玉川橋 (その1) (その2)
場所:都幾川、埼玉県比企郡玉川村玉川 - 周辺の風景 -
形式:RC開腹アーチ橋(リブ+柱) 長さ31.8m(径間長24m、ライズ3.0m)、幅4.8m 建設:大正10年(1921)
明治時代初期、埼玉県は西洋式木造橋(トラス、アーチ)の先進県であった。
明治工業史によると、日本初の木造構桁橋(トラス)は、明治12年の内藤出雲橋(東京市)、
木造拱橋(アーチ)は、明治6年の辯天橋(横浜市)である。→文献1
これらの橋とほぼ同時期に、埼玉県でも木造のトラス橋やアーチ橋が、数多く建設されていて、
都幾川の上流部にも数基の架橋があった記録が残っている→滝の鼻橋。
なお、明治18年に架けられた秩父橋(荒川、秩父市)は、全長が140mにも及ぶ巨大な
木造トラス橋(プラット・トラス)だった。また同年には秩父郡下吉田村(現在の吉田町)にも
プラット・トラスの吉田橋が架けられた(吉田町史 口絵)。
谷が深く増水すると激流となる河川では、橋の形式としてトラスやアーチを採用すれば、
桁橋に比べて径間が大きくとれるので、橋脚の数が少なくて済み、安全性の面で有利となる。
熟練した技術者(石工)が存在し、石材も豊富であった九州地方では、江戸時代から大正時代にかけて、
石造りのアーチ橋が数多く建設されてきた。→緑川流域の石橋
それに対して、明治時代以降、埼玉県で建設された石造りのアーチ橋は筆者の知る限り、
寺坂橋(明治22年、元小山川、本庄市)、高沢橋(明治40年以前、赤間川、川越市)、
鎮守橋(大正4年、上沼、東松山市)の3基のみである。
この事実は、埼玉県では石造りアーチ橋の架設技術が、欠落していたことの裏返しだと思われる。
初代の玉川橋は、明治12年(1879)に架けられ(→文献2)、木造のアーチ橋であったという(注)。
民間の寄付金を基に建設された埼玉県で4番目の橋だが、先行3橋が賃取り橋(建設費回収のために
通行料を徴収)であったのに対し、玉川橋は通行料を徴収しなかった。
例えば、明治7年竣工の徳江橋(吉川橋の前身、中川)、明治9年竣工の八幡橋(古利根川)は賃取り橋だった。
現在の玉川橋は大正10年(1921)に竣功した2代目の橋であり、埼玉県初のRC(鉄筋コンクリート)
アーチ橋とされている(→文献3)。規模は径間80尺(24m)、橋長106尺(31.8m)、橋幅16尺(4.8m)で、
工事は1月5日に起工し、12月8日に竣工している(→埼玉県行政文書 大1194)。
玉川橋のアーチの形式は開腹アーチ(アーチリブの上に柱を配置して床版を支える)である。
開腹アーチは、コンクリート量を節約できる、軽量となる(径間長を大きくできる)、
洪水時に水の逃げ道がある、等の利点があり、古い時代のRCアーチ橋でよく見られる。
大正13年に入間郡名栗村に架けられた名栗川橋(名栗川、現存)は、玉川橋を現地踏査して設計され、
デザインもほぼ同じであるので、玉川橋の兄弟橋ともいえる。
なお、大正8年(1919)には道路法施行令が公布され、全国の市町村は道路元標の設置が
義務付けられた。玉川村の道路元標は玉川橋の竣功と同時期に設置されたが、それも今だ残っている。
玉川橋は埼玉県に現存する最古のコンクリート橋である(筆者の調査による)。
玉川橋よりも古い橋(道路橋)は、埼玉県には12基以上存在するが、それらの材料は石および煉瓦だ。
12基の内訳は石橋11基(アーチ橋2、桁橋9)、煉瓦橋1基(アーチ橋)である。
なお、上記の集計では煉瓦水門15基(形態と用途が橋を兼ねる。アーチ:11基、桁:4基)と
鉄道橋20基以上(大半が鋼桁。歩行者専用橋への転用4橋を含む)は除外した。
用途と材料を問わなければ、埼玉県には玉川橋よりも古い橋が50基近くも現存する。
(注)正確には形態がアーチの橋であり、構造的には刎橋(はね)や肱木橋(ひじき)と呼ばれたカンチレバー橋。
なお、武蔵国郡村誌の比企郡玉川郷(六巻、p.201)には玉川橋の記述があり、”川越道に属し村の中央
都幾川の下流に架す 長十八間巾二間木製”と記されている。木の橋とはいえ、この玉川橋は長さ約32.7m、
巾3.6mと大きく、見た目の大きさは現橋とほぼ同じであった。郡村誌は明治9年(1876)の調査を基に
編纂されたものなので、初代の玉川橋の架橋年については文献2と食い違いがある。
しかし、明治12年3月25日付の”寄付金ヲ以テ玉川橋架設ノ件ニ関シ内務省ヘ伺許可指令”の
記録が残っているので(→埼玉県行政文書 明1709)、文献2の記述が正しいと思われる。
(追補)玉川橋は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
↑玉川橋 (上流から) 県道171号小川-坂戸線と県道173号の交差地点に 架かる。昔からの交通の要所である。 架橋地点の都幾川の両岸には岩盤が露出している。 周辺には緑が多く、紅葉と都幾川の渓谷美が堪能できる。 |
↑玉川橋 (下流から) 橋面から河床までは約6m。上部工(欄干、橋面)は 改修されているが、下部工はほぼ建設当初の状態が残る。 欄干(高さ1.1m)は昭和63年に改修された。 撤去された旧親柱が橋の周辺に放置されたままなのは残念だ。 |
↑橋面 (左岸の上空から) 玉川橋は玉川村の中心部に位置するので、 交通量は割と多い。拡幅されたようだが、それでも狭い。 下流には、新しい玉川橋が建設されている。 |
↑アーチリブと橋台 (左岸から) アーチリブと柱の表面には、モルタルを吹き付けた化粧が 施されている。橋台も建設当初のものと思われるコンクリート造り。 橋台周囲の護岸は練り石積み。 |
参考文献 (1)明治工業史 土木篇、工学会、1929、p.42
(2)玉川村史 通史編、玉川村教育委員会、1991、p.696-700、802
(3)埼玉県の近代化遺産、埼玉県教育委員会、1996、p.123