埼玉県の冠水橋

 冠水橋(かんすい)という名称は埼玉県(荒川水系のみ?)に特有のようで、正式な土木用語は
 潜水橋や潜り橋
(もぐり)である。潜水橋とは高水敷(河川敷)に設けられた、大雨で川が増水すると水没し
 通行不能になってしまう橋のこと。橋を渡るには、一度堤防を乗り越えて河川敷に入る必要があり、
 ちょっと不便な橋だ。昭和30年頃には、重要度(地域性や交通量)と建設予算の兼ね合いから、
 荒川(埼玉)のような大きな河川には、このような橋が次々と架けられた。
 つまり、堤防を一跨ぎにする(洪水の時でも渡れる)長さ1Kmの大きな橋ではなく、
 長さ50m程度の小さな橋を堤外地(河川敷の中)に建設したのである。
 潜水橋には懐かしさや風情、そして水辺への親しみ易さがあるが、不便なことも多く、
 なにより河川が増水している間は通行できない。また、ほとんどの潜水橋は幅員が狭く、
 車は対向できないので、建設後に橋の通行量が当初よりも増大してくると、交通遮断等の
 新たな社会問題を引き起こすことになる。さらに車輌の転落事故等、安全性にも問題がある。

 一般的な潜水橋の形式は、コンクリート製の桁橋(けたはし:橋脚の上に橋桁を置いた形式)である。
 橋脚は流水抵抗を軽減する断面形状になっていて高さは低い。そのため、橋桁の位置が
 河床に近く(低く)なるのが特徴である。欄干(手すり)は設けられていないものが多い。
 つまり水没することにより、橋自身と河川(の堤防)を守るように設計された橋である。
 特異な形態の橋だが、それがかえって郷愁を誘うのか、あるいは水辺を身近に感じられることが
 好イメージを生むのかはさだかでないが、潜水橋はテレビCMの映像や歌のモチーフにも登場する。
 例えば、DREAMS COME TRUEの名曲[晴れたらいいね]には、雨が降れば川底に沈む橋、の一節がある。
 また、キリンジ(埼玉県坂戸市出身)は、冠水橋というタイトルの曲をリリースしている。
 これは子供の頃の原体験をもとに創作したものだそうだ( おそらく越辺川の冠水橋をイメージしたのだろう)。
 ともあれ、水没する橋には人を惹き付ける不思議な魅力があるようだ。

 潜水橋の呼び名(俗称)は地方によって様々で、潜没橋(京都府)、流れ橋(京都府、岡山県)、
 沈下橋(高知県、四万十川)と云う県もある。T.Kさんの情報によると、九州では沈み橋と呼ぶそうだ。
 ちなみに、冠水しないように設計された普通?の橋は、永久橋や抜水橋
(ばっすいきょう)という。
 抜水橋は橋が水を被らない点を強調した用語なのだろうが、土木関係者でも知らない人の方が多く、
 今では死語になりつつある。一方の永久橋は橋の機能や形態ではなく、橋の耐久性や維持管理など、
 経済性(時間という永久性)を主眼とした名称である。近代以前の橋の呼称では、高橋が抜水橋に、
 石橋が永久橋に相当する(その名残は現在でも残っていて、コンクリート橋のことを石橋と呼ぶ古老もいる)。
 なお、永久橋のことを万年橋と呼ぶこともあったが、この呼称も今ではすたれている。
 最近は親水橋と称し、冠水する橋(歩行者専用)を、わざわざ作ることもあるようだ。
 そういえば、河川改修によって河道の直線化・コンクリート護岸化をしてしまった川を、
 [多自然型川づくり]などの名目で、莫大な費用を投じて、元の蛇行に戻すのも流行っているようだし...
 一方、既設の冠水橋に対する管理者(自治体)の意向は、治水上と安全性の観点から全面撤去が多い。

