名称不明
所在地:熊谷市宮本町〜本石二丁目、荒川(旧堤) 建設:不明
この施設はJR高崎線と秩父鉄道の軌道下を横断して設けられている。
この地域の鉄道開通は早く、JR高崎線(日本鉄道)は1884年、秩父鉄道(上武鉄道)は1901年である。
秩父鉄道の路線の南側には、熊谷桜堤(北条堤)と呼ばれた荒川の旧堤防が設けられていた。
地元の古老の話によると、熊谷市内(本石方面)からの排水が、この施設を経由して堤外(宮本町方面)に
流されていたという。2連アーチの通水断面を持ち、堤外側には鉄製のゲートが付けられていた。
ゲートの形式は観音戸(マイターゲート)だったようである。
荒川が増水した時にはゲートを閉じて、洪水が熊谷市内へ流れ込むのを防いでいたそうである。
昭和20年頃までは水が流れていたが、現在は排水路は暗渠化され、本施設は埋められてしまった。
←全景 写真上部は国道407号の鎌倉町陸橋、 中央奥が秩父鉄道の上熊谷駅のホーム。 本体は埋められてしまったが、樋門の天端と翼壁が 地上に30cm位出ている。天端幅は3.6m。 本施設はもともとは鉄道の開渠として建設されたもので、 現在ある赤煉瓦の部分は、後年に軌道盛土の保護と 洪水の逆流防止のために、設けられたものではないだろうか。 (1)日本煉瓦製造(1887年創業)の煉瓦が使われているので、 本施設が建設されたのは、日本鉄道の開通以降 (2)本施設は2つの鉄道路線の下に設けられているので、 軌道下が樋門構造だとすると、長さは80m(推定)にもなる。 (3)土被りがほとんどないことから、樋門だとすると開削工法で、 建設されたことになる。そうすると数ヶ月間に渡り鉄道を 不通にしてしまう。 |
↑横から 秩父鉄道の軌道に隣接し、土被りは ほとんどない。 |
↑翼壁と面壁 本体はイギリス積み。天端の煉瓦は小口縦-小口横で 迫り出して組まれている。この組み方は珍しい形式であり、 埼玉県に現存する煉瓦水門では、天神沼樋と 本樋門の2基でのみ確認されている。 使われている煉瓦には、上敷免製の刻印がある。 煉瓦の寸法は225×111×62mm。これは埼玉県の 樋門で使われている煉瓦の平均的な寸法よりも若干大きい。 明治35年頃の日本煉瓦製造の普通煉瓦(東京型)の 寸法に相当する。 |