続・古い水門 (4)_ 6a 10 続・古い水門の一覧


 城ヶ谷樋管
↑城ヶ谷樋管 
荒川、埼玉県北本市石戸宿
 昭和8年(1933)4月竣工
 北本自然観察公園の西側、城ヶ谷堤(荒川の左岸堤防)に
 伏せ込まれたRC排水樋管。城ヶ谷堤の築堤と同時に
 建設された。現在は石屋下沼(荒川の旧河道)を経由して
 荒川へ排水している。写真は川裏(呑口)から。川表には
 鋼製のゲートと門柱が増築されているが、石造りの
 銘板が残っている。通水断面は伝統的に箱型(注)

  行人樋管
←行人樋管
 
荒川、埼玉県鴻巣市大間

 昭和23年(1948)5月竣工
 御成橋から上流へ500mの左岸。
 この地点の荒川左岸堤防(大間堤)は
 昭和22年(1947)9月15日の
 カスリーン台風によって決壊し、
 行人樋管も破壊された。
 現施設はその復旧工事で建設
 されたもの。津賀守稲荷社には
 昭和23年3月に工事関係者一同が
 奉納した幟石が残っている。

 戦後に建設された樋管だが、
 デザインは昭和10年前後に
 流行った古典的なもの。
 ゲートは木製である。
 行人樋管は明治37年(1904)に
 
煉瓦造りで改良され、昭和初期の
 荒川近代改修ではRC造りで
 改築されている(補足)

 柏原樋管
↑柏原樋管 
荒川、埼玉県桶川市川田谷
 昭和7年(1932)6月竣工。写真は川裏。
 太郎右衛門橋から下流へ400mの左岸堤防(柏原堤)に
 設けられている。川表にはゲートと門柱が増設され、
 大きく改修されているが、樋管本体は竣工当初のまま。

  
本村樋管
←本村樋管
 
荒川、埼玉県上尾市畔吉

 昭和2年(1927)6月竣工
 桶川市から上尾市にかけての
 荒川左岸には、古い排水樋管が
 群として残っている。
 樋管の意匠は鳥居型の門柱を
 備えたクラシックなもので、
 
元荒川の樋門群と共通点が多い。
 本村樋管は上流の柏原樋管
 (桶川市川田谷)と
 ほぼ同じ形式の樋管であり、
 石造りの竣工銘板が残されている。
 川表にはゲートと門柱が増設され、
 大きく改修されているが、樋管本体
 (土管をコンクリートで巻き立て)は
 建設当初のままだと思われる。

(補足)意外なことだが、かつて荒川の本堤には煉瓦造の樋門が数多く設置されていた。
 排水・逆流防止用の大規模なものが多く、中・下流部を中心に30基以上が存在していた。
 現在、それらの樋門はほとんどがコンクリート造へと改修されていて、現存するのはごくわずかである。
 荒川水系で現存最古の煉瓦樋門(水門)は筆者の知る限り、村岡樋管(熊谷市、吉見堰用水、
 1891年竣工)である。村岡樋管は村岡堤(かつての荒川本堤、大囲み堤)に設置されている。

(注)城ヶ谷樋管は荒川では珍しく、煉瓦造ではなく石造りだった。明治13年(1880)に
 それまでの木造から石造りへと改築されたが、構造に不備があったのか壊れてしまった。
 明治28年(1895)に再び、石造でその復旧工事がなされた。
 通水断面はアーチではなく、現在と同じ箱型であった(埼玉県行政文書 明1802-55)。


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