道路元標 (北埼玉郡)_ (南埼玉郡) 北葛飾郡 (北足立郡) 大里郡 深谷市 (熊谷市) (比企郡) (入間郡) 児玉郡 秩父郡

行田市の市域に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
忍町 行田字上町2丁目33 国道125号と県道77号の交差点付近? 商工センターが町役場の跡地
持田村 持田字宿通6092 国道125号[持田駅入口]交差点付近 役場跡に合併記念碑あり
長野村 長野字堀ノ内4963 東小学校の南東、新大橋(武蔵水路)の付近? 保健センターが村役場の跡地
太田村 下須戸字寺前2546 この住所は見沼代用水となっている 太田公民館が村役場の跡地
埼玉村 埼玉字稲荷通4124 県道77号線のT字路、埼玉中学校の北西 埼玉公民館が村役場の跡地
星河村 和田字森下90 県道199号、北小学校の付近  
須加村 須加字高畑3004 県道56号、JA須加支所の付近 道路は拡幅されている
荒木村 荒木字前内手1643 県道7号、荒木小学校の付近 棒川橋の左岸橋詰。
役場跡に合併記念碑あり
南河原村 南河原字中新田933 南河原小学校の西側付近  
星宮村 上池守字畑通737 県道128号、天神社の付近。廃棄の可能性大 熊谷市へ分村

 北河原村道路元標
↑北河原村道路元標 埼玉県行田市北河原
 北河原小学校の敷地内にある。位置は県道59号
 羽生妻沼線と県道178号線の交差点の北側となる。
 地元の古老の話によると、ここに元標(白杭と
 呼ばれていたそうだ)が立っていたが、小学校の校庭に
 土を盛ったさいに埋められてしまったのだという。
 しかし、あくまでも伝聞情報であり、本当に道路元標で
 あるのかは不確定である。三角点や水準点である、
 可能性も高い。もっとも、現在はコンクリートの蓋が
 してあり、確認する術もないのだが。
 なお、ここから北50mに位置する十二所神社の
 境内には、明治期の仕様を持つ測量の基標、
 
几号の水準点(No.33)が残っている。No.79まで続く、
 連番であり、設置したのは埼玉県だが、目的は不明だ。
 北埼玉郡北河原村は明治22年(1889)に
 北河原村と酒巻村が合併して誕生。
 北河原村は昭和29年に行田市と合併した。

  下忍村道路元標
 ↑下忍村道路元標 吹上町南一丁目
  郷土資料館の敷地内に野外展示(放置)されている。
  25cm角、全長93cm。花崗岩製ではなく、安山岩系の
  石が使われているのは珍しい。本来は旧下忍小学校
  付近の交差点にあったそうである。県道148号
  (騎西街道)脇のJA下忍が村役場の跡地である。
  北埼玉郡下忍村は明治22年に下忍村、堤根村、
  樋上村、袋村、鎌塚村が合併して誕生した。
  昭和30年に北足立郡吹上町へ合併したが、
  翌年には旧々下忍村の一部と堤根村、樋上村は
  分村し、行田市へ編入した。

 太井村道路元標



 ←太井村道路元標 行田市棚田町一丁目
  太井公民館の敷地内の北端、
  戦後記念碑の前にある。
  公民館に隣接する太井保育園は
  旧太井村役場の跡地に建つ。
  25cm角、地上高61cm。
  石材は花崗岩ではないようだ。
  北埼玉郡太井村は明治22年に太井村、北新宿村、
  棚田村、門井村が合併して誕生した。
  昭和30年に太井村は熊谷市へ
  北新宿村は北足立郡吹上町へ
  棚田村と門井村は行田市へ合併した。

羽生市の市域に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
川俣村 本川俣字小澤1245 長良神社の東側付近  
井泉村 藤井字下組北藤井493 県道60号[井泉小学校]交差点付近 道路は拡幅されている
村君村 下村君字谷田2766 この住所だと東北自動車道の下 JA村君支所付近の交差点か
三田ヶ谷村 與兵衛新田字屋敷前318 三田ヶ谷小学校の北側付近  
須影村 須影字下寺地1543 須影小学校の北西の交差点付近 県道412号

 
羽生町道路元標
↑羽生町道路元標 羽生市中央三丁目
 県道128号と県道60号の交差点から
 本町通(プラザ通)に沿って北へ150m、
 埼玉りそな銀行脇の交差点にある。
 KUMON前の歩道に置かれている。
 元標は27cm角、地上高62cm。
 明治22年の町村制施行により、
 羽生町と上羽生村が合併して、新生
 羽生町が誕生。町役場跡には
 中央公民館が建つ。和29年には、羽生町
 ほか6村が合併して羽生市となった。 

   新郷村道路元標
  ↑新郷村道路元標 羽生市上新郷
   県道7号と県道128号が交差する上新郷の
   交差点内(西側)にある。県道7号は江戸時代、
   日光裏街道(館林道)とも呼ばれ、利根川の
   渡河地点には川俣関所が設けられていた。
   この元標は側面に竣工年が刻まれている
   ようだが、磨耗が激しく判読は不可能。
   北埼玉郡新郷村は上新郷村、下新郷村、
   下新田村が合併して明治22年(1889)に
   誕生した。新郷村は昭和29年に羽生町と
   合併し羽生市となった。

