榎戸堰 (その1)(その2)(その3

 所在地:北足立郡吹上町榎戸、元荒川  建設:1903年

 元荒川の一番堰:
 榎戸堰は元荒川に建設された、最上流かつ最初の堰(別名.元荒川一番堰)だそうだ。
 堰の歴史は古く、元荒川が荒川だった頃(1629年の荒川の西遷以前)に設けられ、
 形式は建設当初から堰枠(注1)だったようである。木造の堰は大雨で元荒川が増水すると
 破壊されやすく、しかも10年位使用すると腐朽してしまうので、建設後にもその都度、
 修復や改築が行なわれていた。その費用は全額、地元の農民が負担していた。

 木造から煉瓦造へ:
 現存する煉瓦堰は明治36年(1903)に、木造から煉瓦造りへと改築されたもの。
 これは榎戸堰普通水利組合(注2)県税の補助(町村土木補助費)と埼玉県の技術指導を得て
 建造したもので、工事は明治36年4月1日に起工し、同年11月26日に竣功している。
 ゲート数は3門と少ないが、使用煉瓦数は約62,000個であり、古笊田堰(埼玉県で
 現存最大の煉瓦堰、ゲート5門、煉瓦数は約49,000個)よりも規模の大きい煉瓦造りの堰だった。
 現在残る煉瓦造の側壁はイギリス積みで組まれている。

 ゲートの数が少ない割りには使用煉瓦数が多かったのは榎戸堰の形状にある。
 榎戸堰は上空から眺めると、ゲートの上流側の側壁が左右非対称となっていた。
 右岸側(取水口の側)の袖壁は左岸側に比べ2倍以上も長く、護岸と取水路を兼ねていた。
 基礎の工法は当時一般的だった土台木である。これは地盤へ基礎杭として松丸太を打ち込んでから、
 杭頭の周囲に木材で枠を組み、中に砂利や栗石を敷詰めた後に突き固めて、その上に
 捨コンクリートを打設した方式である。
 榎戸堰の設計原図と設計仕様書は、埼玉県立文書館に保存されている。
 また、吹上町郷土資料館には、建設工事中の写真が収蔵されている。

 煉瓦堰の工事:
 榎戸堰の建設工事では、吹上村長(榎戸堰普通水利組合の管理者)の依頼を受けて、
 県から技術官として、技手 森田カク次(カクは火へんに赤)が派遣され、工事の監督や
 各種の検査を担当している(埼玉県行政文書 明2496-4)
 建設開始前におこなわれた材料検査では、納品された煉瓦約6万個のうち約2万個が
 表積用の選焼過一等煉瓦に値しない不適切な材料であることが発覚している。
 材料検査書には、”品質優良ト認ムルニ能ハズ”とあり、煉瓦の形に歪みが見られ、大きさも
 不揃いだったと記されているので、おそらく地元の長島煉瓦工場の煉瓦が搬入されていたのであろう。
 長島煉瓦工場は1902年に小谷村(榎戸村から3Km南東)で創業している。
 残りの約4万個の煉瓦については後日、再検査(性能試験のことだろう)して、
 裏積用として使用を許可するか否かを決定するとも明記されている。
 状況から判断すると、残りの煉瓦も長島煉瓦工場の製品だったのだろう。

 榎戸堰の施工は町村直仕立とあるので、村請(地元請負)だったと思われる。
 建設地点が軟弱地盤だったので基礎杭の沈下が大きく、そのうえ湧水にも悩まされ、
 難工事を極めたそうである。もっとも湧水については、設計段階で予め考慮されていて、
 水替水車の稼働は1日16挺で30日間と、他の地区に比べて3倍以上もの工数が計上されている。
 ともあれ、工事完了までに約8ケ月も要しているのは工事が難航したためである(上述の古笊田堰の
 建設は約4ケ月で完了。この当時の土木工事は工期が短い)。建設費は当初の予算を超過し、
 その不足分を補うために、吹上村長は私財を投じたとも伝えられている。

