道路元標 (南埼玉郡)_ | (北埼玉郡) | (北葛飾郡) | (北足立郡) | (大里郡) | (深谷市) | (熊谷市) | (比企郡) | (入間郡) | (児玉郡) | (秩父郡) |
さいたま市岩槻区に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
岩槻町 | 岩槻2425 | 県道2号(旧国道16号)と国道122号の交差点? | 市役所に村役場跡碑 |
河合村 | 平林寺字西422 | 河合小学校と幼稚園の間 | JA河合脇に村役場跡碑 |
柏崎村 | 柏崎字中組865 | 柏崎小学校の北のT字路 | 小学校に村役場跡碑 |
和土村 | 黒谷字八幡裏1564 | 和土小学校南側の表忠碑の付近 | JAに村役場跡碑 |
新和村 | 尾ヶ崎字半縄1270 | 新和小学校の北側付近 | 小学校に村役場跡碑 |
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←慈恩寺村道路元標 さいたま市岩槻区慈恩寺(じおんじ) JA慈恩寺支店の北側の三叉路、 地蔵堂の脇にある。村の名前に冠された、 慈恩寺(坂東三十三箇所札所の一つで、 元荒川沿線の観音信仰の中心地)から 北西へ250mの地点だ。元標は 幅25cm、奥行き24cm、地上高80cm。 文字は読めるのだが、頂部の破損が酷い。 元標の脇には宝暦六年(1756)建立の 庚申塔があるが、それは側面が粕壁と 幸手(日光街道の宿場)への道標を 兼ねている。なお、この付近に現存する 江戸時代に建立された道標には 行き先として、慈恩寺が記されたものが 非常に多い。 南埼玉郡慈恩寺村は慈恩寺村、 裏慈恩寺村、表慈恩寺村、古ヶ場村、 徳力村、鹿室村、上野村、南辻村、 小溝村、相原野村が合併して、 明治22年に誕生した。 昭和29年には岩槻町と合併。 |
![]() ↑川通村道路元標 岩槻区本町二丁目2-34 現在は岩槻郷土資料館に収蔵されている。 本来は大口地区のJA川通支所(旧村役場の跡地)の 道路脇に設置されていたのだが、道路整備に伴い、 不要となり、郷土資料館に持ち込まれたのだという。 南埼玉郡川通村は南平野村、長宮村、大野島村、 増長村、大口村、大谷村、大戸村、新方須賀村、 大森村が合併して、明治22年に誕生した。 昭和29年には岩槻町と合併。 |
菖蒲町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
菖蒲町 | 菖蒲171 | 県道313号、仲横(ちゅうおう)交差点付近 | 道路は拡幅 |
三箇村 | 三箇字中1252 | 国道122号、[釜屋前]バス停付近 | 三箇小学校の敷地内には村立図書館 |
![]() ↑小林村道路元標 南埼玉郡菖蒲町小林 小林は[おばやし]と読む。 小林小学校前交差点(県道310号線と 県道312号線が交差)から北西へ50m、 町道のT字路にある。 25cm角、地上高64cm。 標石の隅が面取りされているのが特徴。 南埼玉郡小林村は明治22年(1889)に 誕生。昭和29年には菖蒲町と合併した。 つまり江戸時代以降、菖蒲町と合併する まで村域は変わらなかった。 村内のほぼ中央に野通川が流れる。 |
![]() ↑栢間村道路元標 菖蒲町下栢間(かやま) 県道77号行田蓮田線の脇、栢間小学校の 校門前に設けられている。幅26cm、 奥行き29cm(現存最大)、地上高は 59cm。これも四隅が面取りされている。 栢間小学校は江戸時代に、この地域を 治めていた内藤氏の陣屋の 跡地だという。南埼玉郡栢間村は 上栢間村、下栢間村、柴山枝郷が 合併して明治22年(1889)に誕生した。 昭和29年には菖蒲町と合併した。 |
白岡町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
日勝村 | 上野田大日139 | 大日橋(隼人堀川)の付近 | 橋詰にJA日勝 |
