秩父橋 (その1) (その2  埼玉県指定有形文化財

 場所:荒川、埼玉県秩父市寺尾〜阿保町  - 周辺の風景 -
 形式:RC開腹アーチ橋(リブ+柱、3連) 長さ134.6m(径間長35m)、幅6.0m 建設:昭和6年(1931)
 設計者:高田貞一、江利川貞吾

 秩父橋は国道299号線の旧道が荒川を横断する地点に架かる。国道299号線は3県に跨る国道で、
 長野県芽野市から群馬県に通じ、志賀坂トンネルで峠を越えて、埼玉県の秩父郡へ入る。
 埼玉県内では秩父郡小鹿野町、秩父市、横瀬町、飯能市、日高市を経由して、入間市まで通じている。
 初めて秩父郡と他の郡を結んだ道路だという。

 重要な街道だが明治時代になっても、秩父橋の付近は渡し(渡船)で荒川を渡っていた。
 荒川は深い渓谷を呈していて、しかも川幅が100m以上もあるので、当時の技術では架橋は
 困難だったからだと思われる。秩父橋の前身である渡しは、寺尾の渡しと呼ばれていた。
 寺尾の渡しは、秩父観音霊場の20番札所 岩之上堂、21番札所 観音寺への巡礼渡しとして、江戸時代から
 存在していたようである。ただし冬場の渇水期には、渡船は困難なので、仮橋が架けられていた。
 新編武蔵風土記稿に”冬より春にかけて土橋を架す。長さ十五間”とある。

 秩父新道の開通に伴い、明治18年(1885)に初代の秩父橋が架けられた。
 これは木と鉄混合のトラス橋(5径間の上路式プラット・トラス)であり、当時としては先進的な構造形式だった(注1)
 しかも、橋長142mの長大橋であった。初代・秩父橋の老朽化に伴い、昭和6年(1931)に架けられたのが、
 2代目の秩父橋(本橋、旧秩父橋)だ。当時のRC(鉄筋コンクリート)アーチ橋としては、かなり大規模な橋である。
 埼玉県で最初に架けられたRCアーチ橋は、大正10年(1921)竣工の玉川橋(都幾川、比企郡玉川村)だが、
 これは1スパンのアーチ橋で橋長は約32mである。10年後に竣工した秩父橋は、規模がその3倍となっている。
 秩父橋は軽快な印象のアーチ橋であり、そのデザインは荒川の下流に架かる皆野橋と良く似ている。
 皆野橋の設計者は増田淳。氏は著名な橋梁技術者であり、日本各地に数多くの名橋を残している。
 埼玉県では荒川だけでも短い期間に、荒川橋(1929年竣工)、皆野橋(1935年竣工)、
 秋ヶ瀬橋(1933年)、戸田橋(1932年)を設計している。

 昭和61年(1986)に下流に3代目の秩父橋が架けられたが、秩父橋は撤去されることは無く、
 橋上公園として整備され、歩行者専用橋となった。そして現在は3代の秩父橋が残っている(初代は遺構)。
 ここは100年間に及ぶ橋の歴史、構造形式の変遷(トラス橋、RCアーチ橋、斜張橋)が体感できる稀有な場所である。
 なお、大正8年(1919)には道路法施行令が公布され、全国の市町村は道路元標の設置が義務付けられた。
 秩父橋が架けられた頃、荒川の左岸は秩父郡尾田蒔村(おだまき)、右岸は秩父町だった。
 秩父町の道路元標は今も残っている。秩父橋の右岸橋詰には、大正13年に秩父町青年団が建てた道標も残る。

(追補)秩父は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
 →日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。

 秩父橋
↑秩父橋 (上流から)
 周辺には緑が多く、秋には紅葉と荒川の渓谷美が堪能できる。
 アーチの形式は開腹アーチ(アーチリブの上に柱を配置して
 床版を支える)である。柱の構造は門形ラーメン(Πの形)で、
 桁の支承部には装飾要素の高い持ち送りが設けられている。
 アーチリブと柱の表面には、モルタルが吹き付けられている。
 開腹アーチは、コンクリートの使用量を節約できる、
 橋が軽量となる(径間長を大きくできる)、洪水時に水の
 逃げ道がある、等の利点があり、古い時代のRCアーチ橋で
 よく見られる。秩父橋の上部工(
欄干、橋面)は改修されて
 いる(ただし竣工当時と同じ形式へ復元)が、下部工は
 ほぼ建設当初の状態で残っている。
   秩父橋の橋脚
  ↑秩父橋の橋脚 (上流から)
   橋面から河床までは約21m。
   右下隅に見えるのは、初代・秩父橋の橋脚。
   秩父橋を保護する役目で残されたのだろうか。
太平洋セメントの工場

 初代・秩父橋の橋脚
↑初代・秩父橋の橋脚 (左岸の上流から)
 初代・秩父橋の形式は
上路トラスだが
 それでも橋面はかなり低かったことが
 わかる。橋脚は四角形の切石を組み合わ
 せた布積みで組まれている。石材は
 小鹿野町から搬入した。上流側には
 鋭角的な形状の水切りが付く。
 基礎はコンクリート製。

    3代目の秩父橋
   ↑3代目の秩父橋 (2代目の橋上、右岸から)
    3代目の秩父橋は昭和61年(1986)竣工の斜張橋で、
    名称は新秩父橋となった。埼玉県で最初の斜張橋である。
    高さ40mのタワーから伸びた12本のフロントケーブルで、
    鋼床版の箱桁(単径間、長さ約150m)を支えている。
    写真の右奥に見えるのが、左岸のアンカレッジ。
    4本のケーブルで、アンカレッジとタワーが連結されている。
    タワーは左岸側のみの1基であり、片持ち梁のような左右岸が
    非対称な外観となっている。橋脚なしに、たった1本の
    橋桁(超重量級)で、荒川を跨いでしまうのだから、
    橋梁技術の進歩は凄まじい。
    2代目までの秩父橋が直橋(荒川に対して直角に橋桁を
    架ける)だったのに対して、新秩父橋は斜橋となっている。
    新秩父橋は土木学会の田中賞(優れた橋梁に贈られる)を受賞している。
    なお、新秩父橋の左岸橋詰にはスポット公園があり、
    
初代・秩父橋の親柱が保存されている。

(注1)明治時代初期、埼玉県は西洋式木造橋(トラス、アーチ)の先進県であった。
 明治工業史によると、日本初の木造構桁橋(トラス)は、明治12年の内藤出雲橋(東京市)、
 木造拱橋(アーチ)は、明治6年の辯天橋(横浜市)である(明治工業史 土木篇、工学会、1929、p.42)。
 これらの橋とほぼ同時期に、埼玉県でも木造のトラス橋やアーチ橋が、数多く建設されていて、
 荒川水系(荒川、吉田川、都幾川)に数基の架橋があった記録が残っている→
滝の鼻橋


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