第9回 埼玉県の道路元標  道標 児玉郡 大里郡 比企郡 秩父郡 入間郡 北埼玉郡 北足立郡 北葛飾郡  改訂8版:2007/09/23

(1)道路元標(げんぴょう)とは
 大正8年(1919)に公布された道路法施行令では、市町村単位での道路の起点・終点および
 町村の位置を示す指標として、道路元標の設置が義務付けられた。
 道路法施行令には「道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク」とある。
 現在、各地に残る旧町村名が記された道路元標は、この施行令に基づいて
 大正9年以降に各市町村によって設置されたものである。
 日本で一番有名な道路元標は、日本橋の橋面に埋め込まれた日本国道路元標だが、
 これは本来は東京市の道路元標であった(東京市の道路元標は国の重要文化財に指定されている)。
 しかし、昭和28年(1953)に施行された町村合併促進法によって、旧町村が統合・合併したために、
 (いわゆる昭和の大合併)、旧町村の道路元標はその存在意義が失われ、さらに旧町村自体が
 消滅したために、その管理義務も消失した。また同年には道路法も改正され、道路元標の地位は
 当初の基点を示す指標から単なる道路の付属物へと失墜した(改正道路法では道路元標の
 設置・保守義務はない)。そのため、道路の拡張工事などのさいに、廃棄処分されて
 しまった道路元標も多く、一例として埼玉県での現存率は約40%である。

(2)道路元標の設置場所
 個々の道路元標の設置場所は国が指定したのではなく、各市町村の裁量に任された。
 道路元標は道路に付属する基標であり、各市町村間の里程を示す指標でもあるので、
 所在がはっきりとする場所に設置された。例えば、市町村の中心部(掲示場付近など)、
 市町村役場の前、役場付近の主要道路(それも交差点付近)などである。
 つまり、人の往来が多く、人目に付きやすい場所(主に道路の脇)に設置された。
 したがって現在、公共施設(小学校、公民館、公園)や神社の敷地内に道路元標が残っている場合、
 その元標は何らかの理由で、本来あった場所から移動させられた可能性が高い。
 もっとも、寺院に村役場が置かれていた例や、かつての村役場の跡地に公民館が建っている例も
 あるので(民間の住宅が建っている例すらある)、道路ではなく建物の敷地内に道路元標が
 残っているからといって、それがどこからか移築されたものだとは限らない。
 管理の利便性から、村役場の敷地内に設置された道路元標も多かったと思われる。
 ちなみに旧村役場の跡地及び近傍には、JA(農協)の支所が建っていることが多い。
 昭和初期まで、たいていの村が主な産業は農業であり、村人の大半が農業に従事していた。
 そのような時代には農協は役場に準ずる機関であり、村の中心部に置かれたのだろう。
 同様に旧村役場の近傍には、火の見櫓(やぐら)も多い。消防分団の第一部と称された櫓が顕著だ。
 八基村(深谷市下手計)、吉見村(大里町相上)、三田川村(小鹿野町三山)の道路元標は、
 それぞれ、火の見櫓の真下に設置されている。

(3)道路元標の仕様
 道路元標の仕様は施行令で「道路元標ニハ石材其ノ他ノ耐久性材料ヲ使用スヘシ」と
 義務付けられていた。現存する元標の材質は、ほとんどが花崗岩(御影石)だが、コンクリートが
 使われているものもある。コンクリートは大正時代初期頃から、石に代わる耐久性材料として
 認知され、一般的に使われ始めた。
 元標の形状は頂部(約5cm)に曲面加工を施した角柱であり、地上へ露出した部分は5つの面
 (曲面1つ、平面4つ)で構成されている。細かく見れば、面同士の隅部が面取りされている物もあり、
 その場合は7面(頂部の2箇所を面取り)または11面(頂部に加え角柱の4箇所を面取り)となる。
 隅部の面取りは現在のところ、南埼玉郡の道路元標のみで確認されている。