![]() ↑大山村道路元標 白岡町荒井新田 大山小学校の正門の西側にある。 幅25cm、奥行き26cm、地上高は10cm。 すぐ脇(写真の奥)には隼人堀川が 流れている。大山小学校の敷地内の 大山民俗資料館は旧尋常高等小学校の 木造校舎を動態保存したもの。 南埼玉郡大山村は上大崎村、下大崎村、 柴山村、荒井新田村が合併して、 明治22年に誕生した。昭和29年には 白岡町と合併したが、上大崎村は 分村し、菖蒲町と合併した。 |
![]() ↑篠津村道路元標 白岡町篠津(しのづ) 篠津小学校の正門から西へ100mの三叉路に ある。大正13年8月建立。付近の表忠碑 (昭和6年、帝国在郷軍人会)によると、ここは 幸手町道、菖蒲町道、原市町・岩槻町道の 交差点である。すぐ脇には隼人堀川が流れている。 元標は28cm角、地上高64cm。 石ではなくコンクリート製、書体も独特である。 南埼玉郡篠津村は篠津村、野牛村、 白岡村、寺塚村、高岩村が合併して、 明治22年に誕生した。昭和29年には 白岡町と合併。 |
久喜市、蓮田市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。
区分 | 町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
久喜市 | 久喜町 | 久喜新383 | 久喜市中央三丁目、停車場道の交差点 | 2000年頃に紛失 |
〃 | 太田村 | 吉羽字沼向1357 | 市立図書館の南東付近 | |
〃 | 江面村 | 北青柳字新道下1336 | 東北自動車道、久喜I.Cの南側 | |
蓮田市 | 綾瀬村 | 閏戸字野久保265 | 国道122号、[蓮田浄水場]交差点の付近 | 埋蔵文化財室が役場跡地 |
〃 | 黒濱村 | 黒濱字中野原3068 | 黒浜小学校の西側 | JAが役場の跡地 |
![]() ↑清久村道路元標 久喜市上清久(きよく) 久喜市西公民館の敷地内、北側の フェンス際にある。公民館の所在地は 上清久の飛地(周囲は六万部と所久喜)。 元標は25cm角、地上高60cm。 これも四隅が面取りされている。 コンクリートの台座の上に置かれているのは、 移築されたからだろう。おそらく当初は ここから100m南側の県道12号川越 栗橋線の付近に設置されていたと 思われる。南埼玉郡清久村は上清久村、 下清久村、六万部村、所久喜村、 北中曽根村が合併して、明治22年に誕生。 昭和29年には久喜町と合併。 |
![]() ↑平野村道路元標 蓮田市井沼 県道77号行田蓮田線の路傍、平野小学校の 西側のT字路にある。25cm角、地上高60cm。 この元標も四隅が面取りされている。 ここから北側400mには元荒川、南側300mには 見沼代用水が流れているが、県道の路線は 低地ではなく微高地(台地の部分)を通っている。 なお、この付近には江戸時代に建立された、 石橋供養塔が数多く残っている。 南埼玉郡平野村は上平野村、高虫村、 駒崎村、井沼村、根金村が合併して、 明治22年に誕生した。 昭和29年には蓮田町と合併。 |
宮代町と春日部市(南埼玉郡)に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。
区分 | 町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
宮代町 | 百間村 | 百間西原組字西原460 | 西原団地の東側、山崎地区との境界付近 | |
〃 | 須賀村 | 和戸字宿251-3 | 和戸公民館が村役場の跡地 | |
春日部市 | 粕壁町 | 粕壁6110 | この地番は残っていない | 春日部中学校の付近か? |
〃 | 豊春村 | 道順川戸字隅田川縁37 | 豊春小学校の付近、県道2号線 | 付近に火の見櫓 |
〃 | 内牧村 | 内牧字高野4399-1 | 内牧公民館の付近、県道78号線 | 付近に火の見櫓 |
〃 | 武里村 | 備後字須賀929 | 武里小学校の北、須賀公民館の付近 |
越谷市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
越ヶ谷町 | 越ヶ谷4672 | この住所は存在しない。越谷駅前通の付近か? | 道路は拡幅 |
