続々・荒川の冠水橋
これらの橋は、市が管理する冠水橋(洪水になると水没してしまい、通行不能になる橋、潜水橋)である。
荒川の河川改修で分断された土地(橋を渡った対岸も同じ地区)への連絡橋でもある。
形式は、いずれも桁橋で、主桁は(西野橋以外は)木製である。
木の桁橋では、0.3m角・長さ5〜7mの木材4〜5本を、主桁として橋脚間に配置し、
その上に0.15m角の木材を線路の枕木のように敷き詰め、橋面としている。
橋面はアスファルトで舗装されている。どの橋も橋脚が細長く、桁位置が高いのが特徴だ。
欄干は鉄柱(φ5cm、高さ1.2m)と鋼製ワイヤーで作られていて、洪水時には取り外される。
荒川の舟運が盛んだった江戸時代には、高尾橋、西野橋の付近には、河岸(かし:船着き場)があった。
河岸とは舟運による荷物の発着場であり、周辺には船問屋なども置かれ、小規模な市場を形成していた。
渡し(渡船場)を兼ねることも多かった。当時、中山道の桶川宿(正確には現在の桶川市、上尾市、
旧大宮市の一帯)は、ベニバナ(紅花)の栽培が盛んで、山形県の最上地方に次いで全国で
2番目の生産量を誇っていたという。最上地方よりも約一ヶ月早く収穫できるので、早場物として
珍重されたようである。周辺の農村で作られたベニバナは、これらの河岸で積み込まれ、
江戸へと送られていた。江戸からの帰りの便では生活物資や肥料が運ばれた。
原馬室橋 (はらまむろ) 埼玉県鴻巣市(こうのす)原馬室 - 周辺の風景 - 木桁橋(鋼橋脚φ400)、全長約59m(歩測)、幅2.2m、8スパン ←右岸上流から F4.0,40mm (2001年3月撮影) 形式は上流の滝馬室橋と同じ(橋桁は一辺0.3m、長さ6mの 角材が3本)だが、橋の幅は40cmほど広い。 橋面の半分がアスファルトで舗装されている。車幅制限2.1m、重量制限2t。 荒川に現存する冠水橋では唯一、竣工記念碑が建てられている。 昭和40年(1965)の台風17号で流出した過去がある。 ★原馬室橋は、台風15号による洪水(2001年9月)で、 流されてしまいました。 → 復旧工事中の原馬室橋(2002年5月) |
高尾橋 埼玉県北本市高尾 - 周辺の風景 - 木桁橋(鋼橋脚φ400)、全長約43m(歩測)、幅2.7m、8スパン ←右岸下流から F5.6,40mm 車の通行量は滝馬室橋や原馬室橋よりも多く、5分間に1台程度だった。 なぜか他の橋よりも通行規制がきつく、車幅制限1.8m、重量制限1t。 橋面はアスファルトで全面的に舗装されている。桁受けは木製で、 橋脚の上部にボルトで取り付けられている。低水護岸の根固め工には、 テトラポッドと中空三角ブロックが使われている。 高尾橋は過去に頻繁に流出している。昭和29年(1954)、 昭和36年(1961)、昭和40年(1965)には台風17号で流出した。 なお、伝聞情報であるが、原馬室橋と高尾橋の間にも、 昭和30年頃まで、北袋橋という冠水橋があったという。 |
樋詰橋 (ひのつめ) 埼玉県桶川市川田谷(かわたや)樋詰〜宮前 - 周辺の風景 - 木桁橋(鋼橋脚φ400)、全長約50m(歩測)、幅3.3m、7スパン ←右岸下流から F5.0,35mm 樋詰橋は上尾市と川島町の境界付近に位置する。 左岸下流には荒川の旧堤防が残っていて、ハンノキの林も見られる。 右岸はホンダエアポートに隣接(写真左側100m)。 驚くべきことに、右岸側の道路は横堤の天端に設けられている。 樋詰橋は他の冠水橋に比べて幅は広いが、ここにも制限標識が 設置されている(車幅1.8m、重量3t)。橋面はアスファルトで全面舗装。 桁受けは木材をH型鋼で挟んで、井桁を組んだ独特の構造(橋脚の 上部に溶接されている)となっている。 昭和36年(1961)の豪雨と昭和40年の台風17号で流出した過去がある。 |
西野橋 (にしや) 埼玉県上尾市平方(ひらかた)西野 - 周辺の風景 - 鋼桁橋(鋼橋脚)、全長約56m(歩測)、幅2.4m、4スパン ←右岸上流から F5.0,40mm 西野橋は、さいたま市、川越市、川島町の境界付近に位置する。 写真上部に見えるのは荒川の左岸堤防(通称、西野土手)、 右岸はゴルフ場である。昭和初期まで西野橋の上流付近で、 入間川が荒川に合流していた。現在は両川の間には導流堤が 設けられ、入間川は荒川に並行して4.5Km流れ、 下流の川越市古谷上で荒川へ合流している。 西野橋は以前は完全な木造橋であり、がたがた橋と呼ばれていた。 現在は鋼製だが、橋脚の構造は原馬室橋とすっかり同じ。 車幅制限1.8m、重量制限2t |