境橋

 場所:原市沼川、左岸:埼玉県北足立郡伊奈町小室、右岸:上尾市原市(はらいち)  - 周辺の風景 -
 形式:RC桁橋(3スパン) 長さ 10.8m、幅 4.7m  建設:昭和9年(1934)3月

 境橋は古くから存在する橋のようで、武蔵国郡村誌の足立郡小室村(2巻、p.428)に、
 ”原市道に属し村の南境 沼落堀の中流に架す 長三間巾一間 石造”と記されている。
 沼落堀とは原市沼川のこと。境橋は明治9年(1876)の時点で長さ5.5m、幅1.8mの
 石橋だった。長三間とあるので、おそらく形式は3スパンの桁橋だったと思われる。
 見た目は現在の境橋と大差なかったはずである。ただ、当時の川幅は狭く、現在の半分しかない。

 境橋  ←境橋 (上流から)
 上尾沼南高校の北側200mに位置する橋。
 境橋の北には関東郡代であった
伊奈氏の屋敷跡も残る。
 原市沼川は伊奈町と上尾市の境界を流れる排水河川であり、
 この地点から1Km下流で、綾瀬川に合流する。
 原市沼川の名称は、かつてこの付近一体に広がっていた
 原市沼(丸山沼)に由来すると思われる。原市沼の干拓ために
 掘られた落し(排水路)が起源である。明治時代の後半まで、
 この地点には河岸場があったそうだが、今も河道に残る木杭が
 当時を彷彿とさせる。付近には古い水門も残っていて、景観は良好である。

 現橋は昭和初期におこなわれた綾瀬川の河川改修事業に
 関連して建設されたものだと思われる。同事業は綾瀬川の
 上流部(管理起点から原市沼川との合流付近まで)を
 対象として実施され、昭和10年に竣功している。→
綾瀬川の木の橋
 当初、境橋にはコンクリート製の欄干(開口部が星型)が
 設けられていたが、自動車の事故で大破したために鋼製に変更されている。

 主桁と橋脚
↑主桁と橋脚 (左岸上流から)
 主桁はT形はりで、4本。
 床版はスラブだと思われる。
 橋脚はラーメン形式。

   親柱と袖柱

←親柱と袖柱(右岸)
 親柱は高さ0.8mで0.5m角、
 袖柱の長さは2.3m。
 境橋は建設当初は豊かな装飾が
 施された橋であったことがわかる。
 親柱に逆三角形の装飾、袖柱には
 尖塔アーチ状の開口部が設けられている。
 共に当時流行の装飾様式であり、
 逆三角形は
栄橋(酒巻導水路、行田市)、
 尖塔アーチは
鷹橋(会の川、羽生市)でも
 見られる。袖柱の側面に付けられた
 
川の字のモチ−フは、昭和初期に埼玉県が
 建設したRC橋梁では顕著なもの。



←現存する銘板
 二箇所に残る。
 境橋
 昭和九年三月竣功

    
現存する銘板

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