 施行令では道路元標の寸法は、一辺が25cm、高さが約60cm(地上への露出高)と規定されていたが、
 規格外れの物(法令の寸法が守られていない)が意外に多く存在する。特に大里郡でその比率が高い。
 筆者の知る最も大きな元標は、早稲田村の道路元標(三郷市彦倉一丁目)で幅、奥行共に30cmもある。
 最も小さいのは、中丸村の道路元標(北本市宮内七丁目)で幅21cm、奥行は20cmしかない。
 注:比企郡七郷村(嵐山町吉田)は15cmの角柱だが、施行令に基づいて村役場が
 設置したものではないので除外した。

 道路元標の根入れ長(基部の地中への埋め込み深さ)は角柱としての全長が約95cmなので、
 約35cmとなる。ただし、地面への固定方法には規定がなかったようで、コンクリートの
 基礎が打たれている例もある(これは後年に固定し直した可能性も大であるが)。
 元標の正面は道路元標と彫られた面であり、この面が主要道路に向いている。
 刻字は原則的に一面のみで、○○道路元標である。道路の基標であり、道標ではないので
 里程(他の地点までの距離など)は記されていない。なお、側面または背面に建立年が
 彫られているものも数少ないが存在する。これは北足立郡内に設置された道路元標で顕著だ。

(4)道路元標に準ずる標石
 道路の元標としては、明治時代初期から大正期にかけて設置された里程元標(りてい)も存在する。
 これは基本的に江戸時代の街道を踏襲した距離標であり、県庁所在地には県の里程元標、
 各市町村には里程標が置かれた。高さが3m近い大きな標石であり、距離を示す単位は
 里(約4Km)、町・丁(約109m)、間(約1.8m)、尺(約0.3m)だった。
 例えば、武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の比企郡松山町の記述には、
 ”里程:熊谷県庁より南方三里十八町 四隣吉見村へ十四町”などとある。
 里程元標は大正8年(1919)に道路法が公布されたことにより、廃止・撤去された。
 里程元標や里程標にとって代わったのが道路元標である。

 また、大正末期から昭和初期には、村の青年団等によって、道標(道しるべ)が数多く設置されたが、
 それらの中には村の元標と記されているものもある(例.北足立郡石戸村)。
 これらの道標は村の有志が恣意的に建立したものだが、軍人会が併記され、御大典記念(昭和天皇の
 即位)と記された事例も多いので、陸軍特別大演習に関連した距離標として位置付けられていた可能性も高い。
 道標の寸法はまちまちだが、おおむね一辺が15cmの角柱であり、高さは70cm程度、
 材質は石材(花崗岩、安山岩)またはコンクリート製である。見た目は道路元標よりも小さく細長いのだが、
 児玉郡神川町には27cm角で高さが130cmにも及ぶ大きなものが点在する。
 道標という性格上、道路元標のように旧町村内の一箇所に設置ではなく、数箇所に設けられている。
 主要道の交差点などに設置され、要所への方向と距離が示されていて、現代の道路案内標識に相当する。
 児玉郡、大里郡、比企郡に多く分布しているが、特定の地域に偏在するのが特徴である。
 本ホームページでは、これを近代道標として収録している(道路元標探索の際に発見した副産物である)。

(5)埼玉県の道路元標の現状
 明治22年の市制町村制の施行から昭和の大合併直前までの約60年間に、埼玉県には実に371もの
 市町村が存在していた。つまり、かつては400基近い数の道路元標が建てられていたのである。
 なお、道路元標とはあくまでも行政上の呼称であり、(埼玉県の)一般の人は白石(しろいし)やボン杭と
 呼ぶことが多かったそうである。ただし、ボン杭とは榜示杭(ぼうじ、境界標石)を指す場合もある。
 道路元標は設置されてから80年以上が経過し(実質的な設置義務期間は約35年だった)、
 当時とは道路の状況は一変しているが、今も道路元標の存在を記憶している人は多い。

 埼玉県における道路元標の現存率は約40%だが、現存地域の偏りが大きく、埼玉県の全9郡のうち
 平均を超えているのはわずかに3郡のみ(大里郡、児玉郡、秩父郡)である。これらの地域の現存率が
 突出して高いために、県全体の平均が数字上は高くなっている。最も現存率が高いのは大里郡で
 80%(40基中、32基が現存)、次いで児玉郡の63%(19基中、12基が現存)、秩父郡の60%(30基中、18基が現存)である。
 大里郡は現在の熊谷市の市域(大里郡1町10村、北埼玉郡4村の計15町村)のうち、10基の
 存在が確認されているために、現存率が高くなっている。大里郡に属した11町村に限れば、
 見つかっていないのは肥塚村のみであり、熊谷市の道路元標の現存率は実に91%となる。
 また、大里郡では深谷市、寄居町、妻沼町の現存率も高く、それぞれ1町7村のうち6基、
 1町5村のうち5基、1町4村のうち4基の存在が確認されている。

