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護摩堂樋管   横手樋管  ←護摩堂樋管(左)
 
綾瀬川の起点、埼玉県桶川市小針領家
 明治45年(1912)3月25日竣工。
 備前堤に伏せ込まれている。石造りの門柱の
 笠石部には施設名と竣工年が刻まれている。

 ←横手樋管(右)
 綾瀬川の源流、埼玉県桶川市五丁台
 護摩堂樋管から西側400m、横手堀の左岸に
 設けられている。横手堀は綾瀬川の源流のひとつ。
 この樋管も明治45年に建設されたもの。

 護摩堂樋管と横手樋管の建設記録は、
 埼玉県行政文書 明3004-193に残されている。
 両樋管とも悪水吐土管と称され、樋管本体は土管で
 翼壁と面壁はコンクリート造り、門柱は石造りである。
 設計図も残っているが、それによると現在の形態は
 建設当初のままのようである。施設の規模は
 護摩堂樋管が長さ6間(10.8m)、口径1尺5寸(0.45m)、
 横手樋管が長さ5間(9.0m)、口径2尺5寸(0.75m)。
 両樋管は埼玉県の現存最古級のコンクリート製樋管である。

 名称不明
↑名称不明 
原市沼川
 埼玉県上尾市〜北足立郡伊奈町
 昭和10年(1935)頃建設。昭和7年〜10年にかけて
 行なわれた
綾瀬川上流改修(県営事業)で
 建設されたと思われる水門。原市沼からの洪水流の
 流下を制御する目的で設置されたものだろう。
 水門の上流側に残る広大な湿地は
 原市沼の跡地である。

   大橋井堰
  ↑大橋井堰 綾瀬川
   埼玉県さいたま市宮ヶ谷塔〜岩槻市加倉二丁目
   昭和6年(1931)建設。大正9年(1920)から昭和5年(1930)に
   かけて実施された綾瀬川の中下流部(原市沼川の合流から
   終点まで)改修で建設された取水堰。左岸から農業用水を
   取水している。堰と橋が一体となった構造で下流側には
   大橋(旧国道16号線)が併設されている。
   →
 大橋井堰の詳細
 田谷堰  ←田谷堰  新河岸川、埼玉県川越市宮元町
  昭和13年(1938)3月建設。新河岸川の改修事業によって
  建設された農業用水の取水堰。この事業では
  新赤間川(新河岸川)には田谷堰を含めて4基の
  取水堰が建設されたが、現存するのは田谷堰のみである。
  下流側に併設された田谷橋には親柱と欄干に
  秀逸な意匠が施されている。田谷堰の周辺には
  大きなポプラの並木が残り、
  川越景観百選に選ばれている。
  →
 田谷堰の詳細

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