前吐樋管

 所在地:東松山市下青鳥(しもおうどり)、都幾川左岸  建設:1903年

 前吐樋管は農業用の施設であり、前樋管の上流右岸に隣接して設けられている。
 都幾川に設けられた上用水堰で取水した農業用水は、堤外水路で導水され、元圦(高畑樋管)を経由して、
 前吐樋管、前樋管へと送られて来る。これらの施設は上用水堰土地改良区が管理している。
 前吐樋管は機能的には逃樋(余水吐)である。大雨などで水路の水位が上昇して、
 前樋管の通水能力を超えた場合に、
余水を都幾川へ排水する。

 本施設は腐朽した既設の木造樋管(明治23年に伏替)を煉瓦造りへと改良したもので、
 上用水堰及水路普通水利組合(管理者は野本村長)が、
県税の補助(町村土木補助費)と
 埼玉県の技術指導を得て、比企郡野本村大字下青鳥字前に前樋管と一緒に建設した。
 工事は随意契約請負で行なわれ(地元の岸澤庸臥が請負っている)、明治36年4月1日に起工し、
 同年6月1日に竣工している。当初の予定は明治36年3月25日起工、同年4月30日竣工であった。
 工事完了が遅れたのは、建設地の地盤が予想以上に軟弱であったために、
 施工途中で設計を変更して、基礎杭の本数を増やしたからである。
 基礎の工法は当時一般的だった
土台木である。これは地盤へ基礎杭として松丸太を打ち込んでから、
 杭頭の周囲に木材で枠を組み、中に砂利や栗石を敷詰めた後に突き固めて、その上に捨コンクリートを
 打設した方式である。埼玉県立文書館に保管されている設計図
(埼玉県行政文書 明2498-31)によると、
 前吐樋管の樋管長は5間(9m)、通水断面は
円形(1尺2寸:0.36mの土管を使用)である。

 前吐樋管の全景
↑前吐樋管の全景(用水路の上流から)
 手前が前吐樋管(排水用)、奥が前樋管(送水用)。
 両樋管の袖壁(側壁?)は連結されている。
 水路底から側壁天端までは高さ1.5m。
 前吐樋管は、都幾川の左岸堤防の裾に
 設けられているので、小さな樋管のわりには、
 樋管長と土被りが大きい。
  前吐樋管(川裏から)
 ↑前吐樋管(川裏から)
  ゲートは幅40cmの鋼製。ゲートの柱と戸当りは石造り。
  仕様書によると、セメントと石材は鴻巣駅経由で搬入している。
  翼壁の隅部は
異形煉瓦を用いて、隅石風に仕上げられている。
  ゲート付近の天端では、2ケ所に刻印煉瓦(
上敷免)が確認できる。
  前吐樋管は、(筆者の知る限り)銘板が付けられていない唯一の
  樋管である(設計図にも記載されていない)。
  樋管本体が小さすぎて、銘板を取り付けるスペースがなかったようだ。

 
木製フラップゲート
↑川表から(増設されたゲート)
 40cm角の木製
フラップゲートが付けられて
 いるが、これは後年に増設されたもの。
 上端はヒンジで取りつけられていて、
 都幾川の水位が上昇すると
 自動的に閉まる仕組み。

  
樋管内部

 ←樋管内部(川表から)
 建設当初は円形断面(土管を使用)で
 あったが、現在は吐口側は改築されて、
 樋管が継ぎ足されているようである。
 それに伴い、川表の翼壁は消失している。
 現在の通水断面は内空31cm角で、建材は
 石材(洗掘が進行したコンクリート?)と
 なっている。

 前吐樋管の使用煉瓦数は
 3,100個(
焼過一等)であり、
 埼玉県に建造された煉瓦樋門では、
 最も煉瓦数が少ない。
 煉瓦は川表と川裏の壁にしか
 使われていなかった。
 樋管本体は土管をコンクリートで
 巻き立てた構造である。

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