 逆に現存率が低い郡は、入間郡の31%(62基中、19基が現存)、南埼玉郡の33%(現在42基中、14基が現存)、
 北埼玉郡の35%(49基中、17基が現存)、北葛飾郡の42%(31基中、13基が現存)、となる。
 入間郡は現在の川越市の市域(1町13村)で、3基しか存在が確認されていないこと、
 毛呂山町、坂戸市、狭山市の現存率が低いことが低率の原因となっている。
 北葛飾郡は確認数0の市町村が多いことが低率の原因である。北葛飾郡の郡域には8市町村が
 含まれるが、そのうちの半分の4市町村で確認数が0だ。鷲宮町1基、栗橋町3基、春日部市1基、
 松伏町2基の計7基が見つかっていない。ただし、北葛飾郡に現存する道路元標は、傍らに自治体による
 説明板が設けられている物が多く、道路元標に説明板が設置されている割合は、県内の郡のうちで
 最も高い。自治体が道路元標の希少性と歴史的価値を認めていることの表れだろう。
 以上、ことわりもなく現存という言葉を使ってきたが、これは現在のところ道路元標の存在場所が
 確認されているという意味である。つまり、将来新たに道路元標が発見される可能性
 (埋められていた物が道路工事等によって、再び掘り起こされる場合も含む)が大きい反面、
 何らかの理由で忽然と亡失する危険性も含んでいる。

 現存する道路元標の状況はどうかというと、
 ・説明板が設置されて、文化財なみの扱いを受けているもの(例.北葛飾郡幸手町)
 ・亡失・損壊したので、わざわざ復刻し直したもの(例.北足立郡浦和町)
 ・公園内に移築され、記念碑扱いとなっているもの(例.比企郡玉川村)
 ・小学校の敷地内に移築されているもの(例.北埼玉郡笠原村)
 ・道路に埋め殺しとなっていて、地上高が10cm位しかないもの(例.大里郡市田村)
 ・塀の中に埋め込まれているもの(例.大里郡中瀬村)
 ・抜き取られ路傍に放置されているもの(例.北埼玉郡岩瀬村)
 ・郷土資料館等に収蔵されているもの(例.入間郡大家村)
 など様々である。このように、各自治体の道路元標に対する処遇には大きな差がある。
 道路元標という名に反して、今は道路とはかけ離れた場所で、ひっそりと余生を送る物も少なくない。
 ただし、現存しているということは、その状態がどうであれ、過去に何らかの保存処置が講じられたことを
 意味している。抜き取られて放置されている元標や道路に埋め殺しとなってなっている元標でさえ、
 積極的な廃棄ではなく、消極的な保存の結果とみなせる。逆説的だが、道路に埋め殺しと
 なっている元標は、保存状況に関しては最も良いともいえる。設置場所と元標の向きがまったく
 変更されていないので、当初の設置状態がそのまま完全に保存されているからだ。
 埋め殺しという形態は道路の改修が繰り返され、元標の周囲に約50cmも舗装がなされた結果である。

  蕨町道路元標  浦和町道路元標  吉岡村道路元標  岩瀬村道路元標

(6)旧郡名が偲ばれる道路元標
 道路元標に記されている町村は、既に消滅してしまったものが大半だが、その町村名を調べると、
 消滅してしまった旧郡の名を冠した物があり、郡制の変遷が辿れて興味深い。
 埼玉県下には明治22年から昭和30年までの間に、郡名を冠した町村が7つ存在した。
   賀美郡賀美村、児玉郡児玉町、榛沢郡榛沢村、男衾郡男衾村、幡羅郡幡羅村、
   高麗郡高麗村、入間郡入間村
 これらに郡名を含む、児玉郡東児玉村、高麗郡南高麗村、さらには北埼玉郡埼玉村、大里郡大幡村まで
 含めると実に11町村となる。埼玉村は[さきたま]であり、[さいたま]ではないが、埼玉県名の発祥地である。
 大幡村は大里郡代村、原島村と幡羅郡柿沼村、新島村が合併して誕生したもので、
 村名は里郡と羅郡の2つの郡名の頭文字を合成している。