大澤町 | 字辻721 | 大沢小学校の付近か? | |
出羽村 | 四丁野字四丁野1881 | 出羽小学校の付近、四丁野通 | |
大袋村 | 大竹字東畑158 | 大袋公民館の付近 | |
櫻井村 | 大泊字堰場730 | 桜井小学校と桜井公民館の間 | |
荻島村 | 南萩島字戸井775 | 萩島小学校の北方、県道48号線 | |
蒲生村 | 蒲生字中道3197 |
![]() ↑新方村道路元標 越谷市大杉 県道102号平方東京線の新方小学校 交差点内にある。 26.5cm角、地上高は36cm。 南埼玉郡新方村(にいがた)は北川崎村、 大吉村、船渡村、大松村、大杉村、 弥十郎村、向畑村が合併して、 明治22年に誕生した。村名は中世の 古い荘名に由来する。近世以降の 水防・水利共同体としての新方領は 増林村も含む、もっと広い区域である。 新方村は昭和29年に越谷町と合併した。 |
![]() ↑増林村道路元標 越谷市増林3685付近 増林駐在所(ますばやし)から北西へ 200m、県道102号線の道路脇にある。 ここは旧村役場の跡地だという。 26cm角、地上高は65cm。 南埼玉郡増林村は増林村、増森村、 中島村、東小林村、花田村が合併して、 明治22年に誕生した。昭和29年には 越谷町と合併。なお、増林村は古利根川と 元荒川が中川へ合流する地域なので、 粘土や砂が多く堆積していたため、 明治時代後半に数多くの煉瓦工場が 創設された。 |
![]() ↑大相模村道路元標 越谷市大成町一丁目 県道52号越谷流山線の[大相模小学校入口] バス停の対面にある。25cm角、地上高52cm。 元標面が道路に背を向けているので、 移築されたのだと思われる。大相模村の 村役場はここから200m北の観音寺にあった。 観音寺の北側から元荒川の右岸までは 約300mあるが、この区域は近年まで遊水池だった。 南埼玉郡大相模村は東方村、西方村、 見田方村、南百村、四条村、別府村、 千疋村が合併して明治22年に誕生した。 村名は中世の大相模郷に由来する。 昭和29年には越谷町と合併した。 |
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←川柳村道路元標 越谷市川柳町五丁目282付近 県道380号線の麦塚交差点の脇、 女体神社の入口にある。 この元標は復刻されたもの。 元標は25cm角、地上高57cm。 写真の右隅に見えるのは破損した旧元標の跡。 花崗岩製で26cm角であったことがわかる。 南埼玉郡川柳村は柿ノ木村、南青柳村、 麦塚村、伊原村が合併して、明治22年に誕生した。 昭和29年8月には北足立郡草加町と合併したが、 同年11月に麦塚村、伊原村は分村して、 越谷町と合併した。 |
八潮市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
潮止村 | 伊勢野字根通779 | この地番は残っていない、潮止小学校の付近か? |
![]() ↑八條村道路元標 八潮市八條 八條小学校から東へ200m、県道102号 平方東京線の脇にある。道路元標が 置かれた市道は、中川の旧堤防である。 25cm角、地上高は54cm。 南埼玉郡八條村(はちじょう)は八条村、 鶴ヶ曽根村、松之木村、伊草村、小作田村、 立野掘村の6村が合併して、明治22年に 誕生した。昭和31年には立野掘村を除く 旧5村が八幡村、潮止村と合併し、 南埼玉郡八潮村となった。 なお、立野掘村は草加市へ合併した。 |
![]() ↑八幡村道路元標 八潮市中央三丁目 県道54号線(旧道)の道路脇、 八幡図書館の塀の中にある。 ここは旧八幡村役場の跡地だという。 25cm角、地上高は63cm。 南埼玉郡八幡村(やわた)は上馬場村、 中馬場村、大原村、大曽根村、浮塚村、 西袋村、柳之宮村、南後谷村の8村が 合併して、明治22年に誕生した。 昭和31年には八条村、潮止村と合併し、 南埼玉郡八潮村となった。 |
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