続・古い水門 (1)_ 6a 10 続・古い水門の一覧

元荒川支派川改修事業で建設された堰 (その1)

 どの堰にも下流側に橋が併設されている。橋の形式は(目視した限りでは)橋桁と堰柱が
 一体化されているようで、構造は多連のボックスラーメン(鉄筋コンクリート製)だと思われる。

 斎条堰
↑斎条堰(星川、埼玉県行田市斎条〜和田)
 建設:昭和7年(1932)、ゲート4門
 星川から左岸の斎条用水、右岸の
酒巻導水路(共に、
 農業用水)に分水する水門。斎条堰自体は江戸時代から
 存在する歴史の古い施設である。この地点では
 星川の河道は非常に広くなっていて、溜井(溜め池)の
 様相を呈している。斎条堰は昭和51年にゲート管理台と
 門柱が部分的に改修されているが、その他は建設当初の
 ままだと思われる。曲線を多用したデザインが素晴らしい。
 堰の上流側の側壁は曲面施工され、堰柱の先端には
 水切りが設けられている。堰柱の天端を飾るヴォリュート
 (渦巻き状の装飾)も貴重である。イオニア式(西洋建築の
 古典的柱頭様式の一つ)を意識したものだろうか。
   大和橋
  ↑大和橋(斎条堰に併設) 下流から
   建設:昭和7年(1932)、長さ14.4m(歩測)、幅5.4m(有効幅)
   コンクリート桁橋(4径間連続支承、4主桁)、橋脚は斎条堰の堰柱を
   兼用。大和橋は外観は派手ではないが、ディテールが非常に
   凝っている(→
斎条堰・大和橋の詳細)。うまくまとめられたデザインと
   端正な美しさが特徴の橋である。欄干は尖塔アーチ状の開口部で
   構成され、所々に不思議な模様(勾玉と星?:この付近はかつて
   北埼玉郡星河村だった)のレリーフ(陽刻)が施されている。
   コンクリートの打ち放しではなく、表面には人造石による化粧が
   なされているようである。欄干と桁の間には、持ち送りが設けられ、
   桁の側面には、アールヌーボー調な植物の模様まで付けられている。
   また、桁は桁高を曲線変化させてあり、外見はアーチ状になっている。
   桁の下面には(見えにくい箇所なのに)、金属板が貼られている。
   大和橋と同時期に近隣に建設された、
日本橋(中川、加須市)でも
   同様の金属板が確認できる。橋脚天端は、丸く膨らませた笠石風で
   あり、下には2段の迫り出しが設けられている。

 愛乃橋堰
↑愛乃橋堰(元荒川、北足立郡吹上町前砂〜袋)
 上流右岸から撮影。愛乃橋という名称は、この付近の
 三ツ木の小字が、愛の町であること由来するのだろう。
 愛乃橋堰は三ツ木溜井に設けられていたが、
 三ツ木堰(写真奥)の改築により撤去された。
 
旧・三ツ木堰は煉瓦造りの堰(1902年建設)であった。
 愛乃橋堰に併設された橋の欄干は、
 
長野落伏越(行田市〜川里町、1933年建設)と
 (今にして思えば)同じデザインであった。 

   宮地堰
  ↑宮地堰(元荒川、埼玉県鴻巣市安養寺〜鴻巣) 下流から
   建設:昭和7年(1932)、ゲート5門(うち2門は土砂吐)
   現在の宮地堰は改修されているが、建設当所は管理台へ
   登る梯子(コンクリート製)、独特な形状のゲート捲き上げ機が
   付けられていた。(←の愛乃橋堰を参照)
   併設されているのは
三谷橋(さんや)。ボックス・ラーメン橋?(5連)
   三谷橋の親柱の装飾は、大和橋の欄干と似ている(勾玉と徳利?)。
   親柱の上には当初、巨大な渦巻き状の飾りが置かれていたが、
   壊れてしまい、橋の袂と元荒川の中に放置されている。

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