道路元標 (熊谷市)_ 北埼玉郡 (南埼玉郡) 北葛飾郡 (北足立郡) 大里郡 (深谷市) (比企郡) (入間郡) 児玉郡 秩父郡

熊谷市の市域に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

郡名 村名 設置場所 現在の住所 備考
大里郡 肥塚村 肥塚字前田中1 成就院の付近?  
北埼玉郡 成田村 上之字上宿814 成田小学校の付近 道路は拡幅
中条村 上中條字竹ノ内1154 JAくまがや中条支店の付近  〃
星宮村 上池守字畑通737 県道128号、天神社の付近 行田市へ分村、元標は廃棄?

(補足)太井村(現在の熊谷市、行田市、吹上町)は北埼玉郡に属した。
  太井村の道路元標は現存する。→
北埼玉郡の道路元標

 熊谷市道路元標
↑熊谷市道路元標 熊谷市本町一丁目
 国道17号(旧中山道)の鎌倉町交差点の
 北側、埼玉県信用金庫のキャッシュ
 コーナー前の歩道にある。元標は少し
 埋没していて、地上高は45cm。
 この交差点は熊谷寺(ゆうこく)から
 鎌倉町を抜けて、
荒川大橋に通ずる、
 旧街道だった。俗に鎌倉街道の脇往還
 だとされ、鎌倉町の名もそれに由来する。
 なお、熊谷寺にはかつて
熊谷県の県庁が
 置かれていた。熊谷市は川越市に
 次いで、埼玉県で2番目に市制を
 施行した(1933年)。この元標は2代目で
 あり、熊谷町の元標は所在が不明だ。
  久下村道路元標
 ↑久下村道路元標 熊谷市久下(くげ)
  久下神社とJAくまがや久下支店の間、
  旧中山道の脇に残っている。ここは
  旧久下村役場の跡地だそうだ。元標の
  文字が道路に面していないのは、
  移築されたからだろう。元標は25cm角、
  地上高55cm。大里郡久下村は
  久下村と
新川村(現在は消滅、荒川の
  河川敷となってしまった)が合併して、
  明治22年(1889)に誕生した。
  荒川の瀬替え(江戸時代)と
  近代改修(昭和初期)に直面した村だ。
  久下村は昭和16年に熊谷市と合併した。
  道路元標の脇にその合併記念碑がある。
  佐谷田村道路元標
 ↑佐谷田村道路元標 熊谷市佐谷田
  佐谷田不動尊(永福寺)の大門前、
  国道17号線の歩道にある。久下村の
  道路元標から直線距離でわずかに
  1.3Kmの地点だ。25cm角、地上高57cm、
  保存状態は良い。ただし、当初からこの地点に
  あったかは、疑問だ。当初の設置地点は
  佐谷田字不動堂381と記録されているので(注)
  近傍なのは間違いないのだが。
  大里郡佐谷田村(さやだ)は佐谷田村、
  戸出村、平戸村が合併して、明治22年
  (1889)に誕生。佐谷田村は昭和16年に
  熊谷市と合併した。佐谷田公民館に
  合併記念碑がある。

 大幡村道路元標
↑大幡村道路元標 熊谷市柿沼285付近
 県道341号(妻沼往還)の脇、雀神社の
 境内にある。25cm角、地上高52cm。
 新しい感じのコンクリートの台座に置かれ
 ていること、神社内にあること、大幡村の
 中心は現在の原島地区だったことなど
 から、この元標は別の地点からここへ
 移築されたと思われる。当初の設置点は
 原島字今泉370(注)。大里郡大幡村は
 大里郡代村、原島村と幡羅郡柿沼村、
 新島村が合併して明治22年に誕生。
 村名は里郡と羅郡を合体させたもの
 大幡村は昭和7年に熊谷町と合併した。
 JA大幡に合併記念碑がある。

  大麻生村道路元標
 ↑大麻生村道路元標 熊谷市大麻生
  大麻生小学校から南へ100m、赤城神社の
  敷地内。国道140号線(旧道)に面した塀の
  脇にある。元標は27cm角、地上高66cm。
  神社の隣にある農協が村役場の跡地。
  神社の南側100mには、
大麻生堰用水
  流れている。なお、赤城神社の中に
  架けられた神橋は明治14年建立の
  石橋である。付近には
石橋供養塔もある。
  大里郡大麻生村は大麻生村、広瀬村、
  小島村、武体村、川原明戸村が合併して
  明治22年に誕生。大麻生村は
  昭和16年に熊谷市と合併した。
  大麻生農協内にその合併記念碑がある。

