道路元標 (北足立郡)_ 北埼玉郡 (南埼玉郡) 北葛飾郡 大里郡 (深谷市) (熊谷市) (比企郡) (入間郡) 児玉郡 秩父郡

吹上町と鴻巣市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

区分 町村名 設置場所 現在の住所 備考
吹上町 吹上村 吹上字中耕地2682 不明 旧中山道、吹上小学校の付近?
鴻巣市 鴻巣町 鴻巣字西側2818 不明 旧中山道、[駅入口]交差点?
箕田村 箕田字富士山334 旧中山道、箕田小学校の付近  

(補足1)太井村(現在の熊谷市、行田市、吹上町)、下忍村(現在の行田市、吹上町)、
  笠原村(現在の鴻巣市)は北埼玉郡に属した。
  太井村、下忍村、笠原村の道路元標は現存する。→
北埼玉郡の道路元標

(補足2)鴻巣市滝馬室の荒川の周辺には、几号の付けられた古い仕様の水準点(内務省、昭和五年)が
  2基現存している。それらは昭和初期に完了した荒川の河川改修のさいに、測量の補助水準点として
  設置されたと思われる。道路元標と同様に希少な存在である。

 小谷村道路元標
↑小谷村道路元標 北足立郡吹上町小谷
 小谷小学校(こや)の南西、消防団
 第4分団の西側の交差点に残っている。
 地上高は49cm、背面に大正十三年。
 ここは旧小谷村役場の跡地であり、
 付近には旧小谷村史碑が建てられている。
 北足立郡小谷村は明治22年(1889)に
 小谷村、三町免村、前砂村、明用村が
 合併して誕生。小谷村は昭和29年に
 吹上町と合併した。
   田間宮村道路元標
  ↑田間宮村道路元標 埼玉県鴻巣市北中野
   田間宮小学校(たまみや)の南側の市道に
   残っている。25cm角、地上高47cm。
   側面には、大正十四年二月一日とある。
   この地点から西側200mには
   
荒川の左岸堤防が位置する。
   北足立郡田間宮村は、明治22年に
   糠村、大村、前村、登戸村、
   北中野村が合併して誕生。
   昭和29年には鴻巣市と合併した。

 馬室村道路元標
↑馬室村道路元標 鴻巣市原馬室(まむろ)
 馬室小学校前の付近、谷津不動尊前の
 T字路(なのはな通)から東へ150mの
 地点に残っている。なのはな通から400m
 西には荒川の河道があり、そこには
 
原馬室橋(冠水橋)が架かっている。
 元標の脇には消火栓と柳の大木がある。
 元標は25cm角、地上高36cm。
 馬室村は原馬室村と滝馬室村が
 合併して、明治22年に誕生。
 昭和29年には鴻巣市と合併。
 馬室村青年団が建てた
道標が2基残る。

   常光村道路元標
  ↑常光村道路元標 鴻巣市下谷
   常光小学校(じょうこう)とJA常光支所の
   向かいの道路脇にある。25cm角、
   高さは59cm。道路元標の脇には
   普門品供養塔(天保十一年建立)も
   残っている。この道路(市道)は県道38号と
   312号線を結んでいるが、元は旧街道の
   ようで、500m北西には寛政九年建立の
   道標(像付き、供養塔を兼ねる)もある。
   北足立郡常光村は常光村、上谷村、
   下谷村、西中曽根村が合併し明治22年に
   誕生した。昭和29年には鴻巣市と合併。

北本市の道路元標

 石戸村道路元標
↑石戸村道路元標 北本市荒井三丁目
 県道57号さいたま鴻巣線、JA石戸支所の
 前に残っている。22cm角、高さは120cm。
 これは旧石戸村道路元標として、北本市の
 歴史資料に指定されているが、正確には
 道路元標ではなく
道標。昭和初期の建立の
 ようで、正面に元標とあり、石戸青年団、
 農友会などの文字が読み取れる。
 石戸村は下石戸上村、下石戸下村、
 石戸宿村、高尾村、荒井村が合併して
 明治22年に誕生した。昭和18年に中丸村
 と合併し、北本宿村となった。
   中丸村道路元標
  ↑中丸村道路元標 北本市宮内七丁目
   中丸小学校の南側、県道312号下石戸上・
   菖蒲線の脇、北本市商工会館の隣にある。
   書式が[道路元標 中丸村]と変わっている
   うえに、大きさも標準的な元標に比べて、
   かなり小さい。希少価値が高い逸品だ(笑)。
   幅21cm、奥行き20cm、高さ58cm。
   北足立郡中丸村は北中丸村、山中村、
   東間村、本宿村、深井村、宮内村、古市場村、
   常光別所村、花ノ木村が合併して
   明治22年に誕生した。昭和18年には
   石戸村と合併し、北本宿村となった。

