秋ヶ瀬取水堰 (あきがせ) [荒川のページ一覧]
所在地:埼玉県志木市宗岡、荒川
形式:可動堰、長さ127m、調節ゲート1門(幅10m、高さ6m)、洪水吐ゲート3門(幅34m、高さ6m)、魚道1箇所
施設容量 67m3/s、堰上流水位 T.P.+2.6m、荒川計画高水水位
T.P.+10.3m 設計者:大井上宏(水資源開発公団)
秋ヶ瀬取水堰は、利根導水路事業の最末端の取水堰である。昭和38年(1963)竣工。
埼玉県と東京都の都市用水(飲料水や生活用水)、新河岸川・隅田川の浄化用水を取水している。
利根導水路の建設事業は下流から進められた。武蔵水路は1965年完成、利根大堰は1968年の
竣工であり、利根大堰が完成するまでの間は、荒川緊急取水と称して、利根川ではなく
荒川から取水していた。1965年からは見沼代用水(利根川)を利用して武蔵水路へ通水した。
利根大堰(埼玉県行田市)によって利根川から取水された用水は、武蔵水路を経由して、
15km先の荒川(埼玉県鴻巣市)まで運ばれる。用水はここで荒川に注水され、
さらに30kmを自然流下して、秋ヶ瀬取水堰によって再び取水される。
(ということは、鴻巣市から下流の荒川は利根川水系?)
ちなみに見沼代用水の西縁用水路からの水も荒川連絡水道専用水路(パイプライン)を
経由して、秋ヶ瀬取水堰の上流約8kmの荒川左岸へ送水されている。
(注)本ページの画像は、NIKON COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。
←秋ヶ瀬取水堰の全景 荒川の右岸堤防、下流側から。 右が秋ヶ瀬取水堰、左の白い建物が宗岡取水口。 宗岡取水口は、ローラーゲート6門(幅6m、高さ3.7m) 東京都の用水は、宗岡取水口から取水される。 埼玉県の用水は、左岸の樋門から取水され 大久保浄水場へ送られる。 取水堰から左へ延びるのは、長さ500mの管理橋! 管理橋の大きさに圧倒されたせいか、 取水堰は思っていたより小さく感じた。 |
←秋ヶ瀬取水堰 右岸の下流から。 写真左から調節ゲート1門、洪水吐ゲート3門、魚道。 ゲートの捲き上げ機(水色)は、独特な形をしている 荒川は秋ヶ瀬取水堰の付近まで、 東京湾の潮の影響を受けているそうだ。 (ここから下流は感潮河川となるのかな) 荒川には、この堰から下流には堰や水門はないから、 秋ヶ瀬取水堰は防潮水門の役割も果たしていることになる。 |
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右岸堤防から→ 手前が宗岡樋管、左端が宗岡取水口、 隣が秋ヶ瀬取水堰。 宗岡樋管は朝霞水路につながっていて、 東京都の都市用水と新河岸川・隅田川の 浄化用水が運ばれている。 宗岡樋管の上には、500m下流にある秋ヶ瀬橋 (赤い橋)が、かすかに見える。 秋ヶ瀬橋の付近には荒川水上バスの発着所が あり、隅田川へと繋がっている。 秋ヶ瀬橋が架かるまではこの付近の渡河は 渡し(渡船)だった(注)。 荒川の河川敷に広がる緑は、水田である。 秋ヶ瀬取水堰から下流では荒川の河川敷は 公共施設の利用が多くなり、農地は少なくなる。 |
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←朝霞水路沈砂池 志木市下宗岡一丁目、新河岸川側から撮影。 秋ヶ瀬取水堰から南西1.5Kmの新河岸川左岸に位置する。 東京都の用水はこの施設から、新河岸川の下をくぐって さらに500m下流の朝霞浄水場(朝霞市宮戸一丁目)へ 送られる。朝霞浄水場の建設に対しては地元の強硬な 反対運動が起こり、土地収用法が発動される寸前にまで 問題はこじれた。 新河岸川は大正11年(1922)に改修工事が始まるまでは、 北足立郡内間木村(現.朝霞市内間木:秋ヶ瀬取水堰の 2km下流)で、荒川に合流していた。新河岸川の左岸には 旧堤防の跡が今も残っている。 昔は荒川と新河岸川の水害に悩まされた地区である。 |
(注)武蔵国郡村誌の入間郡宗岡村(4巻、p.287)に羽根倉の渡しと秋ヶ瀬の渡しの
記述がある。羽根倉の渡しが羽根倉橋、秋ヶ瀬の渡しが秋ヶ瀬橋の前身である。
なお、武蔵国郡村誌は明治9年(1876)の調査を基に編纂されている。
羽根倉の渡し:”与野道に属し村の東方 荒川の上流にあり 渡船一艘 私渡”
秋ヶ瀬の渡し:”浦和道に属し村の東方 荒川の下流にあり 渡船一艘 私渡”