都幾川  越瀬橋から川北橋  [都幾川のページ一覧

 撮影地:埼玉県比企郡都幾川村

 越瀬橋の付近
↑越瀬橋(こいぜ)の付近(上流から)
 左岸:都幾川村別所、右岸:都幾川村田中

 この付近は西平地区との境界となっている。
 県道172号線が都幾川を横断する地点に架かるのが
 越瀬橋(1973年竣工、RC3スパン、斜橋)(注1)
 現在は改修されてしまって面影はないが、先代の越瀬橋は
 橋灯を備えた巨大な親柱と欄干のモダンな意匠が
 特徴だった。→旧橋の写真は都幾川村史
 通史編、p.693
 旧橋は
日本橋(中川、加須市)とよく似た造形だった。
   三波渓谷
  ↑三波渓谷(下流から)
   右岸:都幾川村田中、左岸:都幾川村別所

   越瀬橋から300m下流。この付近では、都幾川の川幅は急に
   狭くなり両岸には断崖が形成されている。河床に巨大な奇岩が
   露出し、渓谷の様相が濃くなることから、三波渓谷と呼ばれている。
   三波(さんば)とはこの渓谷に多く分布する、三波石(青緑色の
   結晶片岩)のこと。都幾川の渓谷美は越瀬橋の付近から
   JR八高線の
明覚駅付近まで、断続的だが広範囲に見られる。
   渓谷美が最も顕著なのが、越瀬橋から別所橋の区間約600mである。

 別所橋の下流、流れ橋
↑別所橋の下流、流れ橋(下流から)
 右岸:都幾川村田中、左岸:都幾川村別所

 別所橋(1982年竣工、旧橋は吊り橋で自動車の通行は
 不可能だったという)から300m下流に架かる流れ橋。
 左岸に位置する八剣神社(村社、祭神はスサノオ)への
 近道として利用されているようだ。丸太の上に木の板を
 打ち付けた幅0.35m、長さ7mの橋で、水面からの高さは
 なんと10cm!。2スパンだが橋脚はなく、河床に置かれた
 岩が橋脚の役目を果たしている。橋桁が流出しないように
 岸辺にワイヤーで係留されている。
 この橋の上流左岸へは高根沢が合流している。

   
本田橋の付近
  ↑店下堰:本田橋の付近(上流から)
   左岸:都幾川村本郷、右岸:都幾川村田中

   本田橋(県道30号飯能寄居線)という名は、本郷と田中を
   結ぶことに由来する。本田橋の下流に設けられているのが
   店下堰(固定堰)。ここから左岸の店下堰用水路(農業用水)へ
   送水している。取水樋管の脇には、用水路の竣工記念碑
   (昭和40年建立)がある。右岸には
水神塔が祀られている。
   左岸側の護岸は一部が練り石積みである。左岸の本郷地区では
   都幾川の周辺に低地(旧氾濫原)が見られ、そこには水田と畑が
   広がっている。なお、右岸の都幾川村役場の付近には、都幾川村へ
   合併する以前の
比企郡平村と明覚村の道路元標が残っている。

 瀬戸川の合流付近
↑瀬戸川の合流付近(上流から)
 左岸:都幾川村本郷、右岸:都幾川村田中

 川北橋から500m上流、市川橋の付近。円昌寺の北東で
 都幾川の右岸へ合流しているのが、瀬戸川。
 この付近の標高は約70mである。瀬戸川は都幾川村
 大附地区の弓立山(標高426m)を源とする延長約2Kmの
 小河川で、瀬戸、関堀、馬場地区を流れて来る。
 大附地区は山の斜面でミカンの栽培が盛んだという。
 なお、写真の奥は都幾川の河岸段丘であり、
 県道172号線に沿って民家が建ち並ぶ。

   
川北橋の下流付近
  ↑川北橋の下流付近(上流から)
   都幾川村番匠(ばんじょう)(注2)

   この付近の都幾川の川幅は約25m。水衝部には部分的に
   コンクリート護岸が施されているが、河床や流路は自然のままである。
   右岸は岩が露頭して崖となっている。川の存在感が大きく感じられる。
   川北橋と都幾川橋梁(JR八高線)の間には、こんな素朴な木の橋
   (橋脚は鋼とコンクリート)が架かっている。歩行者専用の
流れ橋だ。
   都幾川の増水時には橋桁は外れてしまうが、流されて
   紛失しないよう、岸辺にワイヤーで係留されている。右岸には
   川店(かわだな)があり(注3)、水辺へ降りられるようになっている。

(注1)越瀬橋の付近には越瀬という地名はない。越瀬とはこの地点が古くから
 渡河に利用されていたことの名残りなのだという。浅瀬と河道に適度に
 分布した巨岩、そして断崖から突き出した岩場という自然条件が幸いして、
 文字通り、瀬を歩いて越せたのだろう。
 なお、ここは鎌倉街道の脇道が都幾川を渡河する地点だったとする説もある。

(注2)番匠という変わった地名は宮大工を指すのだという。
 武蔵国郡村誌の比企郡番匠村(6巻、p.203)には、この地名の由来が
 2説記されているが、いずれも慈光寺造立にまつわるものである。
 (1)慈光寺建造のために、伊豆から工匠を呼び寄せ、この地に住まわせたとする説
 (2)慈光寺造立のために、源頼朝が番匠免(租税を免除)としてこの村を寄付したとする説

(注3)都幾川の岸辺には、川店(川棚)へ通じると思われる通路がわりと多く見られる。
 かつては都幾川の水は洗濯や洗物などの生活用水として使われていた。
 現在は消防道路(給水栓が無い地区では都幾川から取水)として
 利用されているものあるようだ。


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