桶川市、上尾市、伊奈町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

区分 町村名 設置場所 現在の住所 備考
桶川市 加納村 坂田字向951 県道311号、JA加納の北側 桶川高校入口
上尾市 上尾町 上尾宿イ仲宿261 旧中山道、[上尾駅入口]交差点? 町役場は氷川鍬神社内
原市町 原市字五734 県道5号、相頓寺の東側  
上平村 西門前字東579 県道87号、JA上平の付近(たぶん旧道) 道路は拡幅
大石村 小泉字天神南747 大石小学校の南側付近  
大谷村 大谷本郷字後759 県道165号、[大谷本郷]交差点 大谷本郷自治会館の西側
または
火の見やぐらの付近
伊奈町 小針村 羽貫字八幡谷192 県道5号、小針神社の西側付近?  
小室村 小室字元宿7981 県道311号、バス停[元宿]の付近 小室小学校から北へ150m

 桶川町道路元標
↑桶川町道路元標 桶川市寿二丁目
 旧中山道の桶川駅前交差点内にある。
 元標の正面が旧中山道に向いている。
 25cm角、地上高は65cm。
 旧中山道沿いには、旧旅籠や蔵造りの
 商家等もあり往時の面影が残っている。
 ここから北西へ300mの東和銀行の
 付近には近年に建てた道標があり、
 中山道
 桶川宿、左 上尾宿三十四町、
 右
 鴻巣宿一里三十町と記されている。
 北足立郡桶川町は明治22年に桶川宿、
 大谷領町谷村、上日出谷村、
 下日出谷村が合併して誕生した。

   川田谷村道路元標
 
  ↑川田谷村道路元標 桶川市川田谷
   県道12号川越栗橋線の川田谷歩道橋から
   北へ約50mの住宅地の中には、川田谷村
   (かわたや)の
村役場が残っている(廃屋)。
   元標は役場入口の西側の道路脇にある。
   旧村役場の建物と道路元標が一緒に
   残っている例は、極めて珍しい。
   幅26.5cm、奥行25cm角、高さは44cm。
   背面には昭和六年四月と記されている。
   旧川田谷村は明治22年に北足立郡
   川田谷村となった。
   昭和30年に桶川町と合併した。

   平方村道路元標
  ↑平方村道路元標 上尾市平方(ひらかた)
   県立上尾橘高校から南へ200mに橘神社が
   ある。元標は県道57号線(新平方道)の
   上尾橘高入口交差点の中、橘神社の鳥居脇に
   設置されている。25cm角、高さは36cm。
   なお、橘神社の旧名は氷川神社であり、
   旧平方村(明治22年以前)の村社であった。
   北足立郡平方村は、旧平方村、西貝塚村、
   上野村、上野本郷村、平方領領家村が
   合併して明治22年に誕生した。
   昭和3年には平方町となり、その後、
   昭和30年に上尾町と合併した。

さいたま市の道路元標、見つかっていないのは下表のとうり。

区分 町村名 設置場所 現在の住所 備考
北区 大砂土村 土呂字稲荷905 JA大砂土の付近?  
日進村 上加字宮ノ腰1858-2 日進町二丁目、日進神社の付近  
大宮区 大宮町 大宮字大宮3797    
西区 指扇村 高木字稲荷前449-2 JA指扇の付近?  
三橋村 並木字前1392-3 三橋小学校の付近 JA三橋は役場跡
見沼区 片柳村 御蔵字小山1545-2 片柳郵便局の付近  
春岡村 深作字本村3410 春岡公民館の付近 道路は拡幅
桜区 大久保村 五関字古貝戸140 大久保支所の付近  
土合村 西堀字里1969 土合小学校の付近 JA敷地内に土合村役場跡の碑
南区 谷田村 太田窪字善前北1740 産業道路、善前バス停の付近  
緑区 尾間木村 大間木字会ノ谷620-1 県道235号線、会の谷バス停の付近  
大門村 大門字東裏2666 国道463号線、大門交差点の付近  

 宮原村道路元標
↑宮原村道路元標
 さいたま市北区宮原四丁目
 JA宮原支店の敷地内。旧中山道に
 面した歩道側、記念植樹の脇にある。
 元標の正面が旧中山道に向いている。
 25cm角、地上高は65cm。JA宮原支店の
 敷地内には石造りの古い水準点(水準點、
 四八五号、21cm角)も設置されている。
 北足立郡宮原村は明治22年に加茂宮村、
 吉野原村、奈良瀬戸村、大谷別所村が
 合併して誕生した。宮原とは加茂宮村の
 宮と吉野原村のを合わせたものだろう。
 昭和15年に大宮町や日進村と合併し
 大宮市となった。