 埼玉県の冠水橋の特徴
渡と橋 冠水橋に限らず、中規模以上の河川に架かる橋のほとんどは、その起源が渡し(渡船)である。
近世においては、大河川に設けられた渡しは、幕府公認の定船場が多く、それらは政治的・軍事的な
目的があり、関所的な役割を果たしていた。一方で中小河川の渡しは、街道渡しと作場渡しの
比率が高かった。街道渡しとは主な街道へと道路を接続させるためのもの、作場渡しは対岸に
ある耕作地へ往来するためのものである。意外なことに、渡しは近代(遅い地域では
昭和中期)まで存在していた。近代になっても、渡しが存続した最大の理由は、架橋が技術的に
困難だったからではなく、(1)橋の存在は舟運や河川交通の邪魔になった、(2)政府は財政難を
理由に積極的な架橋は控え、民間資本による架橋や渡船の運営を推奨したからである。
埼玉県内にはまだ利根川に2箇所の渡しが残っているが(島村の渡し葛和田の渡し)、
荒川の渡しは昭和56年(1981)の金石の渡し(長瀞町)の閉鎖に伴い、全て姿を消した。
近世の渡しは個人が所有・運営し、賃取り(有料)だった。近代になると、主要街道を結ぶような
重要度の高い渡しは、県の管轄に移行され、官渡と呼ばれていた。そして早い時期から
渡船は橋(船橋や木造の仮設橋)に移行し、橋は永久橋へと進化していった。
ただし、明治・大正時代には国道や県道であるのに、民間人が運営する賃銭橋(有料橋、賃取橋)が
多く存在したのも事実である。埼玉県ではそれらの橋を県の所管とする(買い取る)方針を立て、
大正7年(1918)の県議会予算審議では、橋梁整理費が新設されている(埼玉県議会史、第3巻、p.1035)
それに対して、市道や村道などの大半の渡しでは、民間(地元民)が管理・運営する私渡の
状態が長く続いたが、経営難などを理由に、次第に渡しの権利を村に譲渡するようになった。
こうして、昭和初期の頃には両岸の村が協力して、渡船を運営する形態(公共の渡し)に移行していった。
渡しでは冬場になると、仮の橋を架けることも多かった。これは水深が減少して船の航行が
不可能となること、急な増水によって橋が流される可能性が低いことなどによる。
逆に渡しでありながら、ほぼ一年中橋を架けておき、川が増水して橋が渡れない時のみ
船を出して渡河していた例もある。児玉郡神川町の神流川に多かったが、この付近の
神流川は浅瀬が多く、徒渡り(かちわたり、徒歩で渡河)が可能だった。
なお、徒歩でしか渡れないような(荷車や馬は渡れない)幅の狭い橋は、俗称として
徒橋や徒歩橋(かちはし)と呼ばれることが多い。
水系 荒川水系に集中。支川だけでなく本川にも分布しているのが特徴である。
荒川水系に比べると、利根川水系の分布数は少ない。ただし1998年頃まで、小山川の
最下流にも潜水橋が2基あった。現在ある冠水橋は昭和30年(1955)以降に建設されたものだが、
どれも洪水によって流出・大破した過去がある。現況の形態(特異な物は特に)は
補修・改修を経て、今まで使われ続けた結果でもある。
なお、冠水橋という呼び名は近年に定められたものではなく、昭和30年頃から既に使われていた。
昭和26年(1951)に竣工した植松橋(荒川)の公的な名称は、植松冠水橋だった。
昭和30年竣工の久下橋(荒川)は、当時の新聞報道では荒川冠水橋などと紹介されている。
また、原馬室橋(荒川)の付近には冠水橋架設記念碑(昭和33年建立)も残っている。
場所 中・下流域に分布。堤防の中(=高水敷)に設けられている。
中・下流では堤防間の距離と川幅が広くなり、永久橋の建設は経済的に困難となる。
冠水橋は暫定措置として残された、仮設的な橋の傾向が強い。地域の生活道として、
仮設橋が撤去あるいは全面改修されずに残っている、という表現の方が適切か?
久下橋(荒川)は県道の道路橋であるが、それ以外は市町村道の橋である。
全ての橋が片側一車線だが、交通量の少ない地域にあるので、交通渋滞の問題は
ほとんどない。反面、周辺の社会環境が変化して、橋の通行量が増え出すと、
冠水橋の存在は危機に瀕する可能性がある。
なお、冠水橋が設けられた地点はそのほとんどが、かつては渡し場であった。
規模 橋長50m、幅員2.5m前後の橋が多い。河川改修によって川幅(堤防間の距離)は広げられたが、
橋だけは昔の規模である。冠水橋は堤防を斜めに横断する取り付け道路に接続されている。
広い河川敷の中にポツンと小さな橋が架かり、そこには懐かしさを帯びた独特な景観が展開している。
最も大きい冠水橋は久下橋(荒川)で約300m、第2位は若宮橋(高麗川)の約100m。
久下橋の長さが突出しているのは、元々は中洲に設けられていた2つの橋が流出・復旧を
繰り返した結果、1つの橋になったからである。都幾川が越辺川へ合流する地点に架かる、
長楽落合橋と赤尾落合橋、男堀川が小山川へ合流する地点に架かる2つの橋も、
中洲(導流堤)を介して設置されている。これらの橋の現形態からは久下橋の旧態が想像できる。
