姫宮落川 (ひめみやおとし) (その1) (その2

 撮影地:埼玉県久喜市、南埼玉郡白岡町

 姫宮落川は延長10.1Km、流域面積13Km2の中川水系の一級河川。
 地元では姫宮落や姫宮堀とも呼ばれている。久喜市下早見を管理起点とし、
 おおむね南東に向かって流れ、白岡町を経由して宮代町川端で
古利根川の右岸に合流する。
 姫宮落川の主な支川には、野田川(準用河川)がある。

 姫宮落川は上流部は備前堀川(姫宮落川の北側)と庄兵衛堀川(南側)の間を流れ、
 下流部は古利根川(姫宮落川の北側)と
隼人堀川(南側)の間を流れているために、
 延長のわりには流域面積が小さいのが特徴だ。流路の大半は直線であり、平坦地を
 流れているので、見た目にも河床勾配は緩い。姫宮落川の現在の流路は、
 昭和初期に行なわれた大落古利根川の改修事業に伴って確定した。

 姫宮落川という河川名は近代になってからのもので、姫宮神社(宮代町姫宮、古利根川への合流地点に
 近い)に由来するともされている。姫宮神社は延喜式内社(延喜式神明帳に記載された古社)である。
 姫宮落川の上流部は、
河原井沼(跡地は現在、久喜菖蒲工業団地)からの排水を流すために
 開削された落しが起源のようである。金兵衛堀とも呼ばれていたようで、
大河内金兵衛(羽生領の
 代官等を歴任、松平
信綱の父)が開削したとする説もある。例えば、白岡町史 通史編 上巻、p.368
 下流部は笠原沼(
跡地は現在、東武動物公園)や逆井沼の水を落とすために,、江戸時代に
 掘られた堀や落し(悪水路)が起源である。例えば爪田ケ谷落、野牛高岩落などである
(注)
 つまり、姫宮落は上流にあった
河原井沼、下流にあった笠原沼の干拓に伴い、整備された河川である。

 明和七年(1770)の騎西領の古来記(埼玉県史 資料編13、p.432)によれば、姫宮落は
 騎西領の悪水堀であり、その管理区間は蓮谷村から大落堀(古利根川)の合流地点まで、
 延長が1783間(3209m)、平均幅が二間半(4.5m)とある。笠原沼があった付近から下流が
 管理対象だったようだ。堀の維持管理のために、蓮谷村、須賀村、東粂原村、爪田谷村、中島村、
 百間村、西村、東村の8ヶ村によって組合が組織されていた。この組合は享保18年(1733)から
 存在するというから、
井沢弥惣兵衛による笠原沼の干拓(新田開発)を期に、結成されたと思われる。

 笠原沼の干拓のさいに、爪田ケ谷落と野牛高岩落は附廻堀(沼へ流入していた排水の迂回路)とされ、
 爪田ケ谷落と野牛高岩落が姫宮落へが繋げられた。また笠原沼の水を抜くために沼の中央には、
 新規に笠原沼落が掘られ、姫宮落へ繋げられた。しかし笠原沼落は排水不良だったようで、
 享保14年(1729)には排水先が大落堀に変更されている。
 このように、姫宮落は笠原沼干拓のための幹線排水路として使われた。
 なお、干拓されるまでの笠原沼は溜井(農業用水のため池)だった。
 溜井の代替水源として、新たに開削されたのが
黒沼・笠原沼用水(見沼代用水の支線)である。

 姫宮落の管理起点
(1)姫宮落の管理起点 (下流から) 久喜市下早見〜原
 久喜菖蒲工業団地の南端、県道396号線の脇が
 姫宮落川の管理起点。
逆門橋(写真奥)の左岸橋詰には、
 [準用河川
 姫宮落川起点]の標石が建てられているが、
 一級河川の管理起点は旧指定の頃と同じ地点である。

   姫宮落川の源流?
  (2)姫宮落川の源流? (下流から) 久喜市河原井町
   管理起点からさらに50mほど、上流へ遡上ると、
   久喜菖蒲工業団地の塀に突き当たる。写真のパイプ(直径は
   推定40cm)から流れ込む水(工場廃水?)が、
   姫宮落川の実質的な源流である。

 起点付近の風景
(3)起点付近の風景 (上流から) 久喜市下早見〜原
 真っ直ぐな掘り込み河道で、川幅は約4m。
 典型的な農業排水路である。左岸側には
 
笠原沼用水(見沼代用水の支線)、右岸側には
 
庄兵衛堀川が並行して流れている。笠原沼用水は
 庄兵衛堀川と姫宮落の下を伏越で横断している。

   
東北自動車道を横断
  (4)東北自動車道を横断 (上流から)
   左岸:白岡町野牛(やぎゅう)、右岸:白岡町篠津
   起点から1.3Km下流。姫宮落川は東北自動車道を
   カルバートで横断する。横断地点は川幅が広く水深があり、
   流れも緩やかなので、釣り人が多い。この付近は昭和29年まで
   南埼玉郡篠津村だった。
篠津村の道路元標は今も残っている。

 東北自動車道の横断直後
(5)東北自動車道の横断直後 (上流から)
 横断の前後にはコンクリート護岸が施されている。
 奥に見えるのはJR東北新幹線の高架橋。
 この地点から東へ500mの久伊豆神社の付近には、
 文政四年(1821)建立の
石橋供養塔が残っている。
 おそらく白石堀(農業排水路)に架けられていた石橋に
 関するものだろう。白石堀の名は野牛村の領主だった、
 新井白石に由来する。

   
東北本線の付近
  (6)JR東北本線の付近 (下流から) 白岡町野牛
   写真(5)から1Km下流の付近。姫宮落川に架かる鉄道橋の
   名前は
爪田ヶ谷堀橋梁。意外なところに姫宮落川の歴史が
   残されている。東北本線が開通したのは明治18年(1885)と
   古い。左岸側のJR新白岡駅周辺は、都市化が非常に
   進行しているので、雨水の流出量が増大しているようだ。
   数ヶ所に調整池が見られる。

(注)明治時代初期には、現在の姫宮落川の上流部はまだ爪田ケ谷落、
 野牛高岩落と呼ばれていた。明治9年(1876)編纂の武蔵国郡村誌の
 埼玉郡野牛村(12巻、p.175)に、当時のそれぞれの流況が記されている。
 ”爪田ケ谷堀:村の西少北の方
 下早見村飛地及ひ樋口の両界より東南に流れて
  高岩村界に至る
 長二十町十間巾六間深四尺 然れども該堀は当村にて灌漑の用をなさず”
 ”野牛高岩落悪水:村の戌の方
 下早見村飛地の界より東南に流れて高岩村の界に至る
  長十九町十間巾一間深二尺
 田弐拾五町歩の悪水を流下す”
 野牛高岩落は川幅が一間(1.8m)と狭く、流路が爪田ケ谷堀とほぼ同じなので、
 後年に爪田ケ谷堀に統合されたと見るのが妥当であろう。
 なお、上野田村では爪田ケ谷堀、高岩村では金兵衛堀、
 西粂原村では附廻し堀と呼んでいたことがわかる。


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