 明治22年の市制町村制の施行によって、近世の村々が合併して新しい町村が次々と誕生したわけだが、
 そのさいに、町村名として郡の名前をそのまま使うことは、かなり人気があったようである。
 今となっては紛らわしいのだが、入間郡には入間村と入間川村、高麗郡には高麗村と高麗川村、
 さらに南高麗村まで存在した。
 上述した旧郡は賀美郡が児玉郡へ、榛沢郡、男衾郡、幡羅郡が大里郡へ、高麗郡が入間郡へ編入され、
 明治29年(1896)に消滅している(注)。しかし、意外なことに道路元標に限れば、消滅した旧郡名を
 冠した村のものは現存率が高く、全5基のうち4基も残っている(幡羅郡幡羅村は未発見)。
 児玉郡賀美村、大里郡榛沢村、大里郡男衾村、入間郡高麗村である。
 これらは歴史的史料としても非常に貴重なものである。

(注)明治29年3月に埼玉県下国界変更及郡廃置法律が施工され、それまでの18郡が9郡へ統廃合された。
 これは県下の細かく分割された郡域を統合するためだったが、埼玉郡だけは例外だった。
 埼玉郡は郡域が広すぎるとして、明治11年(1878)7月に郡区町村編制法の制定に基づき、
 北埼玉郡と南埼玉郡に分割されている。

(補足)埼玉県の道路元標の設置場所は、大正9年4月9日付の埼玉県報 第766号で、
 [告示第117号] 道路元標位置として公開されている。
 この資料(埼玉県行政文書 C653 埼玉県報 124)は、埼玉県立文書館で閲覧(および複写)できる。
 なお、以下のwebサイトには、埼玉県の道路元標の設置位置一覧がまとめられている。
  http://adt23060.hp.infoseek.co.jp/gempyo/saitama/list.html


北埼玉郡の道路元標 (確認18基、設置数49基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
北河原村 きたがわら 行田市北河原 北河原小学校の敷地内   埋没  
太井村 おおい 行田市棚田町一丁目 太井公民館の敷地内     熊谷市と吹上町へ分村
下忍村 しもおし 吹上町南一丁目 吹上町郷土資料館内   放置 行田市と吹上町へ分村
羽生町 はにゅう 羽生市中央三丁目 県道60号、埼玉りそな銀行脇 27cm    
新郷村 しんごう 羽生市上新郷 県道128号、上新郷交差点      
岩瀬村 いわせ 羽生市上岩瀬 県道364号、岩松寺入口   放置  
手子林村 てこばやし 羽生市東六丁目 羽生市役所の北東の交差点   移築  
中嶋村 なかじま 羽生市中手子林 中手子林農民センター内   移築 非・花崗岩?
不動岡町 ふどうおか 加須市不動岡二丁目 不動岡不動尊の赤門前 27cm   昭和3年(1928)に町制
大越村 おおごえ 加須市大越1971 県道60号、徳性寺南の交差点      
樋遣川村 ひやりかわ 加須市樋遣川 県道84号、樋遣川公民館内      
水深村 みずぶか 加須市大室 県道370号、大室交差点     水深村役場の跡地
利島村 としま 北川辺町麦倉 北川辺西小学校の敷地内   移築 麦倉村から改名
騎西町 きさい 騎西町騎西 県道38号、騎西一丁目交差点      
種足村 たなだれ 騎西町中種足 県道313号、種足小学校の南側     種足村役場の跡地
広田村 ひろだ 川里町広田 県道32号、広田駐在所の東側 27.5cm   合併記念碑
屈巣村 くす 川里町屈巣 屈巣小学校の敷地内 27cm 移築  
笠原村 かさはら 鴻巣市笠原 笠原小学校の敷地内 26cm 移築  