河川の合流直後に1基の大きな橋を架けるよりも、合流直前に2基の小さな橋を架けようという
発想である。合流直前ならば川幅が狭いので、橋の規模は小さくてすみ、架橋も容易になる。
大規模な橋の建設が困難だった時代の知恵である。
構造 すべて桁橋。見た目は木造の橋が多いが、完全な木造橋は筆者が調査した範囲では
長楽落合橋(都幾川)のみである。越辺川と高麗川の冠水橋は橋面・橋脚ともに、
木製であり、一見すると木造の橋だが、主桁にはH形鋼が使われている。
若宮橋(高麗川)の主桁は鉄道の古レール(外国製)を転用した変り種。
群馬県の谷田川には桁が鉄道の古レール、橋面が鉄道の枕木という、さらに奇妙な
潜水橋(群馬県でも冠水橋と呼ぶのかは不明)が2基並んで存在する。→ 谷田川の潜水橋
ほとんどの冠水橋には通行の安全性を考慮して、欄干または地覆(高さ20cm程度の
車止め)が設けられている。例外は都幾川の冠水橋
で、これらの橋には欄干はない。
ただし、高さ5cm程度の縁石は設けられている。
冠水橋の構造形式は古典的な土橋の形態を踏襲したものが多く、橋長の割には橋脚の数が
多い(スパン割が細かい)のが特徴である。また、流木よけ(仮称)が設けられた橋も多い。
流木よけとは、橋の上流側の側面に設けられた斜めの部材のことで、流れてきた木やゴミが
桁や橋脚に直撃して、橋を損壊させるのを防ぐためのもの。
なお、増水時の河川には木やゴミが大量に流れるが、それらは橋の存在によって流下を
妨げられてしまうことが多い。流下しきれない木やゴミは、橋の上流側に付着し蓄積され、
河道は次第に塞がれてしまう。最悪の場合、冠水橋は水流を完全にせき止めてダムと化してしまう。
橋の形態が、冠水橋のように橋脚の数が多い場合には、木やゴミの流下は阻害されやすい。
流木よけが木やゴミを跳ね上げることによって、橋がダム化するのを防ぐ効果もある。
冠水橋の独特な形態は、このような目的と機能から生み出されたともいえる。
規制 橋詰に標識とブロックを設け、車輌の進入規制(車幅、重量)をしている橋が多い。
車幅制限は1.8〜2.1m、重量制限は1.5〜2.0tが一般的であるが、多和目天神橋(高麗川)の
重量制限は1.0tである。これだと普通自動車は渡れないことになる。
なお、若宮橋(高麗川)は長さ100mの大きな橋だが、橋詰には車輌の進入を禁止するブロックが
設置されていて、現在は歩行者専用橋になっている。
若宮橋の現況は、埼玉県の冠水橋群の将来の姿(楽観的な)を示唆しているともいえる。
運用 橋の管理者は市町村。増水時には通行規制あるいは交通止めの措置がとられる。
荒川の冠水橋には着脱可能な欄干が設けられていて、洪水時には欄干が抜き取られる。
これは増水して橋が潜ったさいの流水抵抗を小さくするためと、橋へゴミや流木が付着するのを
防ぐためで、欄干を外すことによって、橋と堤防を守っているのである。
なお、橋の管理は昭和30年頃までは、市町村ではなく地元の人々が行なっていた。
当時の冠水橋には欄干はなかったが、橋板(橋面の板、通路)を抜き取る専門の人がいて、
増水時には橋板が流出しないように作業したそうである。[橋番]や[橋守]などと呼ばれていたようだ。
現在の様に橋板が釘やボルトで固定されてはいないので、橋の構造は流れ橋に近かったといえる。
補足 言葉のニュアンス的には、冠水橋が水を被るであるのに対して、潜水橋や沈下橋は
水に潜る(水没)である。冠水橋は[水を被る]程度に桁高が設定されているようで、
概して冠水橋の方が潜水橋よりも桁の位置が高いようだ(冠水橋の桁位置は計画高水位よりも
若干低い程度であろうか)。このため、冠水橋は川が増水した時には完全に水没しないで、
水の流れを妨げる傾向があり、橋自体が水流によって破壊される可能性も高い。
それを防ぐために、冠水橋には上流側面に流木よけが設置されているのである。
一方、潜水橋は冠水橋に比べて破壊される可能性は低いが、その代償として増水時に
通行不可となる頻度が高くなる。橋の構造的な安全性と通行の利便性の妥協点が
桁位置の高さに表れているといえる。
なお、増水時に水流にまったく抵抗しない構造の橋は、流れ橋と呼ばれる。この形式の橋は
橋桁(材料は木材が主流であり床版を兼用している)が、橋脚に固定されていないので、
増水時には橋桁は橋脚から外れてしまう(というより、そうなるように造られている)。
ただし橋桁は、水に流されて紛失してしまうのを防ぐために、岸辺にワイヤー等で連結されている。
流れ橋は極めて珍しい形式の橋というわけではなく、全国的にごく普通に分布している。
埼玉県でも山地河川の上流部には、流れ橋が数多く架けられている。→ 埼玉県の流れ橋
どれも小規模な歩行者専用橋であり、見た目は仮橋であるものが多い。
冠水橋は自治体が建設し、維持管理も担当しているのに対して、
流れ橋は地域の人々が共同して建設したものであり、維持管理は地元主体でなされている。