  
吉岡村道路元標
 ↑吉岡村道路元標 熊谷市村岡333付近
  県道173号玉川・熊谷線のバス停[支店前]の
  脇に埋まっている。写真の奥に見える塀は
  JA吉岡支店のもの。この道路元標はちょっと、
  変わった寸法で、幅29cm、奥行き27cmと
  かなり大きい。地上高は16cm。
  大里郡吉岡村は村岡村、万吉村(まげち)、
  平塚新田村が合併して明治22年に誕生した。
  吉岡とは万吉村のと村岡村のを合わせて、
  命名したのだろう。現在の熊谷市の市域で
  唯一、荒川の右岸側に立地する村だった。
  明治43年には楊井村が吉岡村へ合併した。
  吉岡村は昭和30年に熊谷市と合併した。
  当初は熊谷市ではなく、江南町との合併計画があった。

 別府村道路元標
↑別府村道路元標 熊谷市西別府2250
 県道276号新堀・小島線に面した薬師堂の
 敷地内にある。対面にはJOMOのガソリン
 スタンドがある。このガソリンスタンドは
 村役場の跡地だそうだ。北150mには
 
別府沼公園が位置する。元標は25cm角、
 地上高72cm、コンクリートの台座の上に
 置かれている。幡羅郡別府村は西別府村、
 東別府村、下増田村が合併して
 明治22年に誕生。明治29年に大里郡、
 別府村は昭和29年に熊谷市と合併した。 

  奈良村道路元標
 ↑奈良村道路元標 熊谷市中奈良900付近
  県道341号太田熊谷線のバス停:
  [農業活性化センター前]の付近。
  増田塗料(株)の北側では県道と市道が
  交差しているが、その脇の空き地にある。
  元標は26.5cm角、地上高69cm。
  何故か側面が白く塗られている。
  幡羅郡奈良村は上奈良村、中奈良村、
  下奈良村、奈良新田、四方寺村が合併
  して明治22年に誕生。明治29年に大里郡、
  奈良村は昭和29年に熊谷市と合併した。

  
玉井村道路元標
 ↑玉井村道路元標 熊谷市玉井南3-12
  玉井小学校から北へ100m、ベーカリー・
  アイベックスの脇。旧中山道(県道276号)に
  面して設けられている。25cm角、地上高31cm。
  ここから東へ200mの地点を流れる余計堀は
  (農業用水路)は下流では、
さすなべ落となる。
  幡羅郡玉井村は玉井村、高柳村、
  久保島村、新堀村が合併して
  明治22年に誕生。明治29年には大里郡
  玉井村となり、昭和16年に熊谷市と合併。
  玉井農協内にその合併記念碑がある。

 三尻村道路元標

 ←三尻村道路元標 熊谷市三尻
  三尻交差点(県道47号と県道75号線)の
  バス停[三尻]の付近。県道75号線に面する。
  ここは三尻村の旧役場跡だが、
  現在は空地となっている。
  元標は幅28cm、奥行27cm、地上高57m。
  吉岡村ほどではないが、これも通常より大きい。

  ちなみに、ここから西へ1Kmの地点に位置する、
  観音山(標高77m)は熊谷市の最高地点だ。
  頂上には
レトロな形の通信塔がある。
  その西の御稜威ヶ原(みいずがはら)は太平洋戦争後に
  開拓団が入植して生まれた新しい字である。
  観音山の北には工業団地と自衛隊基地がある。
  自衛隊基地の付近には昭和10年(1935)に
  熊谷陸軍飛行学校が置かれ、三ヶ尻飛行場と呼ばれた。

  幡羅郡三尻村は三ヶ尻村、拾六間村、
  新堀新田村が合併して明治22年に誕生。
  明治29年には大里郡三尻村となり、
  昭和29年に熊谷市と合併した。
  元標の脇にはその合併記念碑がある。

(注)埼玉県報 第766号、[告示第117号] 道路元標位置


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