鎌田樋管
所在地:東松山市正代(しょうだい)、九十九川左岸 建設:1899年
長さ | 高さ | 天端幅 | 翼壁長 | 袖壁長 | 通水断面 | ゲート | その他 | 寸法の単位はm 巻尺または歩測による *は推定値 |
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川表 | 28* | 1.1 (1.9) |
0.8 | 1.6 | 0.6 | 円0.49 | 木製 | ||
川裏 | 1.6 | ― |
鎌田樋管は、九十九川の左岸堤防に設けられた煉瓦造りの樋管であり、農業用水を
取水している(管理は高坂土地改良区)。樋管名は旧.比企郡高坂村大字正代字鎌田に
設けられたことに由来する。九十九川はこの地点から700m下流で越辺川に合流する。
鎌田樋管は比企郡高坂村が県税の補助(町村土木補助費)と埼玉県の技術指導を得て、
腐朽・大破した旧木造樋管を煉瓦造りで改良したもの。
建設費は879円で、内373円を寄付金から充て、不足分の506円(建設費の約58%)は補助金に依った。
竣工は明治32年3月31日。起工日ははっきりしないが、計画書には工事着手から30日以内に竣工の予定とある。
鎌田樋管の使用煉瓦数は4,200個(一等煉瓦)であり、非常に少ない(埼玉県行政文書 明2457-40-1)。
樋管本体は土管なので、煉瓦が使われているのは川表と川裏の翼壁と面壁のみである。
迫り出しなどの装飾を除き、基本的な壁構造はイギリス積みで組まれている。
東松山市に建設された通水断面が円形の樋管は、全て同じ構造のようで使用煉瓦数が
少ないのが特徴だ。例えば、田中樋管(都幾川左岸?、1898年)は4,300個、
三原樋管(都幾川、1902年)は3,378個である(→文献1、p.38)。
基礎の工法は当時一般的だった土台木である。これは地盤へ基礎杭として松丸太を打ち込んでから、
杭頭の周囲に木材で枠を組み、中に砂利や栗石を敷詰めた後に突き固めて、その上に捨コンクリートを
打設した方式である。基礎杭には長さ二間(3.6m)、直径四寸(12cm)の松丸太が82本使われている。
杭配置の間隔は1m程度、捨コンクリートの厚さは30cm程度だと思われる。
↑川表 野焼き後なので煉瓦は黒っぽく見えるが、 樋門に使われているのは赤煉瓦である。 ゲートの柱、戸当りは石造り。 柱には竣工年が、縦書きで刻まれている。 出来形帳には石材は川越から搬入と記されている。 |
↑川裏 上部にはコンクリートの板が渡され、 管理用道路として使われている。 管は内径490mm、長さ600mm、厚さ45mmの土管である。 尾州上等焼土管を42本使用。 面壁は管外径に合わせて、加工煉瓦が使われている |
↑大きな土被り 小さな樋門だが土被りは大きい。 3m位ありそうだ。 |
↑川表(天端から) 翼壁は躯体とは独立した構造のようで、 門柱にモルタルで貼りつけてある? 使われている煉瓦の平均寸法は、218×104×58mm。 形が歪んだものが多く、長手・小口面が平らではなく、 膨らんだものが目立つ。平の面が見えないので、 煉瓦の成形が手抜きか機械抜きかは断定できないが、 色や質感からは手抜きのように思われる。 |