笠原樋
所在地:鴻巣市(こうのす)笠原字沼向、元荒川左岸 建設:1905年
笠原樋は元荒川の左岸に設置されていた農業用水取水のための樋管。
笠原用水(注)の元圦(取水口)である。笠原堰の跡地から北へ100mの地点に残存する。
笠原樋は笠原堰の撤去後は、下水道の集水枡に改造されているが、取水施設から
排水施設へと役目を変えて現在も使われている。
樋門の通水断面の形式は確認できないが、施設規模から推測すると、おそらく箱型であろう。
笠原樋は施設名と設置場所からも明らかなように、笠原堰の関連施設ではあるが、
意外なことに笠原堰の竣工から3年後の1905年に建設されている。
1905年には、この地点から2Km下流の鴻巣市常光(じょうこう)にも、
煉瓦造りの圦之上堰(現在はコンクリートで全面改修)が建設されている。
現在の圦之上堰は宮地堰から取水する外谷田用水路の流末に位置し、
かんがい余水は元荒川の右岸へ放流されている。
(注)笠原用水は、武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の埼玉郡笠原村(12巻、p.288)に、
”深五尺巾九尺 村の南方字沼向にて元荒川より分水し 村の中央に至り三條に分れ
又数十派となり全村至らざる処なし 田の用水に供す”と記されている。
笠原村全域に充分な用水供給が行なわれていたようだ。
↑笠原樋 県道77号(行田蓮田線)のすぐ脇にある。 こちら側が呑口だったと思われる。樋管本体は大部分が 地中に埋っているが、天端幅が1.4m、深さ(面壁の高さ)が 約1.9mあるのが確認できる。危険防止のためか、 現在は上部がコンクリート板で塞がれている。 両脇の柱は門柱(石造り)。奥に見えるのは笠木(門柱 上部の石材)で、側面には名称と竣工年が刻まれている。 |
↑樋管の吐き口 笠原樋は改造されていて、現在は集めた下水を、 元荒川の左岸へ排水している。 吐き口側は後年に建設したものだが、 なんと樋管の翼壁(長さ2.4m)は煉瓦造りである。 (コンクリートの骨材として煉瓦が使われているの方が適切か) 白っぽく見えるのは、表面に大量のセメントが付着しているため。 |
↑笠原樋(天端から) コンクリート板(重くて動かない!)の隙間に デジカメを突っ込んで撮影。 写真右が翼壁。ゲートの戸当りは石造りのようだ。 |
↑翼壁 天端の長さは約1.8m。あぁ、色鮮やかな赤煉瓦が 使われている(笑)。煉瓦の平均実測寸法は、笠原堰と ほぼ同じで、219×105×58mm。イギリス積みで組まれている。 |