滝の鼻橋 (たきのはな)
場所:都幾川、埼玉県比企郡都幾川村(ときがわ)西平2198付近 - 周辺の風景 -
形式:ワーレントラス橋(下路平行弦、垂直材付き) 長さ20m(歩測)、幅1.8m 建設:大正14年(1925)7月
都幾川の管理起点から6Km下流、県道172号大野東松山線(旧秩父往還)と
県道273号西平小川線(旧小川往還)の西平交差点付近にある。
ここは秩父方面と小川方面の分岐点である。滝の鼻橋は都幾川村西平から松郷峠を越えて、
小川町腰越へと抜ける重要な街道の入口に位置する。また、滝の鼻橋は拝塚地蔵尊への参道が
都幾川を跨ぐ地点に架かるので、参詣橋の役目も果たしている。右岸橋詰には
入比坂東三十三ヶ所観音の二番札所 小幡堂もある。
滝の鼻橋という名は、この付近の小字である滝の鼻に由来する。滝の鼻橋のすぐ近くには
不動の滝と呼ばれる小さな滝(湧水)もあり、清流:都幾川の水源となっている。
この付近まで北へ向かって流れて来た都幾川は、滝の鼻橋の上流100mで流れを急激に東へと
変えている。さらに滝の鼻橋の上流50mでは以後ヶ沢、下流100mでは後野川が都幾川の左岸へ
合流している。そのためか、この付近は谷が深く、橋を架けるのは困難な地点だったと推測される。
滝の鼻橋の架橋当時、この付近は比企郡平村(たいらむら)であり、かつては西平交差点から
南西へ500mの付近に平村役場があった。平村役場の近くには滝の鼻橋の竣工と
同時期に道路の管理起点として、平村の道路元標が設置された。
それは現在も残っていて、都幾川村役場の倉庫に保存されている。
追補:滝の鼻橋は、土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
↑滝の鼻橋 (上流から) |
大正13年の洪水で旧橋(木の橋)が流出したために、村民が寄付金を 募って、大正14年に建設したもの。滝ノ鼻公園にある架橋記念碑によると、 設計は比企郡技手の渡辺恵麿、トラス部分の製作は比企郡小川町の 加藤鉄工所。6月上旬に起工し7月下旬に竣工しているので工期は50日余。 同時期、近隣には滝の鼻橋と似た形式の小規模な トラス橋が数多く建設されたようで、以下の橋が現存する。 昭和橋(昭和2年、氷川、都幾川村)、 矢岸歩道橋(大正12年、旧.柳町橋、槻川、小川町) この付近の都幾川は、谷が深く増水すると激流となる。 そのため、本格的な架橋が始まった明治初期から、橋の形式は桁橋ではなく、 トラスやアーチ(木造)であった。できるだけ、橋脚の数を少なくするためである。 明治16年(1883)に平村(現.都幾川村西平)の有志が地方税の補助に たよらずに、募金によって都幾川に架けた3橋(都幾川橋、小幡橋、 滝の鼻橋)は木造ではあったが、橋梁の形式は当時としては画期的な 洋式だった。都幾川村史 通史編(都幾川村史編さん委員会、p.560)には、 都幾川に架かっていた旧橋(木造橋)の写真が掲載されている。 形式は都幾川橋がダブルワーレントラス、小幡橋がアーチ、 本田橋が方杖ラーメンであり、どれも1スパン(橋脚なし)である。 |
↑滝の鼻橋 (右岸上流から) 通行車輌の重量制限1tの標識が掲げられている。 トラスの高さは約2.5m、橋面は鋼鈑を並べただけの 簡素な造り。右岸の橋台は石積み(建設当初のもの?)。 小さいけれども、手作りの雰囲気が漂う親しみ深い橋だ。 |
↑銘板とトラス 橋門構の上には、アールヌーボー調のおしゃれな銘板が付いている。 トラスは山形鋼(L字の鋼材)を、リベットで結合して作られている。 エンドポストの幅はわずか15cmで、部材にはレーシングもなく、 現在の印象は細くて華奢な橋だが、建設当時は頑丈な鉄橋 (当時はトラス橋をこう通称した)で、村の自慢だったと思われる。 |