道路元標 (深谷市)_ 北埼玉郡 (南埼玉郡) 北葛飾郡 (北足立郡) 大里郡 (熊谷市) (比企郡) (入間郡) 児玉郡 秩父郡

深谷市の市域に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

村名 設置場所 現在の住所 備考
幡羅村 東方字上宿2072 旧中山道、JA幡羅(はたら)の付近 旧幡羅郡、JAの敷地には火の見櫓あり
新會村 新戒字地蔵窪708 県道45号と356号の交差点付近 JA豊里から西へ100m

(補足)深谷市の市域には利根川沿いに、几号の付けられた古い仕様の水準点(埼玉縣)が
  5基現存している。それらは道路元標と同様に希少な存在である。


 深谷市道路元標
↑深谷市道路元標 埼玉県深谷市仲町
 旧中山道の仲町(なかちょう)交差点内。
 足利銀行前の歩道脇に設けられている。
 深谷市役所と
JR深谷駅を結んだ線の
 大体、中間の地点である。
 磨きのかかった花崗岩製(大理石かも
 しれない)、24cm角、地上高50cm。
 榛沢郡深谷町は深谷宿、田谷村、
 東大沼村、萱場村、西島村、西大沼村、
 曲田村が合併して明治22年(1889)に
 誕生した。その後、明治29年に大里郡
 深谷町となり、昭和30年に深谷市と
 なった。深谷町の道路元標は所在不明。

   中瀬村道路元標
  ↑中瀬村道路元標 埼玉県深谷市中瀬
   県道14号伊勢崎深谷線の中瀬(なかぜ)
   交差点から900m東、上中瀬自治会館。
   入口のコンクリート塀の中に埋め込まれ
   ている。幅25cm、地上高41cm。
   ここは旧中瀬小学校の跡地(注1)
   あり、入口には花崗岩製の高さ3mにも
   及ぶ立派な門が残っている。
   榛沢郡中瀬村は明治から大正期にかけ
   他の村とは合併しなかった。
   昭和30年に八基村と合併して大里郡
   豊里村となった。豊里村は昭和48年に
   深谷市と合併した。

   八基村道路元標
  ↑八基村道路元標 埼玉県深谷市下手計
   県道14号伊勢崎深谷線(旧十二号国道)。
   下手計(しもてばか)の交差点の北側、
   
火の見やぐらの下に残っている。
   幅27.5cm、奥行き27cm、地上高77cm。
   八基村(やつもと)の前身は上手計村、下手計村、
   大塚村、横瀬村、血洗島村、町田村、
   南阿賀野村、北阿賀野村の8村が明治22年に
   合併して誕生した榛沢郡手計村。手計村は
   明治23年に八基村へ改名。その後、八基村は
   新会村、中瀬村と合併して昭和29年には大里郡
   豊里村となった。豊里村は昭和48年に
   深谷市と合併。

 大寄村道路元標
↑大寄村道路元標 深谷市上敷免
 県道356号線。
日本煉瓦製造(株)
 正門の脇の歩道に残されている。
 25cm角、地上高は69cm。
 この付近は上敷免(じょうしきめん)と
 深谷市成塚の境界でもある。境界を
 流れるのが
福川(利根川の支川)。
 榛沢郡大寄村(おおより)は、明治22年に
 上敷免村、矢島村、内ヶ島村、戸森村、
 谷野町、高畑村、起会村、大塚島村が、
 合併して誕生。大寄とはこの付近の
 中世の郷名。明治29年に大里郡となり、
 昭和30年には深谷市と合併した。

   藤沢村道路元標
  ↑藤沢村道路元標 埼玉県深谷市人見
   県道75号熊谷児玉線の藤沢小学校(東)
   交差点内。小学校側の歩道脇、フェンスの
   基礎の中に埋め込まれている。(注2)
   幅25cm、地上高29cm。ここから
   北西200mに位置する一乗寺は
   正応二年(1289)の開山、この地を
   支配していた人見氏の菩提寺だ。
   榛沢郡藤沢村は人見村、大谷村、境村、
   樫合村、柏合村、上野台村、折ノ口村が
   合併して明治22年に誕生。
   明治29年には大里郡藤沢村になり、
   昭和30年には深谷市と合併。

   明戸村道路元標
  ↑明戸村道路元標 埼玉県深谷市蓮沼
   明戸公民館の敷地内。25cm角、地上高
   70cm。下部にはコンクリートの基礎
   (60cm角、高さ36cm)が打たれている。
   当初はここから300m南の上増田地区の
   県道127号線の脇に設置されていた。
   幡羅郡明戸村は明戸村、上増田村、
   蓮沼村、江原村、石塚村、沼尻村、
   堀米村、藤ノ木村、新井村、
   宮ヶ谷戸村が合併して明治22年に誕生。
   明治29年には大里郡明戸村になり、
   昭和30年には深谷市と合併。

(注1)旧中瀬小学校の跡地は、中瀬村役場の跡地でもある。
 村役場は中瀬小学校と同じ敷地内にあり、校舎の北側(道路寄)にあった。
 現在の上中瀬自治会館の付近である。
 中瀬村には利根川の中瀬河岸があり、明治末期まで存続した。
 中瀬村の道路元標の北側が中瀬河岸の中心部だったが、
 現在は利根川の河川敷である。中瀬河岸の痕跡は河岸場名が
 記された道標だけで、他は何も残っていない。

(注2)藤沢小学校の外壁の中には、寛政12年(1800)と安永5年(1776)建立の
  庚申塔も置かれている。寛政12年(干支は庚申)の塔は道標も兼ねていて、
  北:ふかや、東:くまがや、西:八まん山、南:小川と記されている。
  八まん山は八幡山のことで、現在の児玉町のこと。
  県道75号線は昔から通行人の多い街道であり、かつ藤沢小学校(東)交差点の
  付近は、各地への分岐地点でもあったことが窺い知れる。


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