道路元標 (北葛飾郡)_ 北埼玉郡 (南埼玉郡) (北足立郡) 大里郡 深谷市 (熊谷市) (比企郡) (入間郡) 児玉郡 秩父郡

幸手市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
行幸村 円藤内字谷中481 県道152号、行幸小学校の北側 西側の旧道の可能性もあり
吉田村 惣新田字本田2600 吉田橋(中川)左岸、JA吉田の跡地 吉田村第一青年団が建立した道標が現存
豊岡村 (杉戸町)目沼字前149 蛇橋(庄内領用水路)の右岸 幸手市と杉戸町へ分村。子の権現社(幸手市槙野地)に
明治34年建立の更定村名之碑あり

(補足)幸手市の中川の周辺には、古い仕様の水準点と三角点(埼玉縣と内務省)が4基現存している。
  また、庄和町の中川の周辺には、内務省が設置した同様な水準点が2基残っている。
  それらは昭和初期に完了した中川の河川改修のさいに、測量の補助水準点として
  設置されたと思われる。道路元標と同様に希少な存在である。

 幸手町道路元標
 幸手町道路元標 幸手市東四丁目
 幸手市役所の敷地内、入口付近の
 フェンス脇にある。25cm角、地上高
 61cm。幸手市教育委員会による説明板が
 併設されていて、それによると、本来は
 県道153号と県道65号の交差点に
 設置されていたのだそうだ。ここから
 600m西の地点から移転されたことになる。
 北葛飾郡幸手町は幸手宿と内国府間村
 が合併して明治22年(1889)に誕生した。
   上高野村道路元標
   上高野村道路元標 幸手市上高野
   東武日光線の西側、幸手市南公民館の
   前の道路脇(旧日光街道)にある。
   25cm角、地上高64cm。これにも教育
   委員会による説明板が併設されている。
   本来は御成街道沿い(現.県道65号線)
   にあったというから、JA上高野支所の
   付近である。ここから700m北の地点から
   移転されたことになる。北葛飾郡
   上高野村は昭和29年に幸手町と合併。
   八代村道路元標
   八代村道路元標 幸手市平須賀一丁目
   八代小学校の敷地内、正門の脇にある。
   25cm角、地上高51cm。これにも教育
   委員会による説明板が併設されている。
   本来は八代村役場(現.消防団の機具庫)の
   前にあったのだが、廃棄され土中に埋められて
   しまったが、工事のさいに発見されたという。
   北葛飾郡八代村は平須賀村、長間村、中野村、
   平野村、神扇村、天神島村、吉野村、戸島村の
   8村が合併して明治22年(1889)に誕生した。

 権現堂川村道路元標



  権現堂川村道路元標 幸手市神明内
  権現堂小学校の敷地内、正門の脇にある。
  25.5cm角、地上高61cm。頂部だけでなく
  正面と側面も面取りされている。これにも
  教育委員会による説明板が併設されている。
  本来は村役場(県道371号、JA権現堂川の
  付近)にあったものだという。
  ここから北東へ250mの地点から
  移築されたことになる。
  北葛飾郡権現堂川村は権現堂村、神明内村、
  木立村、上吉羽村が合併して明治22年
  (1889)に誕生した。昭和29年に幸手町と合併。

杉戸町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
杉戸町 杉戸字町1625 国道4号、[杉戸二丁目]交差点? 杉戸高校の西側
櫻井村 椿字849 この地番は存在しない 桜井農村センターの付近か
豊岡村 目沼字前149 蛇橋(庄内領用水路)の右岸 杉戸町と幸手市へ分村

 高野村道路元標
 高野村道路元標 北葛飾郡杉戸町下高野
 永福寺の山門前、地蔵尊の祠の脇にある。
 幅25.5cm、奥行25cm、地上高58cm。
 元標が面した道路は県道312号線の旧道。
 脇には南側用水(
葛西用水の支線)が
 流れる。また、道路沿いには西行法師
 ゆかりの見返りの松と石碑(杉戸町
 指定史跡)がある。北葛飾郡高野村は
 下高野村、茨島村、下野村、大島村が
 合併して、明治22年に誕生した。
 高野村は昭和30年に杉戸町と合併。

   田宮村道路元標
   田宮村道路元標 北葛飾郡杉戸町並塚
   東幼稚園の南側の塀際、表忠碑から
   東へ100mの路傍にある。東幼稚園は
   田宮村役場の跡地に建つ。
   25cm角、地上高31cm。
   北葛飾郡田宮村は並塚村、大塚村、
   才羽村、北蓮沼村、広戸沼村、佐左衛門村、
   遠野村が合併して、明治22年に誕生した。
   村名は往古に、この付近一帯が田宮荘
   だったことに由来する。村域は
中川
   
倉松川に挟まれた低地である。
   田宮村は昭和30年に杉戸町と合併。

   堤郷村道路元標

   堤郷村道路元標 北葛飾郡杉戸町堤根
   国道4号線(日光街道)の堤根(南)交差点から
   40m南東、歩道橋の西側の空き地にある。
   南公民館が村役場の跡。25cm角、地上高31cm。
   元標が面した市道は日光街道の旧道。
   元標から西へ200mの地点には
   
大落古利根川が流れている。
   北葛飾郡堤郷村(ていごう)は堤根村と
   本郷村が合併して、明治22年に誕生した。
   村名は堤根村のと本郷村のを合わせた
   もの。堤郷村は昭和30年に杉戸町と合併。

庄和町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
南櫻井村 上柳字堀ノ内東26 県道22号と県道321号の[辻橋]交差点の西側 JA南桜井が村役場の跡地
南桜井村軍人会青年団が建立の
道標現存
富多村 神間字神間沼872 富多小学校の南側付近 脇の用水路に架かる橋は役場橋

