末田須賀堰 (すえだ すが) (その1) (その2)(その3)
撮影地: 埼玉県岩槻市末田、元荒川
末田須賀堰は、元荒川流域の3,000haの農地(岩槻市、春日部市、越谷市)に、かんがい用水を
供給するために、1994年に建設された取水堰である。現在は利根導水事業の施設として、
水資源開発公団によって管理されている。その起源は慶長年間(1600年頃)に設けられた、
竹洗堰だったというから、かなり古い歴史を持つ施設である。竹洗堰とは、竹製の蛇籠の中に石を
詰め込んだ物を元荒川の河床に複数、積み上げた固定堰のこと(ゲートは設けられていなかった)。
元荒川は末田須賀堰の上流側の川幅が非常に広くなっているが、この形態は江戸時代に
造られたもので、末田須賀溜井と呼ばれる。溜井の最下流に設けた竹洗堰で元荒川をせき止めて、
農業用水を貯留するためである。竹洗堰は寛延三年(1750)には基礎部分が石造りへ改築されている。
末田須賀堰の周辺には、そのさいに設置された定杭(溜井の水位の観測用)と安全祈願碑が
今も残っている。なお、江戸時代には末田須賀堰の両岸に、それぞれ末田河岸と須賀河岸があった。
河岸とは大規模な船着場であり、そこでは元荒川の舟運の荷物の積み下ろしなどが行なわれた。
名称の由来:
末田須賀堰という名称は、右岸側から取水する末田大用水、左岸側から取水する須賀用水に
由来する。それぞれが、かつての岩槻領・越谷領と新方領の用水である。
末田大用水のかんがい区域は、まだ純然たる農村地帯が残っていて水田が広がっているのだが、
須賀用水の流域は都市化の進行が激しく住宅地となっている。須賀用水は岩槻市を抜けて
越谷市に入ると、もう農業用水路の形態は影をひそめ、都市下水路へと変貌してしまう。
そして越谷市恩間地区から下流は暗渠となってしまい、用水路の上は須賀川通りとなる。
なお、地元の人々は末田須賀堰のことを大戸の堰と呼んでいる。
この大戸という地区は堰の左岸上流に存在するが(元荒川の縁に鎮座する武蔵第六天神社は
大戸の第六天として著名である)、末田地区にも大戸という小字があるようで、
末田須賀堰の右岸橋詰の県道48号線には、大戸というバス停がある。
末田須賀溜井:
末田須賀堰は末田大用水と須賀用水だけのための取水堰ではない。上流にはかなりの数の
用水路があり、末田須賀堰によって水位が堰上げされた元荒川から取水している。
排水を農業用水として取水するためには、河川の水位を高くする必要がある。
堰上げ背水(Backwater)の影響は、末田須賀堰の地点から3Km位上流にまで及んでいる。
元荒川から取水している主な用水路は、増野川用水路、武徳川用水路、三大川用水路、
柳橋用水路などである。それぞれが独立した土地改良区を組織しているので、
末田須賀堰に関する利水形態は複雑である。末田須賀堰の付近には柳橋用水の竣工記念碑
(昭和29年建立、飯塚〜末田)、末田用水の耕地整理竣工記念碑(昭和18年建立、
末田〜越谷市野島)が建てられている。
末田須賀堰への用水補給:
現在、元荒川には末田須賀堰の上流に榎戸堰(吹上町)、三ツ木堰、宮地堰(鴻巣市)と
3つもの取水堰が設けられている。それぞれの堰が元荒川をせきとめて用排水兼用として
運用されている。つまり、上流の堰で取水した用水は田んぼを潤した後、その余水や排水が
元荒川へ落とされ、下流の堰で再びせき止められ、農業用水として高度に反復利用されている。
そのため、末田須賀堰の地点での元荒川の水量は少なく、農業用水の必要量は元荒川の
流量だけでは不足してしまうので、加用水として見沼代用水の十六間堰から下星川を経由して、
元荒川へ用水が補給されている。その協定書は昭和37年(1962)に、
見沼土地改良区と元荒川土地改良区の間で取り交わされている。
見沼代用水の最盛期を避け、末田須賀堰の必要水量の20%を補給するという条件である。
つまり、かんがい期にはこの付近の元荒川には、利根川の水が流れ込んでいるのだ。
元荒川最下流の堰:
末田須賀堰は元荒川で最も下流に設けられた取水堰だ。
末田須賀堰の上流までは、元荒川から取水された用水は自己還元率が高く、再び元荒川へ
戻されている。しかし、末田須賀堰から取水された用水は、田んぼで使われた後は概ね、
右岸側が綾瀬川(五才川、出羽堀を経由)、左岸側が新方川へ排水される。
なお元荒川は、この地点から12Km下流の越谷市中島で、中川に合流する。
↑末田須賀堰 (左岸上流から) 形式:可動堰、幅75m、長さ60m、ローラーゲート4門 ゲートは左岸から、土砂吐、調節、洪水吐、調節。 土砂吐ゲートと左岸堤防の間には、階段式の魚道 (幅2m、長さ68m)が設置されている。 かんがい期(4〜9月)には、堰上流の元荒川の水位は 一定(T.P.+6.8m)に保たれる。なお、末田須賀堰の下流に 併設されているのは永代橋。左岸には旧橋の遺構(親柱と 欄干)と架橋記念碑(大正15年建立)がある。 また、右岸には寛延三年(1750)設置のお定め杭と 堰安全祈願碑(これも1750年建立)が残っている。 |
↑末田大用水取水口 (右岸上流から) 末田須賀堰の上流右岸に設けられている。2000年2月竣功。 スライドゲート1門、取水量は約4.2m3/s 末田須賀堰で堰上げた水を末田大用水へ取り入れるための施設。 門柱の表面は煉瓦風の仕上げになっている。 この施設は1999年までは、末田用水圦樋という名前の 煉瓦造りの樋門(大正4年竣工)だった。 右岸には、その竣工記念碑である[改良樋管記念碑]がある。 なお、末田須賀堰も1994年まで煉瓦造であった。 これはゲート数が10門であり、埼玉県史上最大の煉瓦堰だった。 |
↑須賀用水取水口 (左岸下流から) スライドゲート1門(幅2m、高さ2m) 写真手前は末田須賀堰の魚道。 |
↑須賀用水の始点 (上流から) う〜ん、すごい配色! テニスコートかと思った(^^;) 元圦は新方領用悪水路土地改良区が管理している。 |