越辺川 - 耕地整理記念碑

 撮影地:埼玉県坂戸市、越辺川(右岸)

 
坂戸市の越辺川右岸には広大な水田地帯が展開している。現在の形態は耕地整理によって
 築かれたものだが、なかでも島田地区と赤尾地区においては、明治40年(1907)から大正3年(1914)という
 古い時代に有志によって耕地整理が実施されている点は注目に値する。→埼玉県の耕地整理の概略史
 事業の内容は、かんがい排水の改良(湿田の乾田化)と区画・農道等の営農環境の整備であった。

 なお、耕地整理竣工記念碑の碑文に見られる勝呂村(すぐろ)とは、明治22年(1889)に
 入間郡島田村、赤尾村、石井村、塚越村が合併して誕生した村である。
 島田、赤尾は越辺川沿線の低地で広大な水田地帯であるのに対して、
 石井、塚越は台地上にあり、今でも雑木林が点在するのが対照的である。
 明治・大正期の記念碑等は村を単位として建立されたものが多いが、それらの村(江戸時代の村を
 母体とする)は、昭和28年(1953)に交付された町村合併促進法の影響下で統廃合されてしまい、
 現在では市町村の大字と小学校の名にかろうじて痕跡を残すのみである。

 勝呂村の村域には縄文時代の遺跡、勝呂神社古墳、堂山古墳、勝呂寺(廃寺、奈良時代に創建、
 勝呂公民館の敷地内に跡)などがあり、早い時期から文化が開けた地域だったことがわかる。
 なお、勝呂廃寺に使われた瓦は、比企郡鳩山町(当時は武蔵国最大の瓦の焼成工場)で
 焼かれたことが判明している。赤沼古代瓦窯跡(県指定史跡)がその窯跡である。

 入間郡勝呂村第三第四耕地整理誌
↑入間郡勝呂村第三第四耕地整理誌
 坂戸市島田 東蔵寺から200m南の
 耕地中に建つ(昭和10年4月建立)。
 碑文によれば、旧島田村の区域の
 耕地整理は約17町(17ha)の耕地を
 対象として明治42年(1909)3月に起工し、
 大正3年(1914)9月に竣工している。
 裏面には起工当時の土地所有者34名と
 耕地整理委員の名前が記されている。
   耕地整理記念
  ↑耕地整理記念 坂戸市赤尾
   天神橋(越辺川)の右岸橋詰から400m南西、
   県道74号線の脇に大日如来像と共に建てられている。
   建立は昭和5年3月、題字は埼玉県耕地課長
 前川純三
   勝呂村第一耕地整理と第二耕地整理の竣工記念碑である。
   第一耕地整理:面積180町、土地所有者184名、
    明治40年(1907)3月起工、翌年3月竣工。
   第二耕地整理:面積36町、土地所有者94名、
    明治41年(1908)1月起工、翌年1月竣工。

 越辺川の右岸に広がる水田地帯



 ←越辺川の右岸に広がる水田地帯
 坂戸市島田〜赤尾
  写真の奥が 越辺川の右岸堤防。
 左上には越辺川水管橋が見える。
 この付近一帯の耕地は越辺川の
 株木用水堰(坂戸市島田)から取水している。

 写真の左隅付近では都幾川
 越辺川に合流している。
 合流地点には赤尾落合橋(木製の冠水橋)が
 架かっている。赤尾落合橋から2Km上流に
 架かる島田橋も冠水橋である。

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