南埼玉郡の道路元標 (確認14基、設置数42基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
慈恩寺村 じおんじ さいたま市岩槻区慈恩寺 JA慈恩寺支店北の三叉路   破損  
川通村 かわとおり さいたま市岩槻区本町二丁目 岩槻郷土資料館   収蔵 元来は村役場の脇
小林村 おばやし 菖蒲町小林 県道310号、小林小学校前交差点     四隅が面取り
栢間村 かやま 菖蒲町下栢間 県道77号、栢間小学校の正門前 29cm  
大山村 おおやま 白岡町荒井新田 大山小学校の正門の西   埋没 白岡町と菖蒲町へ分村
篠津村 しのづ 白岡町篠津 篠津小学校西の三叉路 28cm   コンクリート製、建立年
久喜町 くき 久喜市中央三丁目 平成元年まで駅西口、武蔵野銀行前の
交差点に倒れたまま放置されていた。
  紛失 行方不明!
清久村 きよく 久喜市上清久 久喜市西公民館   移築 四隅が面取り
平野村 ひらの 蓮田市井沼 県道77号、平野小学校西のT字路     四隅が面取り
新方村 にいがた 越谷市大杉 県道102号、新方小学校交差点 26.5cm    
増林村 まずばやし 越谷市増林3685 県道102号線の道路脇 26cm    
大相模村 おおさがみ 越谷市大成町一丁目 県道52号[大相模小学校]バス停   移築  
川柳村 かわやなぎ 越谷市川柳町五丁目282 県道380号、麦塚交差点   復刻 草加市と越谷市へ分村
八條村 はちじょう 八潮市八條 県道102号線の道路脇     草加市へ分村
八幡村 やわた 八潮市中央三丁目 県道54号線(旧道)の道路脇      


北葛飾郡の道路元標 (確認13基、設置数31基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
幸手町 さって 幸手市東四丁目 幸手市役所の敷地内   移築 説明板
上高野村 かみたかの 幸手市上高野 旧日光街道、幸手市南公民館の前   移築 説明板
八代村 やしろ 幸手市平須賀一丁目 八代小学校の敷地内 25.5cm 移築 説明板
権現堂川村 ごんげんどうかわ 幸手市神明内 権現堂小学校の敷地内 25.5cm 移築 説明板、四隅が面取り
高野村 たかの 杉戸町下高野 県道312号の旧道、永福寺の山門前     西行法師の見返りの松
田宮村 たみや 杉戸町並塚 東幼稚園の敷地内     東幼稚園は村役場跡
堤郷村 ていごう 杉戸町堤根 国道4号線、堤根(南)交差点   半没  
寶珠花村 ほうしゅばな 庄和町西宝珠花 大凧会館の敷地内 25.5cm 移築 旧中葛飾郡、説明板 
川邊村 かわべ 庄和町米崎 県道42号、川辺小学校交差点    
豊野村 とよの 春日部市銚子口 県道10号、豊野地区公民館 26cm 移築  
三輪野江村 みわのえ 吉川市加藤 県道377号、東部地区公民館 24.5cm    
戸ヶ崎村 とがさき 三郷市戸ヶ崎二丁目 県道67号、三郷耳鼻咽喉科の駐車場      
早稲田村 わせだ 三郷市彦倉一丁目 三郷郷土資料館の敷地内 30cm 放置  


