御定め杭と堰安全祈願碑 (末田須賀堰)
撮影地:埼玉県岩槻市
←御定め杭 永代橋(末田須賀堰の管理橋)の右岸橋詰の 遊歩道にある。本来は別の場所にあったが、 末田須賀堰の竣工と周辺整備に伴い、ここへ 移築されたようだ。寛延三年(1750)三月建立。 高さ110cm、幅41cm、奥行30cm。 正面には、”此定杭頭ヨリ石堰上端迄八尺五寸下リ”と 刻まれている。石堰とは当時の末田須賀堰のことであり、 堰の天端高をこの杭によって規定していたと思われる。 堰が完全な石造りだったとしたら、嵩上げは簡単には できないので、おそらく当時の堰は、石の基礎の上に 蛇籠(竹で組んだ籠の中に石を詰める)を並べた構造の 洗堰(固定堰)だったのだろう。 堰の天端高を高くすることは、末田須賀堰から 取水している下流地域にとっては、貯水量が増えるので、 望ましいことだが、反面、上流側の地域にすれば、 元荒川の水位が高くなり、排水不良や水害を 引き起こすことになる。このような上下流の利害関係を 事前に調停するために、この御定め杭が設置された。 |
←堰安全祈願碑 末田須賀堰から200m下流の右岸、旧岩槻道に 祀られている。 寛延三年(1750)建立。 正面の頂部にはバン(金剛界大日の種子)が 刻まれている。”奉修請縛?陀堤婆供当堰安寧祈所”とあり、 天龍八部や諸大龍王などの水神に堰の安全を 祈願している。龍(竜)は水に関する逸話が多いことから、 水神として祀られることが多く、水防祈願の神様としては 九頭龍大神や八大龍王などもある。埼玉県内の分布傾向は 荒川水系に九頭龍大神、中川水系では八大龍王が多くなる。 左側面には金剛院第二十四世とあるが、 金剛院とはここから300m東にある寺院。 右側面には”寛延三年正月中旬石堰普請初 同年三月之下旬終”とあるので、堰の建設工事は 約2ヶ月で終了したことがわかる。 なお、末田須賀堰の周辺には水神宮や弁財天などの 水の神様も多く分布している。末田須賀堰には河岸場も あったので、関係者が舟運の安全を祈願して祀ったものもあるだろう。 例えば新方須賀神社(新方須賀)に享保十八年(1733)銘の水神宮、 末田の路傍に文化五年(1808)銘の弁才天などがある。 |