荒川の冠水橋 〜 埼玉県の冠水橋分布 〜
荒川は、奥秩父の甲武信ヶ岳(長野県、山梨県、埼玉県の境)を水源とし、東京湾に注ぐ延長173km、
流域面積2940Km2の河川である。首都圏を流れる大河川なので(流域の人口は日本で一番多い)、
過去に幾度も河川改修がなされ、流路は大きく変化している。埼玉県の熊谷市久下から下流の流路は、
江戸時代初頭に和田吉野川、市野川、入間川筋に付け替えられている(荒川の瀬替え:1629年、伊奈忠治)。
荒川の旧流路は元荒川と呼ばれ、中川水系の河川である(かつての利根川の流路を中川水系という)。
江戸時代の初期まで、利根川は東京湾に注ぎ、荒川は利根川に合流していた。なお、東京都内の荒川は、
人工河川であり(荒川放水路:岩淵水門〜東京湾)、隅田川(大川)が昔の荒川の流路に相当する。
荒川の中流域(埼玉県熊谷市〜上尾市)には、6つの冠水橋が残っている。
冠水橋とは、川が増水すると水没してしまって、通行不能になってしまう橋のことで、
一般的には潜水橋や潜り橋と呼ばれるが、沈下橋や沈み橋と呼ぶ地域もある。
荒川のような大きな河川の中・下流では、左岸と右岸の堤防間が1Kmを超える箇所が多い。
両岸の堤防を一跨ぎにする大きな橋を建設することは、技術的に困難であったし莫大な費用がかかった。
そのため、昔は橋のサイズを小規模に抑えるために(結果、架橋は容易になり建設費も少なくて済む)、
あえて高水敷(こうすいじき:河川敷のうち洪水時に水が流れる部分)に橋を架けたのである。
久下橋(熊谷市〜大里町)は、その典型的な例だが、それでも長さは300m近くある。→補足
一方、鴻巣市から上尾市に見られる5つの冠水橋は、河川改修で分断された土地への連絡橋で、
低水路(普段、水が流れている部分)に架けられ、長さは約50mと小規模である。→下図参照
昔の耕作渡し(作場渡し、対岸あるいは河川敷にある農地へ行くための渡船)に相当する橋ともいえる。
今でこそ荒川の冠水橋は数が少なくなっているが、昭和40年代の初頭(1965年)までは、あちこちで見られた。
下図の区間を例にとると、荒川大橋(熊谷市、1909年)を除く、全ての橋が冠水橋であった。
埼玉県内の利根川の橋は昭和10年代には、全て永久橋(冠水しない鋼製の橋、昭和橋のみ木桁)に
なっていたので、荒川の架橋状況はかなり遅れていたことになる。
現存する荒川の冠水橋は、構造的には木製の桁橋であり(西野橋のみ鋼桁橋)、主桁と橋面が
木製(橋面にはアスファルト舗装が施されている)、着脱可能な簡易欄干(ワイヤーと鋼製の柱)、
鋼製の細長い橋脚で構成されている。
なんといっても最大の特徴は冠水橋でありながら、桁位置が水面から高く、渡ると怖い(笑)である。
補足:久下橋は2003年6月で運用停止。その後、撤去され、今は存在しない。
→ 久下橋の記念碑建設: [募金活動のお知らせ] [説明板が完成] [記念碑が完成] [久下橋の面影]
青い部分が高水敷、 白い線が低水路 低水路は河川改修 で掘削したもの。 糠田橋付近から 開平橋付近までの 高水敷の中には、 荒川の旧流路が 残っている。 つまり、河川改修の 形跡を堤防の中に 確認できる。 また中・下流には 数多くの横堤が 存在する。 |
(上流→下流:赤字が冠水橋、数字は区間距離 km) | ||||||||||||||||||||||||
久下橋 | 大芦橋 | 水管橋 | 糠田橋 | 滝馬室橋 | 御成橋 | 原馬室橋 | 高尾橋 | 荒井橋 | 太郎右衛門 | 樋詰橋 | 西野橋 | 開平橋 | ||||||||||||
| | 5.0 | | | 0.5 | | | 4.5 | | | 1.7 | | | 0.2 | | | 0.9 | | | 1.6 | | | 1.0 | | | 4.0 | | | 2.2 | | | 3.0 | | | 0.6 | | |
(注1)大芦橋、糠田橋、開平橋も、最近まで冠水橋だったようで、周辺には形跡(木製の橋脚、 護岸、取り付け道路)が残っている。大芦橋(冠水橋、長さ60m)は昭和54年(1979)まで、 糠田橋(冠水橋)は昭和61年(1986)まで使われた。 両橋とも久下橋によく似た橋であった(木桁橋、橋脚は鋼製で形式は久下橋の中央部と同じ)。 久下橋よりも上流では、押切橋(江南町)、植松橋(川本町)、花園橋(寄居町)も 冠水橋だった。昔のことを言い出すと、全て冠水橋になってしまう(^^;) なお、植松橋の右岸橋詰(川本町畠山)には、冠水橋建設の記念碑が建てられている。 (注2)冠水橋がある地区は、渡しや河岸(かし:船着場)、舟橋(浮き橋、多数の舟を並べ 上に橋桁を渡したもの)があった所でもある。例えば、久下(新川河岸)、大芦河岸(八代?)、 五反田河岸(吹上町小谷)、御成河岸(舟橋)、高尾河岸、樋詰橋(舟橋)、 平方河岸(西野橋の付近)などである。明治時代、五反田河岸と平方河岸の付近には煉瓦工場もあった。 なお、久下橋と大芦橋の間の河川敷には、荒川の近代改修で消滅した新川村の跡も残る。 |
冠水橋の 詳細と 周辺の 風景: |
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久下橋 | 滝馬室橋 | 原馬室橋、高尾橋、樋詰橋、西野橋 |