   岩瀬村道路元標
  ↑岩瀬村道路元標 羽生市上岩瀬
   県道364号上新郷埼玉線の歩道脇。
   岩松寺と農協跡地の間の空き地に
   放置されている。25cm角、全長65cm。
   ここは旧村役場の跡地だという(跡地に
   農協が建った)。北へ600mの県道128号
   の脇には大正9年(1920)に青年団が
   建立した
道標も残っている。北埼玉郡
   岩瀬村は上岩瀬村、中岩瀬村、下岩瀬村、
   桑崎村、小松村が合併して明治22年に
   誕生した。岩瀬村は昭和29年に羽生町と
   合併し羽生市となった。

 手子林村道路元標
↑手子林村道路元標 羽生市東六丁目
 羽生市役所の北東の交差点、歩道脇。
 道路に背を向けて置かれている。
 25cm角、全長71cm(基部9cm露出)。
 下部には57cm、60cm、高さ37cmの
 コンクリート基礎が打たれている。
 この元標は明らかに、ここへ持ち込ま
 れたものである。北埼玉郡手子林村は
 上手子林、下手子林、町屋村、神戸村が
 合併して明治22年に誕生した。
 昭和18年(1943)には、中島村と合併し、
 新制手子林村となった。手子林村は
 昭和29年に羽生市へ合併した。

   中嶋村道路元標

  ↑中嶋村道路元標 羽生市中手子林(なかてこばやし)
   八幡宮から北へ150mの市道(千津井川岸道)の
   交差点脇、中手子林農民センターの敷地内にある。
   ここは旧中島小学校の跡地だという。
   元標は忠魂碑の脇のツツジの陰にあり、
   隠れていて見つけにくい。元標面が道路に
   背を向けているのは移築されたからだろう。
   花崗岩製ではなく、安山岩系の石が
   使われていて、25cm角、地上高65cm。
   北埼玉郡中島村は手子林村と北荻村が
   合併して明治34年(1901)に誕生。昭和18年には
   手子林村と合併し、昭和29年には羽生市へ。

   

加須市、北川辺町、大利根町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

区分 町村名 設置場所 現在の住所 備考
加須市 加須町 加須字泰楽945 県道152号[本町]交差点付近? または[駅入口]交差点
志多見村 志多見字南田1009 不明、JA志多見付近か?  
禮羽村 禮羽字西1624 不明、この地番は現在は存在しない  
三俣村 北小濱字北手沼850 三俣小学校の北西付近 北手沼は大沼の別名
大桑村 南大桑字相之谷2909 県道152号と県道370号の交差点 道路は拡幅、付近に火の見櫓
北川辺町 川辺村 向古河字北通750 新古河駅の付近 東小学校の付近が村役場跡
大利根町 元和村 北下新井字砂場503 県道84号、JA元和の東側付近  
豊野村 阿佐間字寺前559 県道316号、八幡神社の西側付近 または豊野台テクノタウン交差点
原道村 細間字上金塚503 JA原道の西側、細間郵便局の付近  
東村 中渡字中内32 中渡集会所の東側。
集会所は小学校の跡地
昭和22年に利根川が破堤
JA東の交差点、南側が役場跡

(補足)北川辺町と大利根町の町域には利根川沿いに、几号の付けられた
  
古い仕様の水準点(埼玉縣)が6基現存している。それらは北川辺町付近から始まり、
  利根川に沿って児玉郡上里町付近まで広範囲かつ大量に分布する謎の水準点である。
  道路元標と同様に希少な存在である。


 
不動岡町道路元標
↑不動岡町道路元標 加須市不動岡二丁目
 不動岡不動尊(総願寺)の赤門前にある。
 ちなみに西の黒門は
忍城(明治初期まで
 行田市にあった城)の遺構を移築した物。
 元標は27cm角、地上高59cm。
 北埼玉郡不動岡村は明治22年に
 不動岡村、岡古井村、下谷村が合併して
 誕生、昭和3年(1928)に不動岡町となり、
 昭和29年に加須町他6村と合併し加須市へ

   大越村道路元標
  ↑大越村道路元標 加須市大越1971付近
   県道60号羽生外野栗橋線と加須市道
   (やぐるま街道)の交差点付近にある。
   県道60号を挟んで徳性寺が位置する。
   25cm角、地上高66cm。
   北埼玉郡大越村は明治22年(1889)に
   大越村と外野村が合併して誕生。
   昭和32年には加須市と合併した。
   江戸時代から
河岸場があり栄えた村だ。

   樋遣川村道路元標
  ↑樋遣川村道路元標 加須市樋遣川
   樋遣川交差点(県道46号と県道84号が
   交差)の付近、樋遣川公民館の敷地内に
   ある。県道46号古河加須線は
大越新道
   元標は25cm角、地上高95cm。
   基部が露出し、表面は摩耗が激しい。
   北埼玉郡樋遣川村(ひやりかわ)は
   明治22年に上樋遣川村、中樋遣川村、
   下樋遣川村、戸川村、町屋新田が合併
   して誕生。昭和29年には加須市と合併。