   七里村里程標
  ↑七里村里程標
   さいたま市
見沼区風渡野(ふっとの)646
   東武野田線の七里駅から東へ150mのY字路に
   残っている。花崗岩製の39cm×37cmの角柱で、
   高さは約270cm。里程標なので道路元標よりも
   サイズは大きい。昭和5年12月10日に設置。
   七里停車場是ヨリ二丁 左 大門鳩谷みち、
   右 原市蓮田みち等と刻まれている。
   背面には停車場道寄付者16人の名前があるが、
   これは土地を提供した人々だろう。
   北足立郡七里村は膝子村、東宮下村、大谷村、
   新堤村、猿ヶ谷戸村、風渡野村、東門前村が
   合併して、大正2年に誕生した。
   昭和30年に大宮市へ合併している。

   七里村の道路元標?
  ↑七里村の道路元標?
   さいたま市
見沼区東門前
   七里村の道路元標は東門前字道際290に
   設置された。現在、近傍には東門前第一自治会館が   
   あり、その敷地内に道路元標らしき石が
   確認できる。水道の前に数個の敷石が
   埋められていて、そのうちの一つの形状が
   道路元標とよく似ている。頂部には丸みがあり、
   大きさも27cm×65cmと道路元標の規格に近い。
   ただし、埋設されているので七里村を
   示す刻字は確認できない。
   また、材質は花崗岩ではないようで、背面には、
   こぶ出しに似た仕上げがなされているので、
   道路元標だと断言はできない。   

 植水村道路元標
↑植水村道路元標
 さいたま市西区中野林  さいたま市
 植水支所の敷地内、民具収蔵庫の前に
 ある。25cm角、地上高は68cm。
 現在は58cm角、高さ30cmのコンクリート
 台座の上に固定されている。
 北足立郡植水村は明治22年に植田谷領
 本村、水判土村(みずはた)、佐知川村、
 中野林村、飯田村、三条町村、島根村が
 合併して誕生した。植水とは植田谷領の
 植と水判土村のを合わせたのだろう。
 昭和30年に大宮市と合併した。

   
馬宮村道路元標
 ↑馬宮村道路元標
  さいたま市西区西遊馬
  さいたま市馬宮支所の敷地内にある。
  25cm角、地上高は66cm。
  下部には49cm角のコンクリート基礎。
  北足立郡馬宮村は西遊馬村、土屋村、
  二ッ宮村、飯田新田、植田谷領本村新田が
  合併して、明治22年に誕生した。
  馬宮とは西遊馬のと二ツ宮の
  合わせた命名。馬宮村は昭和30年に
  大宮市と合併した。


 浦和町道路元標
↑浦和町道路元標 さいたま市浦和区
 高砂二丁目 JR浦和駅の西口から西へ
 250mの地点。旧中山道とさくら草通りが
 交差する付近、ユザワヤの脇にある。
 この元標は昭和57年に復刻したもの
 だが、復刻がいい加減であり、正面には
 道路元標とあるのみで、市町村名は
 記されていない(注)。北足立郡浦和町は
 浦和宿が基になり、明治22年に誕生した。
 浦和町は県庁所在地であると同時に
 北足立郡の郡役所も置かれていた。
 昭和9年には市制を公布し浦和市となった。
 川越市、熊谷市、川口市に次いで4番目だ。

   木崎村道路元標
  ↑木崎村道路元標
   さいたま市浦和区領家四丁目
   県道35号川口上尾線(産業道路)の
   領家交差点から北へ100m、長覚寺の門前、
   民家の角にある。ここから1.5Km南東には
   駒場スタジアムが位置する。元標は25cm角、
   地上高60cm。コンクリート基礎の上に
   置かれている。北足立郡木崎村は
   北袋村、上木崎村、下木崎村、瀬ヶ崎村、
   木崎領領家村、駒場村、本太村、針ヶ谷村が
   合併して明治22年に誕生した。
   村名は近世の木崎領に由来すると思われる。
   昭和8年に北袋村は大宮町と合併、
   残りは浦和町と合併した。