 寶珠花村道路元標
 寶珠花村道路元標 庄和町西宝珠花
 大凧会館の敷地内にある。
 幅25.5cm、奥行25cm、地上高58cm。
 脇には庄和町教育委員会による説明板が
 設けられている。それによると、元標は
 西宝珠花村(ほうしゅばな)の中心部
 だった河岸場に設けられていたが、
 江戸川の改修によって、河岸場は河川敷と
 なってしまった。それで平成13年まで
 元標は宝珠花神社に置かれていたそうだ。
 中葛飾郡宝珠花村は西宝珠花村、
 西親野井村、塚崎村が合併し明治22年に
 誕生した。中葛飾郡は明治29年に
 北葛飾郡に改められた。

   川邊村道路元標
   川邊村道路元標 北葛飾郡庄和町米崎
   県道42号松伏庄和関宿線、川辺小学校の
   南側の交差点内にある。25cm角、地上高63cm。
   元標の脇には天明五年(1785)建立の庚申塔、
   交差点の対面には文化四年(1807)建立の
   青面金剛が祀られている。庚申塔には下総国
   庄内領米崎村講中とあり、当時はこの辺りは
   武蔵国ではなかったことがわかる。
   中葛飾郡川辺村は米崎村、飯沼村、赤碕村、
   水角村、中野村、米島村、新宿新田が合併して、
   明治22年に誕生した。
庄内古川(現在は中川)の
   左岸に広がる村であった。川辺村は昭和29年に
   宝珠花村、富多村、南桜井村と合併して
   北葛飾郡庄和村となった。

春日部市(旧北葛飾郡)に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
幸松村 樋籠1240 不明 八丁目の小字にも樋籠あり

 豊野村道路元標



 豊野村道路元標 春日部市銚子口
 豊野地区公民館の敷地内、東隅のフェンス脇にある。
 対面は豊野駐在所。元標は県道10号線に
 背を向けているので移築されたのだと思われる。
 公民館は銚子口と豊野一丁目に跨っていて、
 元標があるのは銚子口となる。
 幅26cm、奥行25cm、地上高69cm。
 北葛飾郡豊野村は銚子口村、藤塚村、赤沼村が
 合併し、明治22年に誕生した。
 昭和29年には幸松村や春日部町と合併して
 春日部市となった。

吉川市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
吉川町 平沼字町東側219 県道52号、[交番前]交差点 道路は拡幅
旭村 南廣島字下谷2088 JA吉川の付近 JAの脇に土地改良記念碑

 三輪野江村道路元標



 三輪野江村道路元標 吉川市加藤
 県道21号三郷松伏線と県道377号線の
 三輪野江小学校交差点から西へ100m。
 東部地区公民館の敷地内、県道377号線の
 歩道に面した場所にある。
 24.5cm角、地上高45cm。
 北葛飾郡三輪野江村は三輪野江村、
 上笹塚村、会野谷村、関新田村、吉屋村、
 鹿見塚村、加藤村、半割村、飯島村、
 土場村、中井村、皿沼村、小松川村、
 中島村、二ッ沼村が合併し明治22年に
 誕生した。昭和30年には吉川町、
 旭村と合併して北葛飾郡吉川町となった。

三郷市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
彦成 彦倉字堤外977-5 県道67号、[彦倉]バス停の付近  
八木郷村 長戸呂字堤内添307 八木郷小学校の付近?  

 
戸ヶ崎村道路元標
 戸ヶ崎村道路元標 三郷市戸ヶ崎二丁目
 香取神社の南、三郷耳鼻咽喉科の駐車場の
 隅にある。県道67号吉川松伏線に面している
 25cm角、地上高65cm。
 北葛飾郡戸ヶ崎村は戸ヶ崎村、境木村、
 三九村、酒井村、長沼村、寄巻村、前川村、
 鎌倉村、前谷村が合併し明治22年に
 誕生した。昭和18年には戸ヶ崎村と
 八木郷村が合併して北葛飾郡東和村となった。


 早稲田村道路元標
 早稲田村道路元標 三郷市彦倉一丁目
 
三郷市郷土資料館の敷地内、門柱の脇に放置してある。
 花崗岩製で30cm角、全長70cm。
 道路元標の大きさは、道路法施行令で25cm角と
 定められていたのだが、これは規格外の大きさである。
 筆者の知る限り、早稲田村の道路元標は埼玉県に
 現存する道路元標の中で最も大きい。
 北葛飾郡早稲田村は丹後村、谷中村、後谷村、小谷堀村、
 前間村、駒形村、南蓮沼村、笹塚村、岩野木村、幸房村、
 茂田井村、大広戸村、仁蔵村、半田村、田中新田が
 合併し明治22年に誕生した。昭和31年には彦成村、
 東和村と合併して北葛飾郡三郷村となった。

北葛飾郡に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

区分 町村名 設置場所 現在の住所 備考
鷲宮町 櫻田村 東輪字北前752 地区、地番が変わっている JAの東側の交差点?
栗橋町 栗橋町 上町3480 不明  
静村 佐間字陣家々敷添畑540 JA静の敷地内  
豊田村 北広島字寺川577 天満宮の西側の交差点 地蔵堂に村役場跡碑
松伏町 松伏領村 松伏字田中4113 この住所は存在しない。県道10号の松伏町役場交差点付近か?  
金杉村 築比地字馬場2321 香取神社の北側か?  

戻る:[道路元標の一覧] [北埼玉郡][南埼玉郡][北足立郡][大里郡][深谷市][熊谷市][比企郡][入間郡][児玉郡][秩父郡