北足立郡の道路元標 (確認22基、設置数65基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
小谷村 こや 吹上町小谷 小谷小学校南西の交差点     建立年、
脇に小谷村史碑
田間宮村 たまみや 鴻巣市北中野 田間宮小学校の南側     建立年
馬室村 まむろ 鴻巣市原馬室 谷津不動尊から東へ150m   半没  
常光村 じょうこう 鴻巣市下谷 JA常光支所の向かい      
石戸村 いしど 北本市荒井三丁目 県道57号、JA石戸支所の前 22cm   道路元標ではなく、
石戸青年団建立の道標
中丸村 なかまる 北本市宮内七丁目 県道312号、北本市商工会館の隣 21cm   道路元標 中丸村と刻字
桶川町 おけがわ 桶川市寿二丁目 旧中山道、桶川駅前交差点      
川田谷村 かわたや 桶川市川田谷 県道12号川田谷歩道橋から北へ50m 26.5cm 半没 建立年、
川田谷村役場の前
平方村 ひらかた 上尾市平方 県道57号線、上尾橘高入口交差点   半没 村社、氷川神社の前
宮原村 みやはら さいたま市北区宮原四丁目 旧中山道脇、JA宮原支店      
七里村 ななさと さいたま市見沼区風渡野 野田線七里駅の入り口     里程標、昭和5年設置
植水村 うえみず さいたま市西区中野林 植水支所の敷地内      
馬宮村 まみや さいたま市西区西遊馬 馬宮支所の敷地内      
浦和町 うらわ さいたま市浦和区高砂二丁目 旧中山道とさくら草通りの交差点     説明板
木崎村 きざき さいたま市浦和区領家四丁目 長覚寺の門前      
六辻村 むつじ さいたま市辻三丁目 国道17号線の[六辻]交差点      
三室村 みむろ さいたま市緑区三室 三室支所の敷地内   放置  
野田村 のだ さいたま市緑区代山 八幡宮の敷地内   放置  
蕨町 わらび 蕨市中央五丁目9 旧中山道と蕨駅前通りの交差点     左側面に埼玉縣、
説明板
戸田村 とだ 戸田市上戸田四丁目 後谷公園の徒渉池の畔   移築  
志木町 しき 志木市本町一丁目〜二丁目 県道36号線、[本町一丁目]交差点     旧新座郡
背面に埼玉縣
白子村 しらこ 和光市白子二丁目 滝坂の交差点     背面に埼玉縣


大里郡の道路元標 (確認16基、設置数21基) ただし、深谷市と熊谷市の市域は除く

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
岡部村 おかべ 岡部町榛沢新田 県道86号、岡部町文化財保護室内   放置 岡部町と深谷市へ分村
榛沢村 はんざわ 岡部町榛沢新田 同上 27cm   旧榛沢郡
寄居町 よりい 寄居町寄居 県道296号[寄居駅入口]T字路    
桜沢村 さくらざわ 寄居町桜沢 県道296号の三叉路    
用土村 ようど 寄居町用土 県道175号、用土五区公会堂   移築 〃、鎌倉街道(上道)
折原村 おりはら 寄居町折原 庚申塔群の脇   半没 旧男衾郡
男衾村 おぶすま 寄居町富田 県道296号、北柏田交差点から300m西     〃、男衾村役場の跡地
花園村 はなぞの 花園町小前田 国道140号、小前田駅入口から300m東 28cm   旧榛沢郡
武川村 たけかわ 川本町田中 国道140号、武川駅入口交差点 27cm  
御正村 みしょう 江南町成沢 県道81号旧道、JAくまがや御正支店南 28.5cm    
市田村 いちだ 大里町中曽根120 県道257号と町道との交差点 27.5cm 埋没 鎌倉街道の脇往還
吉見村 よしみ 大里町相上 県道257号と町道との交差点 27.5cm 半没
妻沼町 めぬま 妻沼町妻沼 さくら遊歩道(芝川→道閑堀     旧幡羅郡
太田村 おおた 妻沼町飯塚1113 県道127号、JA妻沼太田交差点     
長井村 ながい 妻沼町江波398 県道303号、JA長井支所から北東へ150m   放置
秦村 はた 妻沼町葛和田 県道59号と県道83号、天王店交差点   埋没


深谷市の道路元標 (確認6基、設置数8基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
深谷市 ふかや 深谷市仲町 旧中山道の仲町(なかちょう)交差点 24cm   旧榛沢郡、昭和30年に市制
中瀬村 なかせ 深谷市中瀬 上中瀬自治会館   塀の中 〃、旧中瀬小学校跡
八基村 やつもと 深谷市下手計 県道14号、下手計(しもてばか)交差点 27.5cm   〃、手計村から改名
大寄村 おおより 深谷市上敷免 県道356号、日本煉瓦製造の正門脇    
藤沢村 ふじさわ 深谷市人見 県道75号、藤沢小学校(東)交差点   半没
明戸村 あけど 深谷市蓮沼 明戸公民館   移築 旧幡羅郡


