山形樋管

 所在地:富士見市下南畑(なんばた)、新河岸川(旧左岸)  建設年:1904年

  長さ 高さ 天端幅 翼壁長 袖壁長 通水断面 ゲート その他 寸法の単位はm
巻尺または歩測による
*は推定値
川表 7* 1.5 1.8

1.4

0.55 箱0.65* 木製スルース 門柱
川裏 川裏は全面改修されていて、φ1300のRC管

 周辺に分布する旧堤防:
 山形樋管は、国道254号と新河岸川が交差する付近にある(氷川神社の杜の中)。
 新河岸川の左岸堤防から約100m離れた東側には、高さ2m位の古い堤防が不連続に残っている。
 これは新河岸川の旧左岸堤防であり、新河岸川に架かる木染橋付近までを、竹之内堤と呼ぶ。
 木染橋の下流から志木市の境界付近までは、木曽目堤と呼ばれている。さらに木曽目堤の端から
 富士見市と志木市の境界に沿って、新河岸川の流路に対して直角に設けられた長大な堤防は
 佃堤(宗岡村惣囲堤の一部)である。新河岸川に限らず、昭和初期までは一級河川であっても、
 現在のように連続堤防は設けられておらず、堤防は不連続なことが多かった。
 水防の重要箇所にのみ村々が自己防衛的に堤防を築いていたので、堤防自体にも名称が
 付けられていたのである。なお、堤防の不連続な箇所は意図的に設けられた場合もあり、
 そこから洪水が溢れることを前提としていた。つまり堤防の周辺を遊水池としていたのである。

 江戸時代からの圦樋:
 南畑村(現.富士見市)の悪水(農業排水や雨水)は荒川と新河岸川へ放流されるのだが、
 排水しきれない水は村内を南へと流れる。しかし村の南端の宗岡村(現.志木市)との境界には
 佃堤が存在するので、大雨になると洪水の流下が妨げられ、南畑村は恒常的に湛水被害を被っていた。
 このため、南畑村には江戸時代から数ヶ所に、木製の悪水圦樋が設けられていた。
 これらの圦樋を通して、悪水を荒川や新河岸川へ放流すると共に、荒川や新河岸川から
 堤内地(住宅地の側)へ洪水が逆流してくるのを防いでいたのである。
 木曽目堤の末端に設けられた大悪水圦は、明治時代には煉瓦造で改修され乗越門樋(1899年)となった。
 これは1898年に宗岡村に大小合併門樋大悪水圦から500m東)建設されたことに触発されてであろう。
 乗越樋管は、現在では富士見ポンプ場の樋管(南畑大排水路)へと変貌している。

 山形樋管の建設経緯:
 本施設は銘板に記された正式名称が読み取れないが、この付近はかつて
 入間郡南畑村大字下南畑字山形であったから、山形樋管に間違いないであろう。
 下南畑地区の排水を新河岸川へ落とす樋管であり、設置場所から氷川樋管とも呼ばれたようである。
 山形樋管は老朽化した既設の木造施設を煉瓦造りへと改良したもので、入間郡南畑村が県税の補助
 埼玉県の技術指導を得て建設した。建設費は約1,103円、内655円(建設費の約60%)は県の補助金であった。
 この工事では山形樋管の他に、砂原樋管(南畑村大字東大久保、荒川右岸(現.びん沼川)、
 現在はコンクリートで全面改築)、水越門樋(南畑村大字上南畑字水越、新河岸川左岸、現存)の
 計3基が同時に建設されている。工事は埼玉県が直轄し、工事担当者は吉原芳太郎。
 明治36年11月10日に起工し、翌年5月21日に竣工している。

 山形樋管の特徴:
 山形樋管の使用煉瓦数は約8,000個(焼過一等煉瓦のみ)と少ないが(埼玉県行政文書 明2506-14)
 翼壁だけでなく、樋管内部の側壁にも煉瓦が使われている。また煉瓦には上敷免製の刻印が
 確認できることから、大里郡大寄村(現在の深谷市上敷免)の日本煉瓦製造が焼いた煉瓦だと
 わかる。ただし、門柱の背面付近に使われている煉瓦は日本煉瓦製造の物に比べて、
 色合いが浅く、わずかに見える平の面には機械抜き成形の跡が見られない。
 どうやら全ての煉瓦が日本煉瓦製造の物ではなく、樋管の裏側や内部にはかなりの比率で、
 他の工場が製造した手抜き成形の煉瓦が混じっているようである。
 煉瓦樋門の建設工事には、様々な思惑が渦巻いていたことがわかる(笑)
 なお、埼玉県立文書館には、砂原樋管、水越門樋、山形樋管の設計図と関連文書が保存されている。
 砂原樋管は山形樋管と同じく、樋管の形式は箱型だったが、天端には塔が設けられていた。
 3基の樋管の基礎工法は当時一般的だった土台木である。これは地盤へ基礎杭として松丸太を
 打ち込んでから、杭頭の周囲に木材で枠を組み、中に砂利や栗石を敷詰めた後に突き固めて、
 その上に捨コンクリートを打設した方式である。

 川表から
↑山形樋管(川表から)
 写真右上に見えるのが氷川神社の杜。
 周囲の景観と非常に調和した樋管である。
 煉瓦という当時としては近代的な材料を
 用いているが、樋管のデザインは日本古来の
 古典的なもの。門柱(高さ0.6m、鳥居のように
 見える部分)、
甲蓋(通水断面の上蓋)、
 ゲートの戸当りは石造りである。甲蓋の
 側面には施設名が刻まれているようだが、
 摩耗が激しく、判読は困難である。
 ゲートは木製で、最大幅0.75m、全長2.7m。
 竣工当初からの形式である。
 本体が小さいわりには翼壁は、もたれ式と
 安全性への配慮もなされている。
 吐口には石で造られた水叩き(上段が
 厚さ0.5m、下段が厚さ0.3m)が設けられている。
 水叩きは水の勢いを弱める、水流によって樋管の
 基礎部分が洗掘されるのを防止するためのもの。
   山形樋管(横から)
  ↑山形樋管(横から)
   翼壁天端は水平である。多くの樋門は堤防の法面形状に合わせて、
   翼壁天端は斜めに施工されている。
皿田樋管(元荒川、蓮田市、1903年)と
   共に山形樋管の翼壁は珍しい形式であり、重厚な印象を受ける。
   また、袖壁は極端に小さい。袖壁に見える部分は翼壁なのかもしれない。

   樋門地点から見た新河岸川の左岸
  ↑樋管地点から見た新河岸川の左岸
   写真上部が新河岸川の左岸堤防。手前から奥へと延びているのが
   山形樋管からの排水路(氷川排水)。山形樋管の規模に対して排水路の
   通水断面はかなり大きい。山形樋管からの水は排水路を流れ、
   新しい山形樋管(左岸堤防に設けられたコンクリート製の樋管)から
   新河岸川へ放流されている。

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