水準点、三角点 (荒川水系:その2)_

 
測量の水準点
↑測量の水準点(BM11)
 北本市高尾六丁目、阿弥陀堂
 
高尾橋(荒川)の南東300mに位置する、
 阿弥陀堂の境内、本堂の東側にある。
 花崗岩製の15cmの角柱で、
 地上に8cm露出している。
 頂部には直径85mmの半球体
 (水準点)が設けられている。
 北を向いた面にBM/11、南の面に
 [内](務省、縦書き)とあるので、
 荒川の改修工事に関連して
 内務省が設置したものだろう。

   測量の水準点
  ↑測量の水準点(BM13)
   比企郡川島町出丸下郷、赤城神社
   
太郎右衛門橋(荒川)から1.4Km下流、
   右岸堤防に隣接した赤城神社の境内。
   鳥居と社殿の中間に設けられている。
   300m下流では赤城悪水路が
赤城樋管
   経由して荒川へ合流している。
   花崗岩製で15cmの角柱、地上に14cm
   露出している。頂部には直径95mm、
   高さ5mmの半球体。標石は3つの
   保護石(自然石)に囲まれている。
   北面にBM/13、南面に内務省(縦書き)。

   測量の基標
  ↑高低基標 比企郡吉見町蚊斗谷
   
吉見さくら堤の北端、荒川の右岸堤防へ
   桜堤がすり付く付近に残っている。桜堤とは
   荒川の旧堤防(昭和初期まで本堤)を公園として
   整備したもの。標石は桜堤の堤内側の法面に
   設置されている。安山岩系の石材を使った15cm角の
   柱で地上高は83cm。基部が約50cm露出している。
   頂部には直径55mm、高さ20mmの半球体が
   設けられている。東南西を向いた面にそれぞれ、
   高低基標、四六、埼玉縣と記されている。
   この標石の設置年は、おそらく昭和初期(以前)だと

   思われるので、漢字の横書きは右から左へと
   読むのが正しい(はずだ)。

 高低基標
↑高低基標
 比企郡川島町宮前186付近
 川島屋米菓の西側のT字路、民家寄りの
 畑の脇にある。荒川の近代改修に
 関する標石だと思われるが、ここは荒川の
 右岸堤防から南西へ1.5Kmも離れている。
 花崗岩製の角柱で一辺が21cm、
 地上露出高は35cm。頂部に半球体は
 ない。刻字は四面で、南面に高低基標、
 東面に三保谷村、北面に明治三十年
 七月、北面に不(几号)。三保谷村は
 明治22年に町村合併によって
 誕生している。

   
測量の水準点(BM No.1)
  ↑測量の水準点(BM No.1)
   比企郡川島町伊草、伊草神社
   
道場橋(越辺川)の左岸から下流へ
   300m、伊草神社の境内。
   社殿の裏(西側)にある。
   花崗岩製の角柱で一辺が13cm、
   地上露出高は37cm。
   頂部には窪みがあり、内部に
   直径40mmの半球体が
   設けられている。
   四面に文字が刻まれているような
   気もするが、読み取れるのは、
   BM.
 No 1と埼玉縣だけである。

   
測量の水準点(BM No.4)
  ↑測量の水準点(BM
 No.4)
   坂戸市赤尾、諏訪神社
   
天神橋(越辺川)の右岸から下流へ
   250m、諏訪神社の境内。社殿の裏
   (東側)にある。ここから50m東には
   越辺川の右岸堤防がある。諏訪神社は、
   現在の河川敷内に鎮座していたが、
   越辺川の流路改修に伴い遷座された。
   花崗岩製の角柱で一辺が12.5cm、
   地上露出高は12cm。
   頂部には窪みがあり、内部に直径35mmの
   半球体が設けられている。刻字は二面だと
   思われ、北面にBM.
 No 4、南面に埼玉縣。


 測量の水準点(BM No.7)

↑測量の水準点(BM
 No.7)
 川越市平塚新田、氷川神社
 
鎌取橋(冠水橋、小畦川)の右岸から
 100m東、氷川神社の境内、社殿の前
 (南側)にある。ここは小畦川が入間川に
 合流する付近なので、小畦川の右岸堤防と
 入間川の左岸堤防の間の距離はわずかに
 100mしかない。神社のすぐ脇は入間川の
 左岸堤防。標石は花崗岩製の角柱で
 一辺が13cm、地上露出高は30cm。
 頂部には凹形の窪みがあり、内部に
 直径45mmの半球体が設けられている。
 刻字は二面で、BM.
 No 7と埼玉縣。
 なお、氷川神社には文化五年(1808)に
 寄贈された手水鉢があり、高麗郡平塚村と
 記されている。

   測量の水準点
  ↑測量の水準点(BM
 ?)
   川越市小室、泉小学校
   入間川の右岸堤防から東へ約1Km
   離れた地点に泉小学校がある。
   この水準点?は校庭の南端、フェンスの
   際に残っている。写真の右隅に見える、
   もう一つの標石は
田面沢村の道路元標
   大正時代末期に設置されたものだ。
   この付近は昭和14年まで入間郡田面沢村
   だった。この水準点は花崗岩製の角柱で
   一辺が15cm、地上露出高は30cm。
   頂部には直径80mm、高さ20mmの
   半球体が設けられている。
   刻字は二面で、東側にBM(下に数字が
   あるようだが磨耗が激しいので
   読み取れない)、西側に埼玉(縣)。

   基標?
  ↑基標? 北本市高尾六丁目
   荒川には御成橋から荒井橋にかけての
   左岸側の河川敷に、このような基標?が
   数多く見られる。これは河川敷内の
   道路に沿って設けられたもので、
   コンクリート製の一辺が15cmの角柱。
   地上高は約50cmである。
   刻字は一面のみで荒川の河道を
   向いた面に、内{1000番台の数字}と
   記されている。内とは内務省の略で
   あろう。数字は下流から上流へ向かっての
   連番である。残っている基標?の
   現状から推測すると、約50m間隔で
   設置されたようである。

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