楽用水(都幾川) 1897 用水 -           長楽用水を横断、石造水路、煉瓦橋台
弐郷半領猿又閘門 東京都葛飾区、大場川 1909 閘門 アーチ3-5 ○黒   3a迫   管理台、埼玉県が建設、アーチ部に黒い煉瓦
一部
残存
(30)
旧・矢島堰 深谷市、備前渠用水(小山川) 1897 用水 3門 ×         撤去、側壁と堰柱残存、埼玉県で最初の堰、石碑
男沼樋門 妻沼町、利根川 1917 排水 アーチ             全面改修、銘板残存、石碑
福川樋門 行田市、福川 1920 排水 アーチ3             全面改修、銘板残存
久保樋   〃 1901 排水           撤去、銘板とゲート巻き上げ台残存、石碑
源兵衛門樋   〃、見沼代用水 1903 排水 アーチ ×       2   全面改修、塔残存
二本松圦   〃   〃 不明 用水 アーチ       ×   撤去、煉瓦散在
関根門樋   〃、関根落 1902 排水 アーチ ×       1   撤去、塔残存
宮田落し伏越 羽生市、宮田落〜中川の起点 1900 排水 アーチ -           全面改修、銘板残存。葛西用水を横断
岩瀬悪水圦   〃、岩瀬落 1900 排水 アーチ -           全面改修、銘板残存。葛西用水を横断
北方用水掛渡樋   〃、埼玉用水(羽生領) 1908 用水 -     × 全面改修、橋台橋脚残存。旧葛西用水を横断
島中領排水機場 幸手市、権現堂川 1909 排水               撤去、銘板残存、石碑
万年堰 宮代町、備前前堀川 1902 用水 3門   2a   全面改修、水切り、銘板残存、石碑
宝珠花閘門 庄和町、江戸川 1920 陸閘               撤去、銘板残存
下柳永沼排水機場   〃、中川 1907 排水             撤去、金町煉瓦の刻印煉瓦
小佐衛門前伏越 吉川市、木売落 1910 排水 箱2 -           全面改修、銘板残存
榎戸堰 吹上町、元荒川 1903 用水 3門 角→巻 刻?   3a迫   全面改修、側壁と水切り残存、隅石、顕彰碑
宮地堰 鴻巣市、元荒川 1901 用水 6門           全面改修、側壁と堰柱、銘板残存
笠原堰   〃    〃 1902 用水 5門     2a     撤去、側壁と水切り残存、側壁が曲面、供養塔
圦ノ上堰   〃    〃 1905 用水? 2門             全面改修、門柱?残存
小竹堰 菖蒲町、元荒川 1909 用水 5門           撤去、堰柱残存
名称不明   〃、栢間赤堀 不明 排水             煉瓦土管
末田用水圦樋 岩槻市、元荒川 1915 用水 アーチ2-1         × 全面改修、銘板残存、石碑
八幡堰 伊奈町、綾瀬川 1899 用水 3門       1     撤去、樋管・取水路?残存、石碑
瓦葺掛樋 蓮田市〜上尾市、見沼代用水 1908 用水 -       撤去、橋台残存。綾瀬川を横断、石碑
〆切掛渡井 さいたま市、加田屋川 1895 用水 -         全面改修、煉瓦残存。見沼代(東縁)
横見堰 大里町、和田吉野川 1900 用水 3門           全面改修、堰柱、銘板残存
五反田堰 吉見町、横見川 1898 用水 3門           全面改修、旧堰の煉瓦散在
文覚門樋   〃 、文覚排水路 1893 排水 アーチ2             撤去、煉瓦残存
乗越門樋 富士見市、新河岸川 1899 排水 アーチ             撤去、銘板、煉瓦残存
いろは樋 志木市、新河岸川 1903 用水 鉄管 -           撤去、水槽残存。新河岸川を横断する伏越


