大樋圦 (おおびいり)
所在地:川越市古谷上、伊佐沼 建設年:不明
長さ | 翼壁長 | 通水断面 | ゲート | その他 | 寸法の単位はm 巻尺または歩測による |
9.5 | - | 箱0.92 | 呑口 | 呑口はコンクリートで改修されている |
大樋圦は伊佐沼の南端に設けられた石造りの樋管で、伊佐沼の余水を排水するための施設である。
伊佐沼は平地にある自然沼としては埼玉県では最大規模であり、古くから農業用水のため池として
利用されてきた。荒川右岸土地改良区誌(p.11)には、文和年間(1350年頃)に古尾谷城主の家臣、
伊佐某之守によって開発されたとあるので、伊佐沼という名称は人名に由来することになる。
伊佐沼の規模はかつては南北1.9km、東西300mだったが(注)、堆砂の著しかった沼の北部は
昭和10年頃に干拓されたので(前掲書、p.311)、現在の規模は南北1.3km、東西300m、
面積0.35km2となっている。なお、伊佐沼の唯一の水源は赤間川であったが、昭和初期に
実施された新河岸川の改修に関連して、赤間川の流路が大幅に変更されたため、
現在の水源は伊佐沼代用水(入間川から取水)となっている。
この周辺は入間川の右岸(河川改修前は荒川の右岸)に隣接してはいるが、河川からの取水は
困難であり、低湿地ゆえに慢性的な排水不良に悩まされてきた。
伊佐沼の東端に設けられた笹原排水は、伊佐沼の余水を入間川に排水するための水路である。
笹原排水には、明治時代に建設された煉瓦造りの樋門が2基現存している(沼口門樋、笹原門樋)。
なお、昭和26年に実施された伊佐沼の調査報告(→文献54、p.337)には、用水・排水あわせて8基の
石造り樋管の存在が記録されているが、現存するのは本施設のみである。
↑大樋圦(下流から) 写真の奥が伊佐沼、右端に見えるのが洗堰(伊佐沼の 余水をオーバーフローさせる施設)。 この地点は一級河川 九十川(新河岸川の支川)の 管理起点である。洗堰の脇に標石が建っている。 九十川の水源は伊佐沼の排水と鴨田排水、旧赤間川。 |
↑吐き口(下流から) 樋管の本体(4面が石造り)が現存する。堤内に函渠を伏せ込んだ シンプルな構造であり、翼壁が設けられていた形跡はない。 施設の状態は非常に良く、建設当初の形態をほぼ留めていると思われる。 水叩き部はコンクリート造り。呑み口側は改修されているが、 石造り(凝灰岩系)の護岸が部分的に残っている。 |
↑吐き口(横から) 樋管本体が露出しているが、 建設当初からこの形態なのかは不明。 使われている石材は、安山岩系の ものである。 |
↑樋管の内部(下流から) 樋管を構成する石材は、小口面の大きさが30×24cm。 空積みではなく、目地材にモルタルが使われている。 積み方は布積みだが、小口と長手を交互に配置してあるので、 煉瓦積みのフランス積みに相当する。 |
(注)明治9年(1876)の調査を基に編纂された、武蔵国郡村誌の入間郡伊佐沼村(4巻、p.177)には、
伊佐沼は”長十三町二十間 巾三町 周回一里四十間 村の東南にあり
本村及び鴨田古谷上村三村入会にして境界を分たす故に之を合測す”と
記されている。明治初期には全長1440m、幅320m、周長4070mあったことがわかる。