小佐衛門前伏越
所在地:吉川市川藤、木売落(二郷半領用水を横断) 建設年:1910年
小佐衛門前伏越は木売落(きうり:農業排水路)が二郷半領用水路の下を横断する地点に
設けられていた煉瓦造りの伏越である。明治43年に木売落悪水路普通水利組合によって
北葛飾郡旭村川藤に建設された。木売落(注)は中川(当時は古利根川)へ排水する悪水路であり、
二郷半領用水は古利根川の松伏溜井から取水し(現在は江戸川から取水)、小合溜井(現・水元公園)へ
送水していた農業用水路である。大正末期から昭和初期にかけて実施された中川の改修のさいに、
松伏領に中川の新流路が開削されたために、二郷半領用水は新流路によって流路を絶たれ、
取水先が江戸川(松伏町金杉)に変更された。
小佐衛門前伏越は樋管長が12間(約21.8m)、通水断面は長方形で高さ4尺5寸(約1.4m)の二連、
使用煉瓦数は約84,000個(選特別焼過煉瓦が33,000個、焼過煉瓦が51,000個)だった(埼玉県行政文書 明2516-22)。
箱型2連の伏越なので、明治40年(1907)に旭村上内川(現在の吉川市上内川)に
建設された、松高圦と同じ形式である。松高圦は1連が伏越、もう1連が逃樋(余水吐き)と
なっていた(埼玉県行政文書 明2516-20)。小佐衛門前伏越も一連は余水吐で、
それが二郷半領用水への加用水を兼ねていた可能性が高い。
木売落悪水路普通水利組合の管理者は旭村の村長であり、組合内には吉川村、彦成村、
三輪野江村、早稲田村、八木郷村、戸ヶ崎村が含まれていた。これは二郷半領用水普通水利組合の
構成村とほぼ同じである。余談だが水利組合を構成した6村のうち、3村(三輪野江村、早稲田村、
戸ヶ崎村)では、大正時代に設置された道路元標が現在も残っている。
小佐衛門前伏越の工事監督は、埼玉県技手の高柳藤作と北葛飾郡技手の五月女米吉。
この両名は二郷半領の煉瓦水門を数多く、手がけている。
(注)木売落は武蔵国郡村誌の吉川村(14巻、p.88)に”木売落悪水:深五尺巾四間 村の北方
関村より来り 南方平沼村に入る 其の間五町”と記されている。郡村誌は明治9年(1876)の調査を
基に編纂されている。木売落は江戸川と古利根川の間に存在した二郷半沼を干拓するために、
延宝年間(1675年頃)に伊奈氏によって開削された悪水落である。この時に大場川も開削されている。
←木売落が二郷半領用水を横断する地点 手前が二郷半領用水、奥が木売落。 横断地点には小佐衛門前伏越の銘板と 竣功記念碑が建っている。 現在の伏越はコンクリートで全面的に 改修されているが、通水断面は依然として 長方形の二連である。 木売落はここから400m下流で中川の左岸へ 合流する。合流地点には木売落排水機場が 設けられている。合流付近の中川は昭和初期に 開削された新河道である。 |
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↑小佐衛門前伏越の銘板 石造り(安山岩系)で幅131cm、高さ41cm、奥行38cm。 |
↑竣功記念碑と竣功年の銘板 上が竣功記念碑、下が竣功年の銘板。明治四拾三年二月竣功 |