煉瓦造りの  (その5)_


 ホフマン窯
↑ホフマン窯(旧下野煉化製造会社)
 栃木県下都賀郡野木町野渡

 明治22年(1889)建設。平面形状が
 楕円ではなく円形のホフマン窯である。
 下野煉化製造会社(シモレン)の工場は
 
渡良瀬川の左岸に設けられ、付近の
 野渡河岸や古河河岸から煉瓦を搬送した。
   橋の跡?
  ↑橋の跡?
   (中川、埼玉県北葛飾郡杉戸町並塚)
   船渡橋(県道183号)の付近には、
   
中川の上中流部では珍しく、河川敷が存在する。
   船渡橋から上流へ300mの河川敷には、
   旧舟戸橋の遺構(と言われている)煉瓦が残っている。
   写真の手前側は橋台の跡?(長さ6.2m、高さ95cm)で、
   4m奥には橋脚と思われる部位も残っている。

   使われている煉瓦は大正期以前の古い赤煉瓦で、
   平均実測寸法は22
7×108×57mm。
   平の面には
機械成形の跡が確認できる。
   遺構は
イギリス積みで組まれている。

 秩父鉄道の護岸壁
↑秩父鉄道の護岸壁
 荒川、埼玉県秩父郡長瀞町矢那瀬(やなせ)

 秩父鉄道の波久礼駅(はぐれ)から北へ600mの地点。
 葉暮橋(国道140号線)の脇にある。この付近では
 秩父鉄道は国道140号線のすぐ東側に並行していて、
 この護岸壁の上に線路が敷設されている。
 長さ80m、高さ30m(共に推定)の巨大な護岸壁である。
 壁は
イギリス積みで組まれていて、緩やかな曲線を
 描いて施工されている。天端には安山岩の笠石が置かれ、
 その下には十字形の飾り積みが施されている。
 秩父鉄道の波久礼-金崎間が開通したのは、明治44年
 (1911)なので、この護岸はその時に建設されたものだろう。
 この付近には同時期に建設された
鉄道橋が多く残っている。

   煙突
  ↑煙突(渡良瀬川、茨城県古河市宮前町)
   渡良瀬川の左岸堤防に面した雀神社の脇にある。

   イギリス積みで組まれているが、上部は破損している。
   使われている煉瓦は大正期以前の古い赤煉瓦で、
   平均実測寸法は2
07×98×55mmとかなり小さい。
   平の面には
機械成形の跡が確認できる。
   下野煉化製造会社の製品だろうか。

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