 榎戸堰のその後と現状:
 榎戸堰は元荒川支派川改修事業(昭和初期に竣功)で、左岸側がコンクリートで拡幅されたが、
 煉瓦造りの堰は従来のまま使われた。1966年には約60年の生涯を終え、煉瓦造りから
 コンクリート製へと全面改修されて、現在の榎戸堰に生まれ変わった。
 榎戸堰で元荒川の水を堰き止めて、上流右岸の榎戸樋管(1901年竣功、煉瓦造り)から
 農業用水を取水している。なお、元荒川に設けられた堰の特徴として、取水した農業用水は
 水田を潤した後、余水は再び元荒川へ戻されることが挙げられるが、
 榎戸堰は例外で余水の大半は足立北部排水路を経由して荒川へ排水される。

(注1)堰枠は自在堰とも呼ばれ、木製の角材と板を使って組み立てて、ゲートを備えた堰で、
  経年使用を前提とする。それに対して、かんがい期のみ一時的に設ける堰を草堰という。
  堰枠は非かんがい期(概して洪水期)に川の水流を阻害しまうので、
  近代以前は水防上の重要地点には草堰が設けられることが多かった。

(注2)榎戸堰普通水利組合は、吹上村、小谷村(現.吹上町)、田間宮村(現.鴻巣市糠田)で
  構成されていたが、榎戸堰建設の申請は不思議なことに、吹上村、太井村(現.熊谷市太井、
  吹上町北新宿、行田市)と久下村(現.熊谷市久下)でおこなわれている。

 新旧の榎戸堰  ←新旧の榎戸堰(上流右岸から)
 
元荒川の起点から、5km下流に位置する。
 堰周辺は榎戸堰公園として整備されている。
 公園内には煉瓦堰の建設に尽力した吹上村長:代田仙三郎の
 顕彰碑が建てられている(写真右上隅)。碑文には近代工法による
 半永久的な堰を完成させたと記されている。
 現在の榎戸堰には石造り風の堰柱が取り付けられていて、
 かつての煉瓦堰の面影をほんの僅かだが残している。


 榎戸堰の上流右岸の護岸(約14m)は、煉瓦造りだが、
 これは明治時代の煉瓦堰の側壁を残したもの。
 表積に使われている煉瓦の平均実測寸法は、2
22×107×57mm。
 煉瓦の寸法・形は均一で、表面には光沢があり、平の面には
 機械成形の跡が見られることから、おそらくこれは
日本煉瓦製造
 製品であろう。ただし、裏積の煉瓦には地元の長島煉瓦の製品が
 使われている可能性が高い。
 榎戸堰下流の元荒川の河床には、長島煉瓦のものと
 思われる(機械成形ではない)
刻印煉瓦が散乱している。

 榎戸堰の堰柱
↑榎戸堰の堰柱
 榎戸堰公園内に8個が
 残されている。長さ1.2m、
 幅0.7m。石材は安山岩?
 昔の水切り(堰柱の先端)は
 尖っている。

   榎戸堰の側壁
 


 ←榎戸堰の側壁(左岸から)
 かつての榎戸堰の跡。
 現在は元荒川の護岸を兼ねている。
 側壁の隅部(コーナー)には、石が貼られ、
 
角落し(ゲート)用の溝が付けられている。
 この煉瓦造の側壁は非常に長くて、
 写真奥の民家の塀付近まで延びている。
 その延長線上には旧中山道が通っていて、
 榎戸樋管(煉瓦造、1901年竣工)が
 設けられている。

 中州で遊ぶ白鳥たちは、
 今では、榎戸堰の主役。
 コブハクチョウだという。
 元荒川は吹上町の中心部を流れる。
 水辺は
親水護岸(多自然型工法)
 桜並木で整備され、中州では白鳥が
 のんびりと泳いでいる!
 元荒川はに天然記念物のムサシトミヨや
 ミヤコタナゴも棲息する。

戻る:[埼玉県の煉瓦水門]  吹上町の煉瓦樋門:[榎戸堰]榎戸堰組合用水樋管