渡良瀬川 〜 柏戸橋(谷田川)の周辺 [渡良瀬川のページ一覧]
右岸:埼玉県北埼玉郡北川辺町柏戸、向古河 左岸:茨城県古河市
(注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 5000(500万画素)で撮影しました。
↑渡良瀬川の河川敷 右岸堤防から渡良瀬遊水地の方向を展望。手前から奥に 延びるのが、柏戸橋への取り付け道路。道路の先に 見えるのが、第一排水門と越流堤。この付近はかつては 柏戸村であり、大相撲の初代[柏戸]の出生地である。 |
↑谷田川と渡良瀬川の合流 (柏戸橋から) 谷中湖の末端、第一排水門の下流では渡良瀬川へ谷田川が 合流している。手前が谷田川、奥が渡良瀬川。 治水上なのか水質上の問題なのかは不明だが、谷田川は 堤防で谷中湖と、RC隔壁で渡良瀬川と分離されている。 |
↑渡良瀬遊水地 第一排水門付近から見た貯水池機場、奥が谷中湖。 谷中湖は外周が約9Kmもある多目的貯水池。 平面形状はハート形をしているが、その凹の部分が湖底に 沈み廃村となった、谷中村の史跡保存ゾーンとなっている。 渡良瀬遊水地は利根川水系の洪水調節と首都圏への 生活用水の供給を目的とする日本最大規模の遊水池。 群馬県、栃木県、埼玉県、茨城県にまたがり、 面積33Km2、貯水容量1.8億m3の圧倒的な規模。 |
↑水害記念碑 渡良瀬川の右岸堤防(三国橋の上流100m)に設けられている。 昭和25年9月、北川辺領水害予防組合によって建立された。 この地点は昭和22年のカスリーン台風によって、渡良瀬川の 堤防が決壊した箇所である。この台風では北埼玉郡東村で 利根川の堤防も決壊している →カスリーン公園 渡良瀬川の決壊跡の碑は、渡良瀬遊水地の北エントランスにも あり、近隣には巴波川の決壊跡の碑(巴波橋の付近)、 与良川の決壊跡の碑(与良川第二排水機場の付近)もある。 |
↑渡良瀬川の左岸堤防(上流から) 古河市宮前町 この付近は栃木県下都賀郡との境界である。堤防には 県境を示した古い境界標(石造り)が2箇所に残っている。 左岸側の河川敷には古河ゴルフリンクスが広がっている。 雀神社の付近の堤防上には、万葉古河の歌碑(昭和60年 建立)があり、万葉集に詠われた古河に関する歌二首が 刻まれている。なお、右岸の埼玉県側の鷲神社には、 万葉古河之渡(埼玉県指定旧跡)の石碑(歌碑)がある。 古河ゴルフリンクス脇には、赤煉瓦造りの古い煙突と 田中正造翁遺徳之賛碑もある。 |
↑三国橋から眺めた渡良瀬川(上流から) 左岸:古河市桜町、右岸:北川辺町向古河 左岸の頼政神社の付近には、渡良瀬川治水紀功碑(大正15年 5月建立)がある。題字は内閣総理大臣 若槻禮次郎、撰文は 内務省技師 安達辰二郎。碑文は渡良瀬川の近代改修の竣工と その歴史を綴ったもので、かなりの長文である。同所には 渡良瀬川改修工事の殉職者碑(皇紀2586年:西暦1926年建立)もあり、 19名(内4名は病死)の名前が記されている。なお、この付近には 戦国時代まで古河城が存在したが(跡地の大半は渡良瀬川の 河川敷となっている)、その古河城船渡門址の碑もある。 |