凡例

 1997年  改築: 田外圦樋(岡部町、針ケ谷排水路、1896年)、真栄樋管(大里村、相上堤、和田吉野川の控堤、1896年)
 以降に  撤去: 中堤樋(行田市、小針導水路、1903年)

[ゲート]

 現況のゲート形式(→の前が建設当初で後ろが現況あるいは撤去時の形式。空白は確認不可)
 
:マイターゲート(観音開き) :スイングゲート :フラップゲート
 
:角落し(木製の嵌めこみ式) :引上げ式(スルース) :巻き上げ式(スルース)
 
起伏ゲート  構造上、ゲートはない  ×:ゲートがないか、あっても使用不可

[煉瓦]

 :樋門全体が煉瓦だけで造られているもの  :樋門は煉瓦構造だが部分的(戸当り、隅部)に石が使われているもの
 刻刻印煉瓦(上敷免製)が確認できるもの   手:手抜き成形の煉瓦が使われているもの
 黒:非・赤煉瓦が使われているもの(以外の樋門には、赤煉瓦が使われている)

[翼]

 :翼壁の天端付近の煉瓦が変則積み(イギリス積みではなく、長手の縦で積んである)
 小:翼壁または袖壁に小口積み(面壁はイギリス積み) :翼壁または袖壁が曲面施工されている

[天端]

 英数字は、面壁・翼壁天端の段数(数字)、煉瓦の積み方(英字)。
 
    1:小口縦(小口の横積みは存在しない)  4:小口縦-長手横-角-長手横
    2a:小口縦-長手横、2b:小口横-長手横、2c:小口縦-小口横
    3a:小口縦-長手横-小口横、3b:小口縦-長手横-長手横、3c:小口縦-小口横-長手横、3d:小口横-長手横-長手横
 漢字は
装飾のタイプ
    鋸:鋸状の装飾、:歯状の装飾、:段毎に迫り出し(2段は小口と長手が異なる迫り出しをしているもの)

[塔]

数字は現存する塔の数、×は塔が設けられていたが現存しない
[設] :埼玉県立文書館(http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BA18/top.html)に設計原図が保管されている煉瓦樋門
(注)施設名、建設年は樋門の銘板から読み取った(銘板が現存しないものは、埼玉県行政文書による)。
  ◆
埼玉県の煉瓦樋門建設(概略史)  ◆ 写真の見られる文献  ◆参考文献の一覧

謝辞:本ページの存在は是永定美氏の一連の研究(→文献1)に負うところが多大である。この場を借りて深く感謝を表したい。


 編集後記  another brick in the wall
北河原用水元圦の銘板  赤煉瓦の構造物がやたら目につきました。都幾川の冠水橋を探して、東松山市を徘徊していた頃のことです。
 
東武東上線の橋梁群(煉瓦の橋台)、そしてお洒落な赤煉瓦の樋門!
 今回紹介した樋門は過去の遺産ではなく、過半数は今も現役であり、100年以上も使われ続けています。
 撮影中、築30年で朽ち果てている樋門(コンクリート製)も数多く見かけました。
 しっかり設計され、良質な材料を使って丁寧に施工された構造物は、思ったより耐用年数があるものですね。
 しかし、古いというだけの理由で取り壊された煉瓦樋門もかなりあるはず...、残念です。

 デジカメ(OLYMPUSのCAMEDIA C-2000Z)が動作不能になってしまいました。
 しぶしぶ、NikonのCOOLPIX 995に買い換えました。Second bestだね(^^;)
 総合性能は確実に向上しています(第1世代の200万画素機から最終世代?の300万画素機だからかな)
 特にAWB(オート・ホワイト・バランス)と露出は信頼できます。
 でも階調表現の幅はC-2000Zと同等程度な感じがします(COOLPIXは、けっこうハイライトが飛んだりする)
 レンズ回転式の機種は初めてですが、不可能だった構図での撮影もできるので、意外にはまりそうです。

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