 水深村道路元標
↑水深村道路元標 加須市大室
 大室交差点(県道370号線と県道
 151号線の交差点)の脇、加須市
 
 子どもふれあいの家の敷地内にある。
 ここは旧水深村役場の跡地であり、
 子どもふれあいの家は旧役場を復刻した。
 元標は25cm角、地上高49cm。
 北埼玉郡水深村は明治22年に水深村、
 常泉村、下高柳村、油井ヶ島村、
 南小浜村、船越村、北辻村、今鉾村、
 割目村、大室村が合併して誕生。
 昭和29年には加須市と合併した。

   
  ↑利島村道路元標 北川辺町麦倉
   北川辺西小学校の敷地内。校舎の北側、
   県道415号線に面した通用門の脇にある。
   傍には[右いたくら 左いしの みち]と
   記された道標(寛政年間建立)も残っている。
   元標は25cm角、地上高61cm。
   元標面が道路に背を向けているので、
   当初の設置場所から移築されたと思われる。
   埼玉郡利島村(としま)の前身は明治22年に
   麦倉村、飯積村、柳生村、小野袋村(の一部)が
   合併して誕生した麦倉村。麦倉村は明治26年に
   利島村と改名した。昭和30年には
   利島村と川辺村が合併して北川辺村が誕生。
 

騎西町の町域に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
田ヶ谷村 内田ヶ谷字上郷447 県道148号[田ヶ谷小学校]交差点 幼稚園が村役場の跡
鴻茎村 鴻茎字白山1258 この住所だと国道122号の三叉路、[鴻茎川南]付近 JA鴻茎支店が村役場跡
高柳村 上高柳字柳下855 高柳小学校とJA高柳支所の間 地蔵院が村役場跡

 
騎西町道路元標
↑騎西町道路元標 北埼玉郡騎西町騎西
 県道38号加須鴻巣線の騎西一丁目
 交差点内にある。25cm角、地上高57cm。
 100m東には騎西町役場があるが、
 旧町役場もほぼ同じ地点にあったそうだ。
 北埼玉郡騎西町は明治22年(1889)に
 騎西町、外川村、下崎村が合併して誕生。
 旧城下町であり、元標の東方には
 かつての
騎西城が復元されている。

   種足村道路元標
  ↑種足村道路元標 埼玉県騎西町中種足
   県道313号線、種足小学校(たなだれ)の
   南側、種足村役場の跡地に残る。
   元標面は道路に面していない。
   幅26cm、奥行き25cm、地上高70cm。
   ここから北300mには
見沼代用水が流れる。
   北埼玉郡種足村は明治22年に上種足村、
   中種足村、下種足村、中ノ目村、西ノ谷村、
   戸室村が合併して誕生。種足村は
   昭和29年に騎西町と合併した。

川里町の町域に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
共和村 関新田字一203 共和小学校と郵便局の間 共和公民館に合併記念碑

 
広田村道路元標
↑広田村道路元標 北埼玉郡川里町広田
 県道32号鴻巣羽生線、川里町役場から
 北へ200m、広田駐在所の東側にある。
 脇には川里村合併記念碑もある。
 広田村の表記は旧字体で廣田村。
 27.5cm角、地上高60cm。
 北埼玉郡広田村は明治22年(1889)に
 広田村、赤城村、北根村が合併して誕生。
 昭和29年には屈巣村、共和村と合併し
 北埼玉郡川里村となった。

   屈巣村道路元標
  ↑屈巣村道路元標 北埼玉郡川里町屈巣
   屈巣小学校(くす)の校内、正門の付近に
   ある。西側に位置する屈巣公民館は
   旧村役場の跡地。この元標はコンクリートの
   台座の上に置かれているので、当初から
   ここにあったのではなく、近傍から移築。
   27cm角、地上高58cm。
   北埼玉郡屈巣村は明治22年(1889)に
   誕生。昭和29年には広田村、共和村と
   合併し川里村となった。→
屈巣の由来

   笠原村道路元標
  ↑笠原村道路元標 埼玉県鴻巣市笠原
   笠原小学校の校内、正門の脇にある。
   本来は正門前の県道77号行田蓮田線の
   脇にあったそうだが、道路改修に伴い
   移築されたそうだ。26cm角、地上高64cm。
   北埼玉郡笠原村は明治22年に笠原村、
   郷地村、安養寺村が合併して誕生。
   昭和29年には北足立郡鴻巣町と合併した。
   笠原村は
元荒川の左岸なので、北足立郡ではなく
   北埼玉郡だった。笠原公民館には
   昭和29年建立の合併記念碑が建つ。

(補足)北埼玉郡川里村が誕生したのは、昭和29年(1954)3月31日だが、
  これは昭和28年に施行された町村合併促進法に基く、埼玉県下で最初の合併である。


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