熊谷市の道路元標 (確認10基、設置数11基) ただし、旧北埼玉郡に属した4基は除く

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
熊谷市 くまがや 熊谷市本町一丁目 旧中山道、鎌倉町交差点     昭和8年(1933)に市制
久下村 くげ 熊谷市久下 旧中山道、JAくまがや久下支店     久下村役場の跡地
佐谷田村 さやだ 熊谷市佐谷田 国道17号、佐谷田不動尊の大門前      
大幡村 おおはた 熊谷市柿沼285 県道341号の脇、雀神社   移築 村名は里郡と羅郡
大麻生村 おおあそう 熊谷市大麻生 国道140号線(旧道)、赤城神社 27cm   合併記念碑
吉岡村 よしおか 熊谷市村岡333 県道173号、バス停[支店前]脇 29cm 半没  
別府村 べっぷ 熊谷市西別府2250 県道276号の脇、薬師堂   移築 旧幡羅郡
奈良村 なら 熊谷市中奈良900 県道341号、バス停[農業活性化センター前] 26.5cm  
玉井村 たまい 熊谷市玉井南3-12 旧中山道、ベーカリー・アイベックスの脇   半没 〃、合併記念碑
三尻村 みしり 熊谷市三尻 三尻交差点(県道47号と県道75号線) 28cm   〃、合併記念碑


比企郡の道路元標 (確認12基、設置数28基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
松山町 まつやま 東松山市本町一丁目 国道407号、本町一丁目交差点   半没  
野本村 のもと 東松山市下野本 県道345号、農村センター交差点      
小川町 おがわ 小川町大塚 小川町役場の入口   移築 説明板
福田村 ふくだ 滑川町福田 福田小学校の旧正門の東   半没  
七郷村 ななさと 嵐山町吉田 鶴巻コミュニティ公園 15cm   七郷村役場の跡地
明覚村 みょうかく 都幾川村桃木 県道172号、都幾川村役場の前      
平村 たいら 都幾川村桃木 都幾川村役場の敷地内   収蔵  
玉川村 たまがわ 玉川村玉川 県道172号、ひと市交差点      
西吉見村 にしよしみ 吉見町御所 吉見観音(安楽寺)の大門の前     旧横見郡
南吉見村 みなみよしみ 吉見町久保田 県道33号旧道、JA南吉見支店前   半没
八ッ保村 やつほ 川島町畑中 JA八ッ保支店の敷地内   放置  
伊草村 いぐさ 川島町伊草 伊草小学校の北西、大砲屋酒店の脇   埋没  


入間郡の道路元標 (確認24基、設置数62基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
山田村 やまだ 川越市山田161 川越市役所 山田出張所の敷地内     旧村役場の跡地
古谷村 ふるや 川越市古谷上 川越市役所 古谷出張所の敷地内    
田面沢村 たのもさわ 川越市小室 泉小学校の校庭   半没  
大家村 おおや 坂戸市石井1800 坂戸市立歴史民俗資料館に収蔵   収蔵 元来は鎌倉街道(上道)に設置
鶴ヶ島村 つるがしま 鶴ヶ島市脚折 旧日光街道、才道木歩道橋の下     明治22年以降、市域の変更なし
川角村 かわかど 毛呂山町川角 川角小学校の校庭      
南畑村 なんばた 富士見市上南畑 県道113号、JA南畑支所の脇      
宗岡村 むねおか 志木市中宗岡二丁目 県道40号、宗岡小学校の正門前      
越生町 おごせ 越生町越生 県道30号、福田新聞店の前     説明板
梅園村 うめぞの 越生町小杉 県道61号、梅園駐在所の脇     説明板
高麗村 こま 日高市梅原 県道15号、バス停[高麗支所]の付近     旧高麗郡
大井村 おおい ふじみ野市苗間 大井小学校の敷地内     道路元標ではない
柏原村 かしわばら 狭山市柏原 狭山環状有料道路、[柏原小入口]交差点     旧高麗郡
藤沢村 ふじさわ 入間市下藤沢 JA藤沢支店の敷地内      
金子村 かねこ 入間市西三ッ木 JA金子支店の敷地内      
豊岡町 とよおか 入間市宮前町 郷土民芸館(旧黒須銀行)の敷地内      
元狭山村 もとさやま 東京都西多摩郡瑞穂町二本木 瑞穂第三小学校の敷地内      
南高麗村 みなみこま 飯能市下直竹 南高麗小学校の敷地内     旧高麗郡
東吾野村 ひがしあがの 飯能市井上 国道299号、JA東吾野支店の付近   復刻 旧高麗郡
所沢町 ところざわ 所沢市東町 所沢プロペ(通り)への入口      
松井村 まつい 所沢市上安松 松井小学校の正門前 26cm    
富岡村 とみおか 所沢市下富 県道6号、[下富]交差点の付近      
小手指村 こてさし 所沢市小手指元町二丁目 小手指小学校の敷地内      
三ケ島村 みかじま 所沢市三ケ島五丁目 JA三ケ島支店の敷地内      