冠水橋の分布図 (確認数 38基)  
 本庄市   3 (2+1)
 岡部町   2 (1+1)
 北川辺町 1
 熊谷市   1
 大里町   3 (2+1)
 吉見町   5 (3+2)
 川島町  10 (8+2)
 鴻巣市   2
 北本市   1
 桶川市   1
 上尾市   1
 嵐山町   1
 東松山市 6 (2+4)
 坂戸市   6 (4+2)
 川越市   1
 志木市   1

(注)橋の両岸が同じ市町村(自治体)の
  場合は
青字。異なる場合は赤字
ex.東松山市には冠水橋が6橋あるが、
 2橋は完全に市内にあり、
 4橋は対岸が東松山市ではない。

冠水橋の一覧 (河川別:上流→下流、*は歩行者専用橋)

 (注)2001年時点での記録なので、橋の諸元や通行規制は変更されている可能性があります。
 久下橋
 荒川
 久下橋 滝馬室橋
 原馬室橋 高尾橋
 樋詰橋 西野橋
  農耕地連絡橋
  和田吉野川
  農耕地連絡橋1号、2号
  ゴルフ場の2橋
  流川橋
  市野川
  流川橋 江綱橋 愛宕橋
  松永橋 谷中橋 鳥羽井橋
  大福寺橋 大塚橋、他2基
  稲荷橋
  都幾川
  鞍掛橋 稲荷橋
  長楽落合橋
  〜
 流れ橋 
 島田橋
 越辺川
 島田橋
 赤尾落合橋
 八幡橋
  若宮橋
  高麗川
  多和目天神橋 多和目橋
  若宮橋

  〜 高麗川の狭い橋 〜 
  小山川の冠水橋
  小山川
  前の橋(通称)
  無名橋2橋
  塩沢冠水橋
  その他
  塩沢冠水橋(槻川)
  鎌取橋(小畔川) 出丸橋(入間川)
  月見草橋(御陣場川)
 柏戸橋(谷田川)
  名称不明(新河岸川)

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