北下橋、堤根橋、そうとの橋、他

 北下橋  北下橋(下流から)
 
場所:玉野用水、埼玉県行田市長野二丁目
 形式:コンクリート桁橋(1スパン) 長さ3.7m、幅2.5m、欄干高0.25m
 建設:不明

 行田東小学校の西側200m、玉野用水に架かる橋で、
 現在は歩行者専用橋として使われている。
 玉野用水は農業用水路で、
酒巻導水路(利根川支流の
 福川から取水)から玉野用水取水樋管によって分水している。
 用水路が開削されたのは、昭和8年(1933)である。
 その後、昭和38年から41年にかけて、拡幅工事が
 おこなわれている。この橋は様式が古いので、昭和8年前後の
 建設だと思われる。下流50mには堰下橋が架かっている。

 北下橋の詳細

 名称不明

 
名称不明(下流から)
 
場所:玉野用水、埼玉県行田市堤根
 形式:コンクリート桁橋(1スパン) 長さ2.1m、幅1.8m、欄干なし
 建設:昭和8年(1933)?

 県道148号線から北側へ100mの地点、民家への通路に
 架かる橋(個人所有であろう)。下の写真の橋の上流に位置する。

 小規模な橋であり、橋の構造形式は床版橋である。
 床版支承部にはハンチが設けられているが、
 形状はアーチ状となっている。玉野用水の下流には
 この橋と同形式・同意匠の橋が4基残っている。
 欄干はないが高さ12cmの地覆(天端はカマボコ状)が
 設けられている。現在残っている親柱(高さ20cm、
 15cmの角柱)は1基だが、本来は4基あったはずである。

 名称不明

 
名称不明(下流から)
 
場所:玉野用水、埼玉県行田市堤根
 形式:コンクリート桁橋(1スパン) 長さ1.9m、幅5.6m、欄干0.35m
 建設:昭和8年(1933)?

 県道148号線が、玉野用水を跨ぐ地点に架かる橋。
 この橋の西200m(写真の左側)には、
忍川が流れていて、
 騎西街道の渡河地点には
青柳橋が架けられている。

 この橋の建設年は不明だが、橋の意匠や使われている
 鉄筋(φ9mmの丸鋼)から、昭和初期の
元荒川改修事業によって、
 青柳橋と同時期に建設されたと推測できる。
 欄干の開口部には独特のデザインがなされている。
 これは
西瓜橋(埼玉県大利根町、三尺排水路)と良く似ている。
 欄干の袖部の柱は親柱の代用と思われるが、独特な形状である。

 堤根橋?
 堤根橋?(つつみね、右岸から)
 
場所:玉野用水の流末、埼玉県行田市堤根〜渡柳
 形式:コンクリート桁橋(1スパン) 長さ4.5m(歩測)、幅5.8m、欄干高0.5m
 建設:不明

 県道148号線(通称.騎西街道)が、玉野用水の流末を
 跨ぐ地点に架かる橋。この橋は県道148号線の
 拡幅工事によって、改築されているようで、
 桁の構造はコンクリートの床版となっている。
 親柱(0.6m角、高さ1.3m)には石造りの銘板が残っていて、
 橋名と竣功年が記されているが、道路の舗装で
 埋っていて判読できない。
 なお、この橋とまったく同じデザインの橋が
 1Km東の行田市埼玉にもある。

 名称不明
 名称不明(左岸から)
 
場所:三千坊落、埼玉県北足立郡吹上町下忍
 形式:コンクリート桁橋(1スパン) 長さ2.4m、幅2.9m、欄干高0.3m
 建設:昭和8年(1933)?

 三千坊落(農業排水路)の終点に架けられた橋。
 三千坊落は
忍川の右岸へ合流する。写真の上部に
 見えるガードレールは忍川の右岸に設けられたものである。
 この地点から下流100mには
石田堤の跡が残っていて、
 忍川には独特な装飾が施されたラーメン橋台橋、
 
堀切橋が架けられている。

 三千坊落の忍川への合流地点は樋門(暗渠)ではなく、
 開渠となっていて、蓋をするかのように、この橋が架けられている。
 親柱の側面に付けられたの印刻(シンボル?)は、
 昭和初期に建設された埼玉県の橋梁に
顕著なものである。
 この橋のすぐ近くには明治33年再建立と記された弁才天が祀られている。

 そうとの橋
 そうとの橋(上流から)
 
場所:清水落、埼玉県北足立郡吹上町下忍〜行田市下忍
 形式:コンクリート桁橋(1スパン) 長さ3.3m、幅4.7m、斜橋
 建設:昭和15年(1940)5月

 尺角落排水路が清水落(農業排水路)へ合流する地点に
 架けられた橋。清水落は京田堰(前谷落)から取水した用水の
 排水が流れていて、この地点から1Km下流で忍川の右岸へ合流する。
 忍川は、写真の上部に見える屋敷林に沿って、流れている。
 そうとの橋は、武蔵国郡村誌(文章の記述は明治9年)にも、
 ”下忍村の村道、大悪水堀に架かる橋”と記述されている、
 古い歴史を持つ橋である。左岸橋詰には、行き先として鴻巣、吹上、
 松山、上岡などが記された
道標(道しるべ)が残っている。
 現橋は昭和初期に改修されたもので、桁の構造形式はT形はりではなく、
 床版橋である。欄干は建設当初から設けられていないようだ。 
 桁の側面には、上流側に橋名、下流側に竣工年が彫り込まれている。

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