児玉郡の道路元標 (確認12基、設置数19基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
仁手村 にって 本庄市久々宇 稲荷神社の境内      
旭村 あさひ 本庄市沼和田800 国道462号線の旧道、理容ネギシ脇 25.5cm   付近に道標
金屋村 かなや 児玉町金屋 国道462号線、金屋小学校の南側   埋没  
本泉村 もといづみ 児玉町河内 県道44号(旧道)、本泉小学校の西側   半没  
秋平村 あきひら 児玉町秋山 県道287号線、寄居印刷紙器(株)の付近     旧那珂郡
児玉町 こだま 児玉町児玉 実相寺の境内     児玉町の里程標
東児玉村 ひがしこだま 美里町根木 県道75号、東児玉公民館の西側      
賀美村 かみ 上里町金久保 旧中山道、賀美小学校の校庭     旧賀美郡
神保原村 じんぼはら 上里町神保原町 旧中山道、神保原駅入口のT字路   切断
七本木村 しちほんぎ 上里町七本木 メモリアル公園(上里町体育館)の入口   移築
丹荘村 たんしょう 神川町関口 県道22号線、JR八高線鬼石街道踏切   移築
青柳村 あおやぎ 神川町二ノ宮 県道22号線、[青柳小学校]交差点      
若泉村 わかいずみ 神川町渡瀬 県道22号線(旧道)、神流川水辺公園入口     脇に道標


秩父郡の道路元標 (確認18基、設置数30基)

旧町村名 読み 所在地 現存地点 最大幅 状態 備考
白鳥村 しらとり 長瀞町岩田 県道82号線、白鳥神社の脇     皆野町、寄居町へ分村
野上村 のがみ 長瀞町本野上 国道140号線、野上駅前交差点     頂部の形状が独特
金沢村 かねざわ 皆野町金沢 県道44号線、萩神社の向かい      
三沢村 みさわ 皆野町三沢 三沢小学校の校庭(県道82号線に面す)      
国神村 くにがみ 皆野町国神 国神交差点(県道37号線と県道44号線)   半没  
下吉田村 しもよしだ 吉田町下吉田 県道37号線、吉田下橋(吉田川)の右岸      
小鹿野町 おがの 小鹿野町小鹿野 県道209号線の小鹿野中央病院入口      
三田川村 みたがわ 小鹿野町三山 国道299号線の南側、旧村役場の敷地内     村役場が現存
両神村 りょうかみ 両神村薄 村役場の敷地内      
横瀬村 よこぜ 横瀬町横瀬 国道299号線の町民会館前交差点      
芦ヶ久保村 あしがくぼ 横瀬町芦ヶ久保 国道299号線、芦ヶ久保小学校の正門前 26cm   頂部の形状が独特
槻川村 つきかわ 東秩父村坂本 県道11号線、西小学校の付近      
秩父町 ちちぶ 秩父市中町二丁目 秩父名栗線の交差点、東京電力前      
影森村 かげもり 秩父市下影森 影森公民館の南東、県道269号線の起点     旧国道140号線
高篠村 たかしの 秩父市山田 県道82号線、木戸原バス停      
中川村 なかがわ 荒川村日野 荒川歴史民俗資料館の敷地内      
白川村 しらかわ 荒川村贄川 国道140号線、贄川歩道橋の下      
大滝村 おおたき 大滝村大滝 国道140号線、大滝村役場の前      

状態:[埋没]と[半没]の区分基準は、町村名が完全に地上にあるか否かとした。
    したがって町村名が識別できても、一文字でも地下にあれば、それは[埋没]である。
    一方、[半没]では道路元標の文字は地下にある。


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