   六辻村道路元標
  ↑六辻村道路元標 さいたま市辻三丁目
   国道17号線の[六辻]交差点付近、
   六辻交番の脇にある。文字どおり、
   旧中山道の辻であり、ここから南には
   辻の一里塚跡が残る。
   元標は25cm×26cm、地上高56cm。
   北足立郡六辻村は辻村、白幡村、
   根岸村、別所村、文蔵村、沼影村が
   合併して明治22年に誕生した。
   昭和13年には町制を発布して
   六辻町となった。
   昭和17年に浦和市と合併した。

 三室村道路元標
↑三室村道路元標 さいたま市緑区三室
 さいたま市三室支所の敷地内、合併記念碑(昭和15年
 建立)の脇に放置されている。
 25cm角、全長は90cm。

 北足立郡
三室村は明治22年に三室村と
 道祖土村(さいど)が合併して誕生した。
 昭和1
5年には浦和市へ合併した。

   野田村道路元標
  ↑野田村道路元標 さいたま市緑区代山
   八幡宮の敷地内、手水鉢の脇に放置されている。
   当初の設置場所は代山字宮ノ台108なので、県道105号線の
   野田小交差点付近にあったと思われる。
   25cm角、全長は75cm。北足立郡野田村は
   上野田村、中野田村、大崎村、南部領辻村、代山村、
   寺山村、高畑村、染谷村(一部)が合併して、明治22年に誕生した。
  
 昭和31年には戸塚村、大門村と合併し美園村となっている。

(注)オリジナルの元標には、市町村名は記されてなかったということなのだろうか。
  ともかく、市町村名がないので、この復刻道路元標が浦和町の頃を
  対象にした物なのか、浦和市になってからの物なのか、不明である。
  大正9年埼玉県告示第75号(埼玉県報799号)によれば、
  浦和町の道路元標は浦和町稲荷丸2266の1番に設置されていた。
  現在は稲荷丸という地名は残っていない。
  ちなみに埼玉県の県庁所在地は昭和8年まで、浦和町だったが、
  市ではなく町が県庁所在地であるのは、全国でも極めて稀な例であった。



 蕨町道路元標
↑蕨町道路元標 蕨市中央五丁目9
 旧中山道と蕨駅前通りの交差点、
 セブンイレブン脇の歩道にある。
 25cm角、地上高57cm。
 左側面には埼玉縣とあるが、これは
 埼玉県の蕨町という意味であり、
 元標を設置したのは蕨町である。
 元標の脇には説明板と中山道蕨宿の
 プレートが併設されている。
 北足立郡蕨町は蕨宿と塚越村が
 合併して、明治22年に誕生した。
 昭和34年には市制を公布し蕨市となった。
 全国で最も面積の小さい市は
 1889年以降、市域に変更がない。

   戸田村道路元標
  ↑戸田村道路元標 戸田市上戸田四丁目
   後谷公園の徒渉池の畔に建つ。
   明らかに移築されたもの。
   25cm角、地上高56cm。
   北足立郡戸田村は上戸田村、下戸田村、
   新曽村が合併して明治22年に誕生した。
   昭和16年に戸田町となり、
   昭和32年には美笹村と合併して
   新しい戸田町となったが、2年後に
   松本新田、曲本、内谷などが分村し、
   浦和市へ合併している。


 志木町道路元標
↑志木町道路元標
 志木市本町一丁目〜二丁目
 県道36号保谷志木線(本町通り)の
 [本町一丁目]交差点内にある。
 25cm角、地上高68cm。背面に埼玉縣と
 あるが、これも埼玉県の志木町という意味で
 あり、元標を設置したのは志木町である。
 新座郡志木町は志木宿がそのまま町制と
 なり、明治22年に誕生した。新座郡は
 明治29年に北足立郡へ編入となった。
 昭和19年には北足立郡志木町、内間木村と
 入間郡宗岡村、水谷村が合併して北足立郡
 志紀町(しき)が誕生した。志紀町は
 昭和23年に分村したため、再び北足立郡
 志木町に戻ったが、昭和30年には
 宗岡村と合併して足立町となった。

   白子村道路元標
  ↑白子村道路元標 和光市白子二丁目19
   白子郵便局から北東へ150m、滝坂の
   交差点にある。
   25cm角、地上高66cm。背面に埼玉縣。
   新座郡白子村は白子村と下新倉村が合併して、
   明治22年に誕生した。新座郡は明治29年に
   北足立郡へ編入となった。
   白子村は昭和19年には北足立郡新倉村と
   合併して北足立郡大和町(やまとまち)と
   なった。大和町は昭和45年に市制を施行し、
   和光市となったが、紛らわしいことに、
   同時期には東京都北多摩郡大和町
   (東大和市